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2013年8月

2013年8月19日 (月)

東電・吉田昌郎(元福島第1原発所長)の殉死考

 2013.7.27日・8.3日合併号「週刊現代」のジャーナリスト:門田隆将の吉田昌郎インタビュー「あの時、確かにひとりの男がこの国を救った」によれば、福島第1原発所長・吉田昌郎は、官邸-東電ラインの海水注入中止命令に対して敢然と拒否し注入を続けた。この英断が「チェルノブイリの10倍」の事故被害を食い止めたとして称賛されている。これを「吉田所長の英断」と云う。これにつき思うところを記しておく。

 「吉田所長の英断」は然りである。しかしながら、それは当面の措置であり問題は先送りにされたに過ぎないのではないのか。「先送りの功あり」的には評価されようが、この観点からの評価はさほど称賛されるべきではないのではなかろうか。それはともかくこれが第一評価である。第二評価は、実はこれが凄いことであるが、当時、福島原発事故が誘導想定されており、「吉田所長の英断」はこのシナリオを崩した。このことが称賛されるべきではないのか。結果的には同じであるが、「吉田所長の英断」が何に対する英断なのかと云う点で光芒が違ってくる。

 「当時、福島原発事故が誘導想定されていた」とはどういうことか。これを補強する史実を確認する。独立党党首・コシミズ氏の「2013.8.10 リチャード・コシミズ岐阜講演会 」その他で確認できるが、「2013.8.8日午後4時55分頃、奈良県と大阪府で最大震度6弱から7程度の緊急地震誤報事件」が参考になる。かの時、気象庁は無論、フジテレビの安藤優子アナも「地震が発生した」と過去形で報道している。これに対し、コシミズ氏が、9.11テロ時の米CNNテレビによる世界貿易センタービルに隣接するビル崩壊の事前報道の例を挙げ、これと同じであると指摘している。即ち、前もって筋書きが作られており、それに基づきアナウンサーが原稿読みしていたと云う事実が確認できる。「2013.8.8日の奈良地震事前報道」はこれと同種のものであり、誤報と化したと云う点で極めて稀な例である。

 この問題の重要性は、3.11三陸巨大震災に伴う福島原発事故も事前に誘導想定されており、その想定が、「吉田所長の英断」によって狂わされたのではないのかとの推理を生むことにある。その詮議はさておき、「3.11福島原発事故が事前に想定されていた」と仮定すれば、その後の対応が整合的に理解できることがもっと注目されてよい。自衛隊10万人動員態勢、米国艦隊の沖合停泊、被災民に対する灯油、ガソリン支給規制による閉じ込め、公共広告機構による仁科親子の子宮がん検診コマーシャルの朝から晩までの執拗な放映、用意周到な関東圏ブロック別計画停電、これに基づく都電運行規制等々はどう考えても用意周到に計画されていたとしか思えない措置である。

 これを思えば、「菅首相の東電乗り込み武勇伝」は一定の真実味を帯びてくる。それは、シナリオ通りに動こうとする東電中枢に対する「叛旗の怒鳴り込み」だったのではなかろうか。れんだいこは、これに関しての菅首相の言い分は尤もな面がある思える。補足しておきたいことは、「菅首相の東電乗り込み武勇伝」は、吉田所長以下福島50のサムライと称される身を捨てた原発爆発阻止行為が誘導した、これに対する呼応であり、彼らの奮闘努力がなければあり得なかったのではなかろうか。

 つまり、福島原発爆発危機は現実にあった、想定されていた、誘導されていたのであり、吉田所長以下福島50のサムライがそのシナリオを崩したということが言えるのではなかろうか。そういう意味で、このシナリオを崩した「吉田所長の英断」はまさに称賛に値するのではなかろうか。しかしながら、冒頭に述べたように、とりあえず爆発計画を阻止しただけであり、それは問題先送りであり、これに対する賢明なる対策こそ「次のサムライの仕事」となっているのではなかろうか。かの時のサムライが健在なのか放射能病魔に犯されているのか分からないが、「次のサムライ」が要請されているのは間違いない。

 それはともかく、民主党菅政権、野田政権、自民党安倍政権及び東電の無策ぶりが信じられない。その緩慢な対応ぶりは、日延べされた福島原発の再爆発シナリオと呼応しているようにさえ見える。この勢力を放逐する以外に日本の再生はないのは自明のように思える。

 この攻防戦は既に開始されていると読む。このところマスコミを通じて日本の国際責任論が奏でられて久しいが、軍事防衛上の米軍指揮下の国際責任論ではなく、こういうところの日本人の国際責任能力が試されているのではないかと思う。この政治が生み出されるのは生活党と社民党の合同による新潮流によってしか為し得ず、他の政治勢力では絶望と読む。

 2013.8.19日 れんだいこ拝

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2013年8月16日 (金)

れんだいこの新邪馬台国論による日本史荒スケッチ

 今日は2013.8.15日である。この日に「れんだいこの新邪馬台国論による日本史荒スケッチ」を捧げておこうと思う。れんだいこの新邪馬台国論は、今明らかに或る可能性を求めて生まれつつある。それは単に邪馬台国の所在地をどこそこに比定し、当時の風俗、政体を知ることにのみ興味があるのではない。大和王朝以前の原日本の在り方を知り、その原日本の高度文明性を窺い、これをどう現代に蘇生させるのかの狙いを持っている。

それは同時に、現代の無思想社会に於ける新たなカンテラの役目を持っているのではなかろうかと期待している。このカンテラは、日本のみならず、現代世界の混迷、その貧相な処方箋からの脱却を秘めているのではなかろうかと仮想している。仮にそういう期待が望めるのなら、これを明らかにしない手はないだろう。れんだいこの新邪馬台国論の意義はここにある。

 そのれんだいこの邪馬台国論は、邪馬台国を「ヤマトの三輪」の地に求めるようになりつつある。総合的に俯瞰すれば「ヤマトの三輪」に比定することにより理解が整合的になるように思っている。「ヤマトの三輪」にこそ邪馬台国があったのであり、この地に邪馬台国以前よりの分権的な王朝があったのではないかと考えている。これを仮に三輪王朝と命名する。三輪王朝は出雲王朝と縁戚関係にあり、いわば出雲王朝のヤマト地方に於ける出先機関にして、あるいは国譲り後の出雲王朝の後継政権であったように思われる。もう一つ、古代史上に於ける四国阿波-讃岐の地位も相当なものである。これとの因果関係が分からないので苦労しているが、相当に深い関係があったように思われる。

 この出雲-三輪王朝こそが在地土着型即ち国津族による日本史上初の王権王朝であったと推定できるのではなかろうか。この時代に、日本の古型としての:言語、文字、政治経済文化が確立されていた。この時代に日本人の精神、風俗、社会、身分、国家のスタイルが定まった。これが社会学及び文化人類学的な意味での「原日本」なのではなかろうか。この認識を得ることが日本史を紐解くキーではなかろうか。こうなると、問題は、出雲王朝-三輪王朝ラインの政治を日本政治の原形、それを滅ぼして以降の大和王朝ラインの政治を新形として区別し認識した方が良いように思われる。これが日本政治の質を歴史的に確認する為の学問的方法となるべきであると思う。

 その三輪王朝が天孫族(を僭称する外航族)によって攻め滅ぼされる。三輪王朝の最期の政体としての邪馬台国に代わって大和王朝が建国される。記紀神話は、この過程を正統化させる為の国定史書と推定できる。この傾向は日本書紀の方が古事記より強い。という理由により、記紀神話にのみ依存しては日本古代史は解けない。

 ここに本居宣長が登場する。本居史学は単なる神話として片づけられていた記紀既述に歴史の根拠を求めようとして営為した。その手法として、日本書紀よりも古事記の方に価値を見出そうとしていた。ここに功績がある。但し古事記世界より出ることを自主規制していた。ここに限界が認められる。いずれこの本居学は乗り越えられねばならなかった。

 この時、平田篤胤が登場する。平田は、本居史学の功績をそれとして認めつつも、本居史学が抑制していた更に先の古代史に分け入ろうとした。これにより平田史学が日本古代史の視野を更に先へ広げた。ここに平田史学の功績がある。但し、平田史学は怨霊怪奇現象の方に関心を寄せ過ぎており、その意味では先覚者の業績に留まるきらいがある。

 平田史学が扉をこじ開けた日本上古代史の研究が受け継がれねばならないところ、平田史学派は幕末維新から明治維新の政治的激動に接近し過ぎて、結果的に西郷派なき後の日本帝国主義化の従僕となり、近代天皇制のイデオローグと化し、薄っぺらな皇国史観の確立に向かった。それが大東亜戦争の敗戦により大鉄槌を喰らい今日へ至っている。

 これを平田史学右派と命名すれば、平田史学左派はまだ登場していない。れんだいこ史学はこの系譜のものではなかろうかと自認している。ここに史上の意味と値打ちがある。但し緒に就いたばかりで、これと云う業績を上げている訳ではない。あるいは、平田史学につき詳細には知らないので、知れば袂を分かつかも知れない。そういう意味で未だ流動的である。

 他方、その後に津田史学が登場する。津田史学は、本居学、平田学を否定し、記紀神話に史実性を認めないところから始発している。これは、皇国史観の欺瞞を討つには役立つが、本来の日本古代史、上古代史解明に対しては逆行的な学問的態度と云うべきではなかろうか。よしんば皇国史観の詐術的歴史観を否定するのに功があるにせよ、「原日本」の解明に向かわない皇国史観批判論は「赤子をたらいごと流す」愚に似ている。日本マルクス主義がそうした限界を持つ津田史学の系譜を引いているとしたなら、そもそもここに無能さが極まっていると云うべきではなかろうか。

 今や、我々は、記紀神話の先の日本古代史に光を当てねばならない。日本古代史の秘密を解き明かさなければならない。そういう意味で、記紀以前の史書が欲しい。これが仮に存在するとしたなら、その記述を知りたい。これを詮索するのが興味深いのだが、いわゆる古史古伝がこれに相当すると思わるのだが、今日公開されている古史古伝はあまり当てにならない。それはなぜか。本当に記紀以前の史書かどうか疑いがあるからである。仮に原書がそうであったとしても、写筆過程での書き替え改竄の可能性が強い。その為に信に足りない。但し、記紀よりも正確な史実を伝えているとみなされるべき記述もあり、この辺りは大いに学ぶべきであろう。これが古史古伝に対する態度となるべきである。

 ともかくも邪馬台国滅亡前後の史書が不在である。これは、出雲王朝-三輪王朝-邪馬台国の滅亡に関係しているように思われる。これが為、この時代の歴史が地下に潜った。これが為に邪馬台国滅亡前後の史書不在となっているように思われる。とはいえ、ここがまことに日本的なのだが、出雲王朝-三輪王朝-邪馬台国は完全に滅亡されたのではない。彼ら旧政権派は、国譲り譚で判明するように、政権は譲り渡したが宗教的権威及び活動は担保され歴史に生き延びた。政治的には一部が新政権の大和王朝に組み込まれて残存し、一部が追放され東へ東へと逃げ延びて行くことになる。一部が人里離れた山岳に篭り鬼神化させられて生き延びる。この過程は西欧史の如くな皆殺しジェノサイドではない。

 興味深いことは、大和王朝内の政権の一角に組み込んだ出雲王朝-三輪王朝-邪馬台国派が、その能力の高さ故に後々重要な影響を及ぼし続けたと看做されることである。こうして、その後の日本史は、原日本時代、新日本としての大和王朝時代、新日本と原日本の練り合わせによる新々日本の創出へと向かったのではなかろうか。この日本が今日へ至っているのではなかろうか。以上を踏まえると、日本はほぼ単一民族化しているとみなせるが単一社会ではない、むしろ原日本、新日本、その他を織り交ぜた複合練り合わせ社会と云うことになる。こういうところを政治家が認識していないと国運の舵取りを誤ることになる。

 この日本史に特異な現象として、現代史的に意味のあるところだが、戦国時代期及び江戸幕末期よりネオシオニズム勢力が食い入って来たことであろう。戦国時代期のネオシオニズムは衆知の過程を経て排斥された。ところが江戸幕末期の黒船と共に来襲して来たネオシオニズムはその後の日本史への容喙を続けて今日に至っている。その政治はここへ来て次第に露骨化し始めている。

 ネオシオニズムも又日本化するのなら一法であるが、連綿と形成されてきた日本を溶解し植民地化せんとし続けている。その壊しようはあたかも、ネオシオニズムと思想的に最も鋭角的に対立している日本思想そのものの撲滅を期している感がある。思想がそうなら社会もそうとして日本社会の絆を根底的に殲滅せんとしている形跡が認められる。こうなると、日本的なものを愛する我々との間には非和解的な抗争しかない。そういうことになろう。

 2010.7.28日 2013.8.15日再編集 れんだいこ拝

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2013年8月11日 (日)

勝てば官軍、敗ければ賊軍考

 今日は2013(平成25)年の8月11日、お盆入りである。辞典解説によると概要次のように記されている。

 「本来は旧暦の7月15日前後、新暦では8月15日前後に行うの先祖供養の行事である。多くの地方では8月13日の『迎え盆』から16日の『送り盆』までの4日間を『お盆』としている。『お盆』には先祖の霊が帰ってくるとされており、各家庭ではお墓と仏壇の掃除をした後、戸口に盆灯籠、玄関や軒下に盆提灯を吊るして出迎える。仏壇にはダンゴを供え、精進料理やキキョウ、オミナエシ、ハギ、山ユリ、蓮の花などの盆花を飾る。オガラを燃やして迎え火を炊く風習もある。これを『盆迎え』と云う。期間中に僧侶を招いて『棚経』(たなぎょう)をあげてもらう。16日の夜になると霊が帰るので『送り火』を炊いて送り出す。供物をわらや木で作った舟に乗せて川や海に流す行事もある。これを『精進流し』(しょうろながし)と云う。灯籠(とうろう)を流すところもある」。

 この行事を仏教で説明するのが通説であるが、日本の古神道以来の祖先崇拝教説と仏教的教説行事が合体した神事仏事と捉えた方が正確のように思える。何でもかんでも外来由来で捉えるのは「悪しき外来伝播説風習の学説」でしかないと思う。諸事に於いていえることだが、それまでの日本に自生していたものとの練り合わせを考える思考が必要と思っている。

 れんだいこはむしろ「お盆」の起源は、この時期が炎天下による疲労の極致に達することを見極めた上での「骨休み」から由来しているのではないかと思っている。即ち「日本暦法に基づく日本的知性による賢明なる一年の過ごし方行事の一環のもの」ではないかと思っている。こういう目線で捉えると、正月から始まり年の暮れに至る様々な行事がこの種のシリーズものであることが判明する。こういうところはもっと注目されても良い。日本は昔からなかなか味わい深い暦を持っていることになる。

 もとへ。ここでは「勝てば官軍、敗ければ賊軍」を愚考する。これも日本式の簡略明察な諺(ことわざ)の一つである。この名言は、勝った官軍側のご都合主義的プロパガンダを川柳的な「穿(うが)ち」心で見抜いているところに値打ちがある。この名句がふと浮かんできたのが今年のお盆の特徴であった。恐らく先日の「麻生副総理のナチスの如く舌禍事件」が影響しているものと思われる。こう云えば既に賢明なる者は、現在の反ヒットラー、反ナチス論が「勝てば官軍、敗ければ賊軍」式に生み出されたご都合主義理論に過ぎないものではないかと勘繰り始めるであろう。それで良い、そういうことが言いたいわけである。

 「勝てば官軍、敗ければ賊軍」の鮮やかな適用例は、幕末維新に於ける朝廷軍と幕府軍の戦いとなった戊辰戦争であろう。あるいは明治維新に於ける明治政府軍と西郷隆盛軍の戦いとなった西南の役であろう。これを昔にさかのぼればキリがない。古事記、日本書紀の高天原王朝論なぞ最たる例であろう。いずれも勝った方に都合の良い歴史の読み取り方を定式化させ今日の通説とせしめているものである。「勝てば官軍、敗ければ賊軍」言葉の面白さは、この一言二言の中に「勝者側のご都合主義的論理論法」を見事に見抜いて皮肉っているところにある。

 さて、「麻生副総理のナチスの如く舌禍事件」(以下、「麻生舌禍事件」と命名する)について愚考してみる。れんだいこの読み通り、ユダヤ人権利保護団体サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)の口車に合わせて、政界的には右から左まで、マスコミを筆頭とする各界様々の自称名士が一斉に対麻生殲滅戦に出張り始めている。麻生発言の吟味は後景に退いており、SWCの指令の下でかくも多勢が口裏を合わせていることの方に興味が湧く。この光景は既に何度も見てきた。大きな事件では田中角栄を失脚せしめたロッキード事件の光景、角栄政治の後継者・小沢一郎を失脚せしめ中の小沢キード事件の光景、そしてこたびの麻生太郎を失脚せしめ中の「麻生舌禍事件」の光景と繋がる。その他の例を挙げればキリがない。

 れんだいこ的には「麻生舌禍事件」について、これにより従来式の反ヒットラー、反ナチス論の見直しに向かえば思わぬ副産物と考えている。恐らくこの道は閉ざされるのであろうが、「麻生舌禍事件」が日本の戦後政治史上にその契機を与えたという点ではなかなかの功績ではなかろうかと思っている。

 ここでは「勝てば官軍、敗ければ賊軍」式の反ヒットラー、反ナチス論のウソについてまで言及しようとは思わない。せめてヒットラー狂人論についての真偽ぐらいは確認しておきたいと思っている。通説のヒットラー狂人論に従えば、かの時代のドイツ人は皆なが皆な、この狂人の虜(とりこ)になったことになるが、それは余りにもドイツ人の知性を軽薄化し過ぎていよう。ドイツ人をしてヒットラー&ナチス政治に賛意せしめた歴史の原因について、もう少し学究的に解析してみたいと思っている。ヒットラー狂人論は、そういう学問的営為を閉ざす暴論であって凡そ歴史の真実とは違うと思っている。

 幸い、今のところの日本にはドイツその他西欧諸国に強制されているような「ナチズムのプロパガンダ及びそれに類する行為」を民衆扇動罪として裁く法律はない。今後はTPPの国際スタンダード網が適用されると分からないが今のところは大丈夫である。してみれば、日本では少し冷静な研究ができる余地がある。しかしながら実際には閉ざされている。むしろ自主規制で「勝てば官軍、敗ければ賊軍」論法を受け入れている。これを下敷きにした歴史論ばかりが次から次へと増刷されている。こういう場合、同じ系統の書物だから幾ら読んでも賢くならない否却ってアホウにされてしまう。我々はそういう状況下に置かれている。

 以上。「麻生副総理のナチスの如く舌禍事件」から「勝てば官軍、敗ければ賊軍」を思いだし、既成のヒットラー狂人論に眉唾し始めたれんだいこの知的感性を面白いと受け止めて下されるだろうか。烈火の如くのバッシングをいただくことになるのだろうか。これが2013お盆のれんだいこ発信録である。

 2013.8.11日 れんだいこ拝

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2013年8月 3日 (土)

「麻生のナチスの如く舌禍事件」考

 2013.7.29日、麻生の「ナチスの如く発言」が物議を醸している。これを仮に「麻生のナチスの如く舌禍事件」と命名する。

 れんだいこの見るところ多少オーバーラン的物言いであるが、いつもの麻生式放言の範疇のもので、サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)が出てくるのは勝手であるにせよ、雑誌「マルコポーロ」の廃刊に匹敵するような麻生失脚まで追い詰めるには値しないと判断する。しかし、SWCの後ろ盾を得たマスコミ及び社共及びその類の批判が執拗に続けられようとしている。まもなく鎮火しようが、興味は麻生追い落としの政治的背景の勘繰りにこそある。

 発端が、保守系改憲&軍事防衛推進派のシンクタンクとして知られている公益財団法人「国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)」主催の東京・平河町の都市センターホテル・コスモスホールでの「日本再建への道」と題した7月月例会の場である。

 この時、麻生は、国基研からの櫻井理事長、田久保忠衛・副理事長(「日本会議」代表委員)、遠藤浩一・拓殖大学大学院教授、ゲスト・パネリストとして麻生太郎・副総理兼財務・金融担当相、西村眞悟(無所属)、笠浩史(民主党)の両衆議院議員3名が登壇している。政治家、メディア関係者、会員、一般参加者など合わせ540人が詰めかけている。

 この場での「麻生発言」が問題化されたが、こうなると対談座長の櫻井よしこ理事長の弁が一言あってしかるべきではなかろうか。音沙汰がないのが不自然である。こういう時に矢面に立たない櫻井よしことは何者ぞ。こうなると、麻生は「飛んで火に入る夏の虫」とばかりに誘い込まれたと読むことも可能である。

 「麻生のナチスの如く舌禍事件」は麻生失脚騒動に転じつつある。この背景には安倍政権の後継問題がある。安倍政権は挙党一致体制とはいえ、これを子細に見れば安倍-麻生連合政権の観がある。自民党内ではこの後継を麻生ラインが引き継ぐのか石破-石原ラインが引き継ぐのかを廻って暗闘している。そのさ中の麻生失脚騒動であるからして石破-石原ラインには好都合な事態となっている。こういう流れの中でのSWCまで巻き込んだ巧妙な麻生失脚騒動の臭いがする。こう読む必要がある。

 SWCの笛吹きに合わせてマスコミが又もや調子を合わせている。ここでは2013.8.2日付け毎日新聞社説「:麻生氏ナチス発言 撤回で済まない重大さ 」を確認する。この社説士は麻生発言に対し、「麻生氏は討論会で自民党の憲法改正草案は長期間かけてまとめたとも強調している。そうしてできた草案に対し、一時的な狂騒の中で反対してほしくない……本音はそこにあるとみるのも可能である」と評している。

 社説士の読解能力が危ぶまれるところである。これは何も毎日社説だけではない。SWC的理解の下請け的に各社が同様の見解を述べている。しかし、れんだいこは、1950年末の池田蔵相の「貧乏人は麦を食え発言騒動」と似ていると解している。かの時も、池田蔵相はマスコミが造語したような発言はしていないにも拘わらず「貧乏人麦食え発言」として一斉に批判されている。「ナチスの手口を見倣え発言」も相変わらずのマスコミ扇動の感がある。

 これにつき麻生にも責任があることはある。なぜなら、何もわざわざ「手口をまねる」などの怪しげな言葉づかいをする必要がないのに持ち出しているからである。これが為に騒動を呼ぶことになった。「麻生発言」は例によって非論理的、舌足らず、漫画好きなところを評すれば漫画的なものである。

 が、れんだいこが読解すれば、毎日新聞論説士の読解の反対の如くに読める。即ち、麻生発言の趣意は、衆参で絶対多数を握った政権与党が暴力的に一気に改憲しようとする動きに出る恐れに対し、数の論理で強行採決までして為すべきではないと述べていると読める。「私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない」の真意は、野党の反対に対してではなく与党に対する自制の弁であると解する方が自然である。それを、「自民党草案に対し、一時的な狂騒の中で反対してほしくない」と読解するのは逆の受け取りであり即ち為にする曲解であろう。

 「あの手口を学んだらどうか」も然りである。SWCは、「ナチスの手口を学んだらどうかと述べている」としているが曲解である。正確には「ナチス」ではなく「ドイツ」と読み「ドイツの手口を学んだらどうか」と読解した方が真意に近いであろう。もとより、「麻生発言」が既に述べたように非論理的、曖昧、漫画的なものなので読解するのに誤解を生み易い下地はある。

 但し、批判するのなら、その前に当の発言を正確に読み取る読解能力を持つべきではなかろうか。麻生の言語能力が低いところへ、さらにそれ以下的な読解能力を見せて批判の合唱に転ずるなどはよほど恥ずべき愚挙でしかない。

 これについては、れんだいこのみならず他の者も指摘している。れんだいこは、橋下大阪市長の弁を好評することは滅多にないが、麻生氏の発言について大阪市役所で記者団の質問に答え、「ちょっと行き過ぎたブラックジョークだったんじゃないか」、「ナチスドイツを正当化したような趣旨では全くない。憲法改正論議を心してやらないといけないということが趣旨だったんじゃないか」と述べている。これは真っ当な見識である。

 れんだいこの「麻生のナチスの如く発言事件」のもう一つの興味は、例によってSWCが登場し、ヒトラー及びナチス問題の薀蓄を披露した挙句に解釈の仕方までをテキスト化し、そのテキスト通りに口パクしている日本言論界のお粗末さを浮上させたところにある。ご丁寧なことに社民党、共産党がいち早くSWC声明に沿う形で批判声明している。これが日本左派運動の生態であり、この生態が本来のものではないことを、この現場で確認すれば意味がある。

 民主党の海江田代表の弁も然りでお粗末の極みである。生活の党の小沢代表の「麻生副総理のナチス発言、内閣の本音を示す」も似たり寄ったりの弁で物足りない。と云うか、生活の党だけは単なる批判に堕さず、世の冤罪的なものを庇護する側に回ってほしいと思う。そういう度量が欲しい。そういう党がないのが寂しい。

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