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2013年3月15日 (金)

れんだいこの狗奴国考その1

 ここで、れんだいこの狗奴国論を発表しておく。あまりにも政治がバカバカしいので古代に夢を馳せ検証しておく。狗奴国論は邪馬台国研究上、避けては通れない関門であり、いつかはっきり主張したかったが躊躇していた。しかしいつまでも放っておく訳には行くまい。れんだいこ説によれば、狗奴国を魏志倭人伝の記述から読むだけでは比定できない。上古代史の縦の線から読みとる以外にない。そうすると次のようなことが見えてくる。

 狗奴国は、結論から述べると紀州熊野地方の熊野である。これは、邪馬台国をヤマトの三輪に比定することで可能になった。よって九州の熊襲とは違う。長らく狗奴国熊襲説の研究がされているようだが徒労だろう。紀州熊野地方の熊野は出雲の熊野と繫がる。出雲熊野と紀州熊野がいつ繫がったのかまでは分からないが同族であると見立てたい。こうなると出雲王朝論に精通しないと見えるものが見えないことになる。出雲王朝史については「出雲王朝神話考」に記しているので参照されたし。

 出雲王朝に於ける熊野は、最も古い時代の原出雲から元出雲時代の首府であり、これを治める大王が皇祖的支配権を持つ豪族である。この豪族も数派あるようである。こう理解することにより「邪馬台国の女王・卑弥呼、狗奴国の男王・卑弥弓呼」の同名意味が通じて来る。即ち、邪馬台国の女王・卑弥呼と狗奴国の男王・卑弥弓呼が同族同格に扱われている意味が分かる。

 同名は同族を表わしている。同格とはどういう意味か。それは、熊野が原出雲から元出雲王朝時代の皇祖であり、邪馬台国が新出雲王朝時代の皇祖として鼎立していたことによる。両者に共通する「卑弥」とは「日を司る最高権限者」と云うことだろうと推定できる。「日を司る」とは暦を司ると云うことであり儀式の執行権を得ていることを示している。この時代の権力とはこういうものだったのではなかろうか。邪馬台国を大和の三輪、狗奴国を紀州の熊野に比定すると、魏志倭人伝の「これ女王の境界の尽きた所なり。その南に狗奴国あり」がそのまま理解できることになる。

 両者は出自が同じ故に出雲王朝圏として連合関係にあった。去る日、旧支配権者の熊野が新支配権者の邪馬台国に王権を譲り、統治ぶりを見守っていたと云うことであろう。これには魏志倭人伝の「その國、本亦男子を以って王と為す。住こと七八十年、倭国乱れ、相攻伐す。年を経て、すなわち共に一女史を立て王と為す。名は卑彌呼」とあるように霊能系の女帝を擁立することで倭国の混乱を治めたと云う事情があった。

 本来であれば、熊野系の狗奴国王が納まるところ、出自がはっきりしないが天照大神的霊統が認められた卑彌呼が新王になった。しかし、これにより本来の皇統であった狗奴国側に不満が残った。こうして、両者は同族的繫がりを持ちながらも暗闘関係にあったと推測できる。こう読みとれば、魏志倭人伝の「その南に狗奴国あり。男子を王と為す。その官に狗古智卑狗あり。女王に属さず」がそのまま理解できることになる。

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