「麻生のナチスの如く舌禍事件」考
2013.7.29日、麻生の「ナチスの如く発言」が物議を醸している。これを仮に「麻生のナチスの如く舌禍事件」と命名する。
れんだいこの見るところ多少オーバーラン的物言いであるが、いつもの麻生式放言の範疇のもので、サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)が出てくるのは勝手であるにせよ、雑誌「マルコポーロ」の廃刊に匹敵するような麻生失脚まで追い詰めるには値しないと判断する。しかし、SWCの後ろ盾を得たマスコミ及び社共及びその類の批判が執拗に続けられようとしている。まもなく鎮火しようが、興味は麻生追い落としの政治的背景の勘繰りにこそある。
発端が、保守系改憲&軍事防衛推進派のシンクタンクとして知られている公益財団法人「国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)」主催の東京・平河町の都市センターホテル・コスモスホールでの「日本再建への道」と題した7月月例会の場である。
この時、麻生は、国基研からの櫻井理事長、田久保忠衛・副理事長(「日本会議」代表委員)、遠藤浩一・拓殖大学大学院教授、ゲスト・パネリストとして麻生太郎・副総理兼財務・金融担当相、西村眞悟(無所属)、笠浩史(民主党)の両衆議院議員3名が登壇している。政治家、メディア関係者、会員、一般参加者など合わせ540人が詰めかけている。
この場での「麻生発言」が問題化されたが、こうなると対談座長の櫻井よしこ理事長の弁が一言あってしかるべきではなかろうか。音沙汰がないのが不自然である。こういう時に矢面に立たない櫻井よしことは何者ぞ。こうなると、麻生は「飛んで火に入る夏の虫」とばかりに誘い込まれたと読むことも可能である。
「麻生のナチスの如く舌禍事件」は麻生失脚騒動に転じつつある。この背景には安倍政権の後継問題がある。安倍政権は挙党一致体制とはいえ、これを子細に見れば安倍-麻生連合政権の観がある。自民党内ではこの後継を麻生ラインが引き継ぐのか石破-石原ラインが引き継ぐのかを廻って暗闘している。そのさ中の麻生失脚騒動であるからして石破-石原ラインには好都合な事態となっている。こういう流れの中でのSWCまで巻き込んだ巧妙な麻生失脚騒動の臭いがする。こう読む必要がある。
SWCの笛吹きに合わせてマスコミが又もや調子を合わせている。ここでは2013.8.2日付け毎日新聞社説「:麻生氏ナチス発言 撤回で済まない重大さ 」を確認する。この社説士は麻生発言に対し、「麻生氏は討論会で自民党の憲法改正草案は長期間かけてまとめたとも強調している。そうしてできた草案に対し、一時的な狂騒の中で反対してほしくない……本音はそこにあるとみるのも可能である」と評している。
社説士の読解能力が危ぶまれるところである。これは何も毎日社説だけではない。SWC的理解の下請け的に各社が同様の見解を述べている。しかし、れんだいこは、1950年末の池田蔵相の「貧乏人は麦を食え発言騒動」と似ていると解している。かの時も、池田蔵相はマスコミが造語したような発言はしていないにも拘わらず「貧乏人麦食え発言」として一斉に批判されている。「ナチスの手口を見倣え発言」も相変わらずのマスコミ扇動の感がある。
これにつき麻生にも責任があることはある。なぜなら、何もわざわざ「手口をまねる」などの怪しげな言葉づかいをする必要がないのに持ち出しているからである。これが為に騒動を呼ぶことになった。「麻生発言」は例によって非論理的、舌足らず、漫画好きなところを評すれば漫画的なものである。
が、れんだいこが読解すれば、毎日新聞論説士の読解の反対の如くに読める。即ち、麻生発言の趣意は、衆参で絶対多数を握った政権与党が暴力的に一気に改憲しようとする動きに出る恐れに対し、数の論理で強行採決までして為すべきではないと述べていると読める。「私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない」の真意は、野党の反対に対してではなく与党に対する自制の弁であると解する方が自然である。それを、「自民党草案に対し、一時的な狂騒の中で反対してほしくない」と読解するのは逆の受け取りであり即ち為にする曲解であろう。
「あの手口を学んだらどうか」も然りである。SWCは、「ナチスの手口を学んだらどうかと述べている」としているが曲解である。正確には「ナチス」ではなく「ドイツ」と読み「ドイツの手口を学んだらどうか」と読解した方が真意に近いであろう。もとより、「麻生発言」が既に述べたように非論理的、曖昧、漫画的なものなので読解するのに誤解を生み易い下地はある。
但し、批判するのなら、その前に当の発言を正確に読み取る読解能力を持つべきではなかろうか。麻生の言語能力が低いところへ、さらにそれ以下的な読解能力を見せて批判の合唱に転ずるなどはよほど恥ずべき愚挙でしかない。
これについては、れんだいこのみならず他の者も指摘している。れんだいこは、橋下大阪市長の弁を好評することは滅多にないが、麻生氏の発言について大阪市役所で記者団の質問に答え、「ちょっと行き過ぎたブラックジョークだったんじゃないか」、「ナチスドイツを正当化したような趣旨では全くない。憲法改正論議を心してやらないといけないということが趣旨だったんじゃないか」と述べている。これは真っ当な見識である。
れんだいこの「麻生のナチスの如く発言事件」のもう一つの興味は、例によってSWCが登場し、ヒトラー及びナチス問題の薀蓄を披露した挙句に解釈の仕方までをテキスト化し、そのテキスト通りに口パクしている日本言論界のお粗末さを浮上させたところにある。ご丁寧なことに社民党、共産党がいち早くSWC声明に沿う形で批判声明している。これが日本左派運動の生態であり、この生態が本来のものではないことを、この現場で確認すれば意味がある。
民主党の海江田代表の弁も然りでお粗末の極みである。生活の党の小沢代表の「麻生副総理のナチス発言、内閣の本音を示す」も似たり寄ったりの弁で物足りない。と云うか、生活の党だけは単なる批判に堕さず、世の冤罪的なものを庇護する側に回ってほしいと思う。そういう度量が欲しい。そういう党がないのが寂しい。
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コメント
「あの手口学んだらどうかね」を「ナチスの手口を学んだらどうか」でなはく「ドイツの手口を学んだらどうか」と読解した方が真意に近い、と書かれていますが、意味がわかりません。「ドイツの手口」と解読すると、どうして、麻生氏の真意に近いということになるのでしょうか?
投稿: KF | 2013年8月 9日 (金) 15時42分
KFさんちわぁ。麻生氏の論理論法自体が錯綜しており解釈は分かれます。れんだいこ的には、全体の文意から「あの手口学んだらどうかね」を「ナチスの手口を学んだらどうか」でははく「ドイツの手口を学んだらどうか」と読解した方が真意に近いと思っています。さらに言えば、「ドイツのやり方を学んだらどうか」と発言すべきではなかったかと思っております。要するに、「憲法改正を仰々しくやるのではなく、ドイツのように気づいたら実質的に憲法が改正されていた。あの例を見倣おう」と云っているのだと思います。
但し、「手口」と云う表現をした麻生氏の言葉の使い方が理解できません。「手口」ではなく「やり方」となぜ云わなかったのかが気になります。更に推測すれば、その「やり方」をナチスが指導したのだから「ナチスの手口」となったのかもしれません。
この問題のキモは、「私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない」の解釈にあります。毎日新聞社説士は、騒ぐ主体を「憲法改正に反対する野党」と見立てています。れんだいこは、「絶対多数を握った政権党」と見立てています。丁度反対になっています。解釈は難しいですね。そして麻生の真意は、その両方に掛けて戒めているのではないかと思います。それならそう云えばよいのですが、麻生頭脳の非論理的短絡性と語彙能力の乏しさからしてあのような発言になったのだと思います。この説明でよろしいでせうか。
2013.8.9日 れんだいこ拝
投稿: れんだいこ | 2013年8月10日 (土) 00時08分