« 「侵略の定義に関する決議」考 | トップページ | 原発推進組の歴史大罪をどう処罰すべきか考 »

2013年5月21日 (火)

ありし日の角栄演説、答弁考

 2013.5月中旬頃、ネット検索で「田中角栄の衆議院本会議発言一覧」に出くわした。求めていたものであり感謝至極である。ここで御礼を申し上げておく。れんだいこは、これまで、角栄語録、角栄演説をそれなりに拾っているが、角栄の国会答弁の項はなかった。この穴が埋まった気がする。但し、そのまま転載すると膨大な量になるので、全文確認は当該サイトでお願いし、れんだいこサイトでは角栄発言部分のみを抜き書きし閲覧に供することにした。

 目下、整理しながら素読しているところであるが、角栄答弁の質の高さを改めて目を見張って驚かされている。同時に角栄が能動的に立ち働いていた時代の国会の質の高さが分かる。とにかくみんな真剣に議論していた。逆に云えば、目下の国会と比すれば目を覆わんばかりの惨状が透けて見えてくる。現在の国会議員は無論のこと、政治に志ある者は以下のサイトを必読せよ。角栄の肉声を聞け。まずこれを言っておきたい。

 「田中角栄の衆議院本会議発言一覧
 (http://kokkai.sugawarataku.net/giin/hhr00182.html)
 「
(別章)田中角栄演説、答弁
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/enzetu/enzetu.htm)

 して、角栄演説、答弁の特徴はどの辺りにあるのだろうか。れんだいこが読みとるのに、角栄演説、答弁は、簡略にして要点を得て指導性を発揮しており、弁舌の内容そのものが論証的且つ実践的である。しかして応答が非常に丁寧かつ誠実である。今時のように相手の政治家を「先生」などとおだてあげずに「君」づけで向きあっているが、この緊張感の方が小気味良い。答弁原稿に対しても官僚任せにせず、よしんば官僚作成の原稿であろうとも理解して目を通しており、よって今時のような原稿を間違えると云うような失態はない。そういう意味で総じてこの種の模範足り得ている。

 もう一つ感心することは、今日の諸課題に対しても通ずる処方箋を、かの時点ながら示している点である。国政上の諸課題につき多岐にわたって言及しており、それぞれの分野に於いて角栄の見識を示している。現代日本政治はこれを習うべきであろう。実際には反対のことばかりしているのだが。

 これらがあいまって、学卒としては随一の東大閥から最も遠いところに位置しながら政治能力に於いて何ら遜色がないどころか抜きん出て圧倒している。角栄に対して「カネで政治を買った」なる俗説で悪しざまに云う者が絶えないが、エエ加減にせよと怒鳴りたい。こういう政治家の登場は戦後日本の僥倖であった。角栄を評する際には、かく視座を据えるべきである。

 となると、日共、立花隆式の「角栄金権政治論」、「諸悪の元凶角栄論」とは一体何だったのだろうか。そのデタラメぶりが次から次へと明らかになりつつある。日共は、これに対する政治責任を自問自答することなく、つまり一片の自己批判なきまま、今日も正義の人として角栄の一番弟子・小沢どん排撃に向かっている。れんだいこ的には満腔の義憤を覚えずにはいられない。日共、立花隆式の口車に乗って、角栄を悪しざまに評すことで己の正義を語っている者は今からでも遅くない、本稿で認識を改めよ。日本政治史上の至宝とも云える田中角栄を失脚させた頃から日本の転落が始まった。その挙げ句が今日の惨状である。このことを深く知ってほしい。

 思えば、角栄は、日本政治史上に己の生きざま、履歴、日本列島改造論、演説、答弁と云う貴重な証人を遺していることになる。国際ユダヤの系類が束になって何百万言費やして角栄を罵り葬ろうとも、この証人を消せやしない。証人が自らことごとく払いのけ、角栄の真実を語り続けている。心ある者、聞く耳を持つ者はじっくりと読み耽り味わうが良かろう。みんなで手分けして角栄の見直しに向かおう。

|

« 「侵略の定義に関する決議」考 | トップページ | 原発推進組の歴史大罪をどう処罰すべきか考 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 このブログを運否天賦さんが阿修羅版に転載紹介してくれ、それに対して「その角栄を裏切って創政会を旗揚げしたのが小沢一郎なんだけどね」なるレスが付けられている。こういう御仁を何と評するべきだろうか。れんだいこの角栄評は小沢どんの好評にも繫がるべきところ、これを遮断するコメントをしている。「創政会旗揚げ小沢主犯説」なるもので煙巻きする。

 これに似た例を知っている。れんだいこが出雲王朝を好評し大国主の命を礼賛している時、大国主の命ならぬ大年の命を持ちだして持ち上げ、返す刀で大国主の命を落とし込め、ないしは架空上の人物と言い切る。これを如何にも緻密そうに資料を駆使して煙巻きする。

 れんだいこに云わせれば構図が間違っているから、どうにも鼻もちならない。悪気があってかどうかまでは分からないが、幾ら学んでも本来の軌道、フィールドに乗らない。そういう学問が罷り通っている。れんだいこにはとても不愉快である。前にも述べたが、学べば学ぶほど学ばない時点より賢くならなければならないところ、余計に間違う。ここに学問の危険性がある。下手な学問、上手な学問論がいるやに見受けられる。

投稿: れんだいこ | 2013年5月24日 (金) 10時19分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1453913/51720182

この記事へのトラックバック一覧です: ありし日の角栄演説、答弁考:

« 「侵略の定義に関する決議」考 | トップページ | 原発推進組の歴史大罪をどう処罰すべきか考 »