「平仮名いろは歌土器」考その4
「平仮名いろは歌土器」考で云い忘れていたことがありその4として追加しておく。「日本語には他の言語ではマネのできない芸当がある。それが和歌である」として縷々述べたが、歌のほかにも話芸があり、これについても述べておく。他の言語でも可能なのだろうが、日本語が鍛えに鍛えてきた独特の次のような話芸があることを確認せねばならない。
その筆頭は落語であろう。小話しから長話しまで演目は二千をくだらない。次に漫才、漫談、講談、浪曲、浪花節、詩吟、民話小話しと続く。これに歌舞伎、能、狂言、文楽、浄瑠璃等の古典芸能の語りも加わる。一体、世界の諸言語の中で、これほど話芸を磨いている言語が他にあるのだろうか。
世界最古の長編文学として知られる紫式部の源氏物語、同時代の清少納言の随筆は日本の宝である。全編が流暢な大和言葉で書かれている。この大和言葉の過半がその後の日本語から消えており、今では古文学の素養をもってしか読めない。史書はさらに古く古事記、日本書紀、古史古伝がある。それらは他のどの民族のそれに比しても引けを取らない民族の歴史書足り得ているであろう。平家物語、太平記等の軍記物も残されている。これらを思えば、日本語そのものが最初の国宝に値するのではなかろうかとさえ思う。
2013(平成25).7.16日付けの毎日新聞「余録」が興味深い次のような話しを記している。「その場面を想像すると、思わず頬が緩んだ。今月初…」と題して「今月初め、ブルネイで開かれた東南アジア諸国連合地域フォーラム(ARF)に参加した中国の王毅(おう・き)外相と米国のラッセル国家安全保障会議アジア上級部長が宿泊先で、日本語で立ち話をしたという。知日派の2人は、北朝鮮の核問題などで意見交換したようだ▲ラッセル氏は近く国務次官補に就任する東アジア外交のキーマンだ。大阪・神戸総領事時代に何度か話す機会があったが、日本語のうまさにはいつも感心させられた。一緒に参加した国際シンポジウムでも、日本語での当意即妙(とういそくみょう)の受け答えで聴衆を魅了した▲王氏の日本語能力も負けてはいない。日本大使時代、財界人相手に行った講演を聴いたことがあるが、見事な日本語で中国の立場や日中関係の重要性を訴えていた。あの2人が日本語で話し合ったのなら、細かなニュアンスまでやり取りしたことだろう▲外交官として日本語を身に着けた両人は特別なケースとしても、国際交流基金の昨年の調査によると、海外での日本語学習者は398万人を超え、2009年の調査に比べ9%増えている。国・地域別では、中国が27%増の約105万人で、初めてトップになった」云々。
れんだいこには実に興味深い話しだ。フォーラムの席で、米中二人の外交官が国際公用語としての英語ではなく日本語で立ち話しをしたと云う。これはどういうことだろうか。日本語に習熟すれば英語よりも「細かなニュアンスまでやり取り」できると云うことではなかろうか。
次に海外での日本語学習者が増えていることも伝えている。これは、日本の経済力が増す中での現象であれば容易く理解できる。ところが承知のように日本の国際的地位がどんどん低下しつつある中での日本語学習者の増大である。これをどう理解すべきだろうか。れんだいこには、芸術言語としての日本語の魅力が次第に世界で認知されつつあるとしか考えにくい。台湾では日本統治時代に得た日本語が廃れていないとも聞く。
これらを思えば、当の日本が日本語を粗末にしながら英語国民化へ向かおうとしている折柄、世界が日本語を育てようとしていると云う仮説に辿り着く。滑稽な話しではなかろうか。黒船以来百五十年の間に米欧イズムの捕囚とされた政治家が「バスに乗り遅れるな」として日本語不要論、英語早期教育論をけしかけつつあるが、「バスに乗り遅れている」のは果たしてどちらなのだろうかと考えてみたくなる。
2013.7.16日 れんだいこ拝
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