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2013年4月 5日 (金)

「征韓論争、その後の士族の反乱」の歴史詐欺記述にもの申す

れんだいこのカンテラ時評№1127、5.15事件と2.26事件の相似と差異考その2」の2.26事件の再考により、皇道派青年将校が実は国際ユダヤの姦計により決起するべく扇動されたこと。事件後速やかに処断され、来る日米戦争遂行上、日本軍の戦闘能力を大きく殺がれたことを確認した。5.15事件が国際ユダヤ系軍部の蛮行であり、2.26事件がその真逆に位置しているものとして考察されねばならないことを指摘した。更に興味深いことは昭和天皇が見せた対応である。5.15事件に対しては温情的であり2.26事件に対しては厳罰を指示しているように窺える。これは偶然ではなく、昭和天皇と国際ユダヤとの妙な阿吽の呼吸を見て取ることができる。もとへ。こうなると同じような臭いのする1873(明治6)年の「明治6年政変、士族の反乱」の真相を確認しておきたくなった。

 「明治6年政変、士族の反乱」とは、通俗史書では征韓論争に端を発するとしている。端を発すると云う意味では問題はないが征韓論争と云う表記は正確ではない。この論争の主人公である西郷隆盛の論は正確には征韓論に対する和韓論又は議韓論とも云うべきものであり、史家はこの辺りを踏まえて征韓和韓論争と命名するべきところではなかろうか。征韓論と命名すると西郷の和韓論が隠れてしまい、あたかも西郷が征韓論を唱え、反西郷派が征韓論に異を唱えたかのように受け止められてしまう。これは歴史の詐欺記述ではなかろうか。

 これを確認するのに、かの時の西郷の弁は次のようなものである。「征韓論の真実考」に記す。
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/meijiishico/saigoco/seikanronronsoco.htm)

 これを読めば確認できるように、西郷は、「日・朝・清の三国連合により欧米列強の力に対抗せん」として、これを説得する為に単身乗り込もうとしていた。この「日・朝・清の三国連合によるアジア同盟論」こそ幕末維新派の外交テーゼであった。これを仮に「西郷式アジア同盟論」と命名することにする。

明治維新は、この「西郷式アジア同盟論」を却下し東アジアの盟主化へと向かうことになる。いわゆる日本帝国主義化である。これが自力の定向進化であったのか国際ユダヤの陰謀によるものであったか問わねばならないが本稿では割愛する。結末が大東亜戦争へと向かい日本民族瀕死の重傷を負ったのは史実の示すところである。もとへ。この流れと並走しつつ「西郷式アジア同盟論」は地下に潜りながら密かに継承されて行くことになる。2013年現在の今もこの対立が暗闘的に続いていると見て差し支えない。

 結局のところ、西郷は維新政府を見限り野に下る。この時、板垣が薩摩-土佐の軍事同盟を打診している。西郷は、「薩摩と土佐が組めば政府は明日にもひっくりかえるが、そんな事をすればイギリスやロシアを喜ばせるだけだ」として拒否している。ここでも、西郷の見据えていた外交戦略が確認できる。思えば、この眼力あればこそ幕末の内戦が回避され、江戸城無血開城へと至っていることになろう。西郷が西郷どんとして敬愛されるのは、西郷のこの眼力とその実践に負っているのではなかろうか。

 これが、かの時の歴史の真相である。これを思えば、「征韓論争で、西郷が征韓論を唱え、岩倉―大久保―伊藤連合派がこれに反対した」などと云う受け取りようはナンセンス極まりないことになる。西郷派は後に「士族の反乱」を起こすが、通俗歴史書はここでも歴史詐欺記述をしている。それらは、維新政府の士族解体、棒碌召し上げに異を唱えた「我がまま士族の反乱」などと描くのを通例としている。それは余りにも児戯的過ぎよう。正しくは、幕末維新以来の「革命の夢」が悉く裏切られ、国際ユダヤの姦計に嵌められつつある明治維新政府権力に対する幕末維新派の最後にして最大の抵抗として記述されるべきだろう。この観点を据えることによってのみ各地の「士族の反乱」の意義と無残な鎮圧のサマが見えてくる。

 れんだいこは、このところ「学んで為になる学問と却ってアホウになる学問の識別考」をものしている。本稿で取り上げた西郷の和韓論を征韓論で記述する史観、「士族の反乱」を武士の俸碌召し上げに対する抵抗などと記述する史観も学んでアホウにされる類のものである。手を替え品を替えて記述されるそれらのものを何万冊読もうとも、読めば読むほど目が曇らされることになる。5.15事件と2.26事件を共に軍部青年将校の反乱として同一視点から記述する史観も然り。近いところでは田中角栄を諸悪の元凶、小沢一郎を政界の騒動士的に描く論評も然りである。

 そういう愚説を唱える者ばかりが登用され「知の巨人」などと持て囃されつつプロパガンダされるので、それを鵜呑みにして正義ぶる愚頓士が後を絶たない。本日現在、石原慎太郎が「経済を蘇生させるには防衛産業が一番いい」などと述べ最後の狂説をぶっているようである。そして彼らが持ちあげられる。我々はそうした歴史の愚昧士、これに提灯する詐術師と闘うべきである。愚頓士は、れんだいこ史学の煎じ薬を飲むべきだろう。

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コメント

>西郷は、「日・朝・清の三国連合により欧米列強の力に対抗せん」として、これを説得する為に単身乗り込もうとしていた。この「日・朝・清の三国連合によるアジア同盟論」こそ幕末維新派の外交テーゼであった。
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まさにおっしゃるとおりです。長洲井上馨が薩摩大久保利通へ「西郷が征韓論を唱えている」と卑劣な嘘をついたのが西郷卿下野の真相であり、真実は軽薄な井上が征韓論、西郷が和韓論でした。大久保が後に斬殺されたのは西郷卿下野に憤慨した憂国の志士たちが暴発したのか、あるいは卑劣漢井上の手の者が西郷の朝堂復帰への便宜を大久保が図れなくするため計画的に襲ったのかわかりませんが、これで明治天皇に政治の要諦を説いていた直諫の英傑西郷隆盛は長州閥の君側の奸物の陰謀で錦の御旗に背く逆賊朝敵にされてしまったのです。
西南戦争で西郷自決の報を聞いた勝海舟が回天の偉業を成し遂げた真の天下の英雄が明治政府からついに絶え果てたと慨嘆したことが歴史に残されています。

投稿: 通りがけ | 2013年4月 6日 (土) 14時42分

 通りがけさん、補足ありがとう。いわゆる征韓論争の真相を正確に理解しないといけないですよね。

投稿: れんだいこ | 2013年4月 9日 (火) 19時20分

れんだいこ先生のおっしゃるとおり、征韓論争の真相が最も歴史上隠蔽されています。出雲国譲り、大化の改新と同じ日本史上最大の恥ずべき穢れた醜き煩悩の奴隷による改ざんであると考えています。
勝海舟と西郷隆盛は知っていました。高杉晋作大村益次郎亡き後の長州藩には武士道も大和魂も持たぬ屑しか残っていなかったことを。ゆえに勝海舟は新政府に参加せず民間から明治天皇に諫言する道を選び、西郷隆盛は南朝の末裔明治天皇の側に近侍して顔を合わせて直諫教育する道を選んだ。明治天皇はこの二人を師として学んだおかげで五箇条のご誓文を発し得て天皇の歴史中でも数少ない明君と称せられる天皇へと成長できたのです。
明治の元勲とされる伊藤博文、山県有朋(明治の創氏改名まで狂介という武士にあるまじき名でした)は武士道なき非人の出身で有るゆえに御政道の冒すべからざるを知らず権力を握ってそれを私することしか頭になかった。井上馨(改名前は聞多という)も御政道よりも私利私欲にしか関心が無かった。薩摩の大久保は武士ではなく事務処理に長けるだけの能吏にすぎず、勝海舟坂本龍馬吉田松陰高杉晋作西郷隆盛の欧米列強の軍事侵攻を防ぐ回天の大和魂と武士道を理解する器に欠けていたため、井上馨伊藤博文山県狂介ら長州閥の佞臣奸物の陰謀に易々と引っかかって西郷隆盛を朝堂から追放することに同意したのです。
この長州閥の佞臣奸物こそが幕末にイギリス密航してフリーメーソンの手先となった長州ファイブです。
坂本龍馬はフリーメーソンの侵略を防ぐためにフリーメーソンの力を逆利用しようとしただけであり、アーネスト佐藤の報告からそれに気づいたグラバーが会津藩見廻り組へ龍馬潜伏の居所情報を漏らして差し向けられた刺客に斬り殺されました。
話が逸れ始めたのでいったん止めます。

投稿: 通りがけ | 2013年4月15日 (月) 23時25分

 通りがけさんちわぁ。竜馬暗殺に「坂本龍馬はフリーメーソンの侵略を防ぐためにフリーメーソンの力を逆利用しようとしただけであり、アーネスト佐藤の報告からそれに気づいたグラバーが会津藩見廻り組へ龍馬潜伏の居所情報を漏らして差し向けられた刺客に斬り殺されました」 なる見解は当らずとも遠からずと同意します。市井には十指に上るほど竜馬暗殺説がありますが国際ユダヤに消された説はごく少数説です。竜馬のかの時の立ち働きが連中が目論んでいた内戦を回避させたことに怒り、刺客を送り込んだと推理できるのに、この推理に向かわせないようあれこれ珍説を流布させていると読めますよね。

投稿: れんだいこ | 2013年4月16日 (火) 22時17分

ここの論説に関係深い内容を書いたので。

「靖国神社は大和魂の招魂社である」
阿修羅「ユニクロ社長発言:貴方の会社の製品誰が買っている:孫崎 享氏」 (晴耕雨読)へのコメント
48. http://www.asyura2.com/13/hasan79/msg/643.html#c48
山口県の政治家も政商も日本で一番巨大裏利権(原発=核兵器=防衛軍事)の奥深くに食い込む最悪の税金泥棒売国奴の本拠地県だ。
http://seturibaika.blog72.fc2.com/blog-entry-491.html
明治の初代総理伊藤博文(明治創氏改名で新平民成りすまし(奇兵隊)士分として政府中枢にもぐりこみ明治政府を乗っ取った長州ファイブ英フリーメーソンスパイ破廉恥悪党)以来の邪悪の伝統である。
菅も山口県のエタ非人明治新平民の子孫だし、柳井も菅と同じ宇部高校出身だろwいま参院補選で争っている江島と平岡はどちらも都の西北エタ非人馬鹿だ大学東大卒だ。
山口県の巨大利権のうち防衛軍事利権では守屋防衛庁次官の汚職が有名だが、同時に上関原発県知事汚職が同時並行で進行していた。今の県知事も選挙前の原発建設凍結公約を早くも破り捨てている。

原発と核兵器は一体であるが、米軍岩国基地の指呼の先の近距離にある岩国大竹三井石油化学工場に劣化ウランが大量保管されていることが明らかになったが、この違憲違法な核物質保管も戦後すぐから山口県の政治家はすべて知っていたのである。http://enzai.9-11.jp/?p=11495
岩国基地周辺市民も岩国基地に戦後すぐ原爆が持ち込まれて保管されていることを自分の目で見た事実として知っていたからね。

つまり山口県の政治家こそが戦後日本最大の超巨額裏利権である防衛軍事利権と原発利権の二つを、憲法違反の核兵器利権として地位協定を隠れ蓑にして山口県で運用してきた、ユダ金フリーメーソンイルミナティ戦争の狂犬米軍のエコノミックヒットマン兼ジャッカルスパイなのであり、共産党の宮本顕治も田布施エタ非人の血筋であるように、自民党も社会党も共産党も政党にかかわりなく山口県の政治家は全員アメポチスパイでしかないのである。特に官僚では東大出身官僚は全員地位協定を憲法より上位に崇め奉る売国泥棒官僚である。現山口県知事のごとき官僚出身政治家はみなただただ官僚でいるより政治家のほうが私利私欲追求に便利であるから転身しているに過ぎない。伊藤博文エタ非人閨閥と東大閥という学閥を利用した国賊売国政治家の巣窟が山口県なのである。

山口県の政治家はみな日本人の矜持を捨てて欧米夷テキに諂い媚を売る売国奴の魂無しであり、真の愛国者金も名誉も命も惜しまぬ大和魂維新回天の志士郷土の英雄高杉晋作に顔向けできる者は絶無である。恥を知れ。

54. 2013年4月27日 17:41:09 : rWn9PLlcps
>>48
こうしてみると日本人と似非日本人を峻別するものは「親の躾け」だけであることがよくわかるであろう。
幕末に日本を世界最高の道徳民衆国家にした底力は日本人の大和魂と武士道であった。江戸時代に確立された武士道が日本人民衆の隅々にまで親から子への躾として浸透して日本国の高い品格が形成されたのである。

維新回天の偉業を成し遂げたのは水戸天狗党吉田松陰高杉晋作勝海舟西郷隆盛坂本竜馬らいずれも忠孝の道に殉ずる武士の大和魂だった。

親思う心に勝る親心今日のおとずれなんと聞くらむ
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬともとどめおかまし大和魂

吉田松陰の愛弟子高杉晋作は死の前に下関桜山に吉田松陰の遺志を継いだ報恩忠国の尊皇攘夷の戦いで命を落とした志士たちの魂を顕彰するための招魂社を築いた。
高杉晋作死後に長州藩士大村益次郎が同じ趣旨で東京靖国に志士たちの招魂社を築いた。これが現在の靖国神社である。

小泉とか安倍とか石原とかごとき大和魂も武士道も持たぬ品格無き新平民破廉恥売国奴が参拝できるような場所ではない。
恥を知れ。

投稿: 通りがけ | 2013年4月27日 (土) 19時34分

通りがけさんちわぁ。長州論はいつかやってみたいテーマですね。松下村塾の有能士が総員討ち取られ、その後を脇役の伊藤なり井上が牛耳り、幅を利かせ、この系譜が今日に至っていると云う欺瞞に鉄つい下さねば気がすまんですね確かに。

投稿: れんだいこ | 2013年4月27日 (土) 21時53分

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