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2013年10月 7日 (月)

三島最後のドキュメント考その9、れんだいこ推理への議論要請論

 れんだいこは、三島由紀夫の死因について以下の「三島最後のドキュメント考」三部作で論証した。「その7、割腹事件のれんだいこ推理」、「その7の2、割腹事件のれんだいこ推理補足」、「その8、人、虎孔裡(こうり)に堕つ禅問答考」。そこで通説の自決論に疑問を投じた。ブログに対するレスがないのは、既に相当昔の事件故に今更どうでもよいとしているからなのだろうか。あるいは驚天動地の奇説のゆえだろうか。

 れんだいこは、その昔、日本共産党諸問題のブラックボックスになっている「宮顕リンチ殺人事件」の蓋をあけた。通説が、党内スパイ摘発上の止むを得なかった不慮の死事件であるとしているのに対し、スパイ派の宮顕派が党内最後の労働者畑系の党中央委員小畑を査問致死せしめたものであり、小畑氏の名誉回復こそが急がれている、宮顕こそスパイの頭目であるとして断罪せよとの逆説を投じた。この論考がさほど注目されることなく今日に至っている。それは今日的には人気のない左翼圏の出来事であったことによるのかもしれない。あるいはこれもまた驚天動地の奇説のゆえだろうか。

 しかし、三島事件となると右翼圏の関心事である。右翼がこれに関心を払わないとすれば、日本と云う国は左翼も右翼も脳死していることになる。そういう者たちの弁明を許せば致し方なかった面もある。なぜなら圧倒的に情報が不足しており、当時に於いては当局仕立ての事件論をもって理解するしか他に方法がなかったからである。故に恥じることはない。故に「宮顕リンチ殺人事件」にせよ「三島市ヶ谷自衛隊基地事件」にせよ通説に従った者たちを悪しざまに云うつもりはない。

 問題はこれからである。現在では当時にはなかった資料が開示されている。れんだいこはたまたまこれを見つけ、子細に検討し直した。「宮顕リンチ殺人事件」では事件関係者の陳述調書が漏洩され、これを手にしたことが始まりとなった。「三島市ヶ谷自衛隊基地事件」も然りで、ネット上で「自決ではない論」が開陳されており、これを読んだことが始まりとなった。これらを虚心坦懐に読み、れんだいこが推理した結果、「宮顕リンチ殺人事件」では「宮顕こそがスパイ論」、「三島市ヶ谷自衛隊基地事件」では「三島は強制自決させられた論」に辿り着いた。

 新資料に従ってこういう見解が出た以上、本来は議論があって然るべきである。何もれんだいこを売り込もうとしているのではない。れんだいこ立論の精査をせねばならないと申し上げている。これの検証を抜いたまま相変わらずの通説論を唱えて平然とするのは知の怠慢だろう。当然、れんだいこ見解の方が間違っている場合もある。その可能性も含めて議論せねばならない。これが知の弁証法と云うものである。世に弁証法を云う者が多いが、云うばかりで未だこの作法が根づいていない。大いに不満である。原発論も然りである。原発稼働論は福島原発事故までは許されても、事件後も相変わらずの安全論、クリーン論、安価論唱え平然としておられるなどは正気ではない。こういう風にすべてに関係している。

 論によっては曖昧で良いものもある。白黒つけねばならないものもある。本件は後者の方である。故に決着つけねばならない。三島事件に於いて、三島の死が自決なのか自決に似せた強制死なのかをはっきりさせねばならない。それが三島事件論ひいては三島論総論に関わる重要なファクターである故に疎かにできないと考える。ここまで述べても無反応だったとしたら勝手にせぇと云わせてもらうしかない。

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コメント

大和魂菩薩武士道日本常民

JFKの有名な国民への演説「国家があなたたちに何をしてくれるかではなくあなたたちがなにを国家のためにできるかを考えよう」
これはJFKの政治信念ですがこのアイディアをJFKはどこから得たのかといえば、武士道で滅びかけた国(藩)を救い治めた上杉鷹山と、同じく滅びかけた焼け跡から生まれた(後にジョンレノンが心酔してイマジンを作った)戦争放棄の日本国憲法からです。
建国からして野蛮冷酷な強盗国家アメリカの良心JFKはまさに日本伝統の武士道大和魂を統治理念のお手本にしたのです。
弟のロバートも兄に劣らず日本武士道に心服していました。来日して武士道古武術の粋植芝盛平開祖合気道塩田剛造に会い心酔しています。塩田は合気道で最強の技は「自分を殺しに来た敵と友達になること」と極意を述べています。
武の字は戈を止めると書く表意文字です。柳生真陰流剣の極意は活人剣であり無刀で勝つこと。武士道は死ぬことと見つけたり(葉隠)、すなわち忘己利他おのれが死んで他者(忠孝)に尽くす者が武士である。徳川家康は忠諫の士こそ武士の鑑であるとしました。信長秀吉にはこの武士道がなかったゆえに一代限りで滅んだのです。
武士の魂が日本刀です。上杉鷹山は齢わずか17歳で米沢藩主として招かれ滅亡寸前の藩を「民の父母」となって必ずや立て直すことを決心しそれができなければ武士の魂の日本刀で切腹して自ら果てることを神仏に誓って荒廃した米沢藩へ赴いたのです。

投稿: 通りがけ | 2013年10月 9日 (水) 09時05分

通りがけさんちわぁ。JFKの上杉鷹山論は多少知っておりますが日本武士道心服論は知りませんでした。教えていただいてありがとう。

投稿: れんだいこ | 2013年10月14日 (月) 18時46分

れんだいこ先生お返事ありがとうございます。三島由紀夫が切腹という武士の作法を選んだことで迂遠なようですが武士道や武士の魂である日本刀の事から考えて行かねばならないように感じて、新渡戸稲造の表層的な似非武士道論を排除するために上杉鷹山を先ず出してみた次第です。明治の文人は自殺者が多く川端康成もまた自殺しました。しかし切腹は彼らの自殺とは明瞭に一線を画すべきと考えております。まだまだ考究が及びませんが一生懸命考えて少しでも昭和の世に切腹を果たした希有なる三島由紀夫の存念に近づきたいと思っております。

投稿: 通りがけ | 2013年10月17日 (木) 23時27分

私が三島由紀夫の切腹について特に注目した理由はWIKI古谷眞二の次の記事にあります。

>三島由紀夫自決への影響[編集]

三島事件によって決起を呼びかけて割腹自殺した三島由紀夫が、決起を起こす1ヶ月前に、江田島海上自衛隊第一術科学校教育参考館(現在の広島県江田島町にある海上自衛隊の教育資料館)を訪れた際に、特攻戦死した古谷の遺書を読み、「すごい名文だ。命が掛かっているのだから敵わない。俺は命をかけて書いていない!」と言って、声をあげて泣き出したという逸話が残る[2]。この遺書は2012年現在、靖国神社遊就館に展示されている。
・・・・・・・・・・・・・・・

神風http://www.geocities.jp/kamikazes_site/index.html
にあるとおり特攻隊員は日本武士道の権化です。三島は武士道に準ずることを決意したゆえに敢えて切腹を果たした。時は昭和天皇の時代です。大西中将の昭和天皇に対する死諫は遂に届かず大西中将は玉音放送の翌日自決しました。
大西中将の苦悩>>http://www.geocities.jp/kamikazes_site/saisho_no_tokko/oonishi/oonishi.html#
大西中将の遺書>>http://www.geocities.jp/kamikazes_site/saisho_no_tokko/oonishi/oonishi-isho.html

三島の切腹は戦争責任をとらず敗戦と共に自決も退位もしなかったヒロヒトに対し満腔の慷慨を表する抗議の切腹ではなかったか。
226事件でヒロヒトに対し「皇祖皇霊に慚愧せよ」と叱りつけた磯部浅一の憤怒に三島由紀夫が深く共感していたことが次のページに書いてあります。

学校で教えない歴史 33(二・ニ六事件と天皇陛下)
>>http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/29349667.html

投稿: 通りがけ | 2013年10月18日 (金) 00時46分

三島由紀夫は作家としてではなく武士として立派に死んだと、いま私は思っています。

武士道とは死ぬことと見つけたり(葉隠)。

投稿: 通りがけ | 2013年10月18日 (金) 00時57分

最初の投稿に戻りますが、JFKは太平洋戦争で大日本皇軍と戦場で戦っています。その戦場で神風KAMIKAZEも切腹SEPPUKUも現場体験として知り、人間として日本武士道の崇高さに畏敬の念を抱いて上杉鷹山のことを知ったものと思われます。JFKのあの有名な演説こそ忘己利他の武士道精神を謳い上げたものだと確信致しましたゆえにあの最初の拙文を投稿申し上げた次第です。

投稿: 通りがけ | 2013年10月18日 (金) 01時18分

 通りがけさんちわぁ。れんだいこの三島事件考の趣意は三島の死は自決ではなく強制偽装自決死であるとするところにあります。その為にいくつかの論証をしているつもりです。通りがけさんが自決として耽美するのは構いませんが、強制偽装自決死論に対する反論が必要です。れんだいこ推理に沿って逐一反論してくだされば幸いです。

投稿: れんだいこ | 2013年10月18日 (金) 23時30分

れんだいこ先生お返事ありがとうございます。私も中学生の時に謎だった三島由紀夫割腹を最近の読書の中で考え直しておりましたところへ先生の三島由紀夫論におめにかかりました。私の考えかたが迂遠であるとは自認致しておりますが、お急ぎでなければもう一つ三島由紀夫が生前というか文壇の寵児であった時期に耽溺し文筆家として絶賛した日本文学の情報を知りましたのでお伝え致します。
森田必勝の同じ早稲田大学の明治時代の先輩で英文科を中退して作家になった国枝史郎の未完の時代小説「神州纐纈城」(しんしゅうこうけつじょう)(大正14年)です。青空文庫で読みました。青空文庫の作品紹介のページに次のように書いてあります。
>・・・とくに代表作と言われる「神州纐纈城」(しんしゅうこうけつじょう)(大正14年)は、陰惨怪奇、神秘的色彩の濃いその特異な作品世界が高く評価され、三島由紀夫からも「文藻のゆたかさと、部分的ながら幻想美の高さと、その文章のみごとさと、今読んでも少しも古くならぬ現代性とにおどろいた。(中略)その気稟の高さは比較を絶している」と絶賛された。(「三島由紀夫評論全集第1巻」新潮社 「文学論」より)・・・
>>http://www.aozora.gr.jp/cards/000255/card1403.html
三島由紀夫の武士道と日本刀の美学への傾注はこの時期の読書に由来するものではないかと思いました。

また戦後文壇というもの自体GHQによる焚書※の結果、戦前の226事件で皇道派を軍上層部から一掃して実権を握ったファシスト統制派が行った言論弾圧と同じGHQファシズム言論弾圧統制下にあったことも忘れてはならないと思います。川端康成のノーベル賞受賞もGHQマッカーサーの「日本人の魂を抜く」占領統治政策のひとつであり、そのことを三島由紀夫は知っていたと考えるのは私だけではありますまいと存じます。

※>>http://jjtaromaru.blog76.fc2.com/blog-entry-96.html
>>http://jjtaromaru.blog76.fc2.com/blog-entry-360.html

投稿: 通りがけ | 2013年10月19日 (土) 01時34分

「日本国聖徳憲法」

日本では公務員に信教や政治信条にもとずいて社会的活動する自由はありません。公務員は全体日本国民全員)への奉仕者であり個(教祖)への奉仕は憲法が認めないのです。すなわち公務員であれば憲法の命ずるところに必ず従わねばならぬ職務上の義務があり、自分の心の命じる所に従って「社会的に行動する」自由はないのです。憲法が最高法規第99条によって憲法を擁護し遵守する義務を定めており、この義務に違反すれば刑法で裁きます。

ゆえに公務員身分となれば全身全霊日本国憲法に忠誠を誓い、最高法規99条に従ってつねに唯一絶対の金科玉条として神仏の教え以上にこれを鉄壁に守り抜かねばなりません。
これが第99条に定める「天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、公務員」に課される「ノブレスオブリージェ」であり、日本国憲法へささげたこの誓いをもし破れば日本人なら武士の作法に従い切腹してお詫び申し上げるべきところです。

第9条とともにこの第99条があることで、日本国憲法は人間世界不世出の不滅の至高の平和実現を誓う「和を以って貴しとなす」聖徳憲法となりました。

よって日本では公務員の活動すなわち公務執行においては、信教の自由も政治信条の自由も集会・結社の自由も言論思想芸術活動の自由も衣食住の自由も職業の自由も商売の自由もすべて日本国憲法99条によって厳しく制限されています。公務員は常に個ではなく全体(主権者国民)への奉仕者ですから。

公務員でありなおかつ暴力団構成員であることは許されざる憲法違反内乱罪現行犯です。おなじように右翼左翼政治団体やカルト宗教政治団体の構成員が公務員職に就くことは日本国憲法第99条違反内乱罪です。

カルト宗教政治団体は政治と宗教の分離を定めた憲法の規定にも違反しています。カルト宗教政治団体は存在そのものが日本国憲法99条違反内乱罪で厳しく断罪されなければならない。日本国全体への奉仕者武士道公務員の手によって。

投稿: 通りがけ | 2013年10月26日 (土) 08時58分

通りがけさんの「日本国聖徳憲法論」は憲法99条を持ち上げているのかと思いきや思いきり投げ飛ばしていますね。れんだいこには「公務員全体の奉仕者論」は当たり前の「ノブレスオブリージェ」であり、この観点に照らして憲法規定通り認められる権利もあれば制限もあると云うことで何の違和感もありません。公務員の活動が厳しく制限されていると解するよりも憲法的理念を念頭に置いて服務すべしと要請している訳で、本来は護憲規定だと理解しています。公務員諸活動の制限規定と解する受け取り方があるのかもしれませんが、憲法9条の解釈改憲と同じ論法であり本来の意味とは違いますね。

投稿: れんだいこ | 2013年10月26日 (土) 11時15分

れんだいこ先生お返事ありがとうございます。
憲法論はさておき、三島由紀夫の切腹について続けたく存じます。
三島由紀夫が号泣した遺書はhttp://blog.goo.ne.jp/arashigeru3/e/e789fc43d748eb5434e4290f8faed658
で読めます。
これによると古谷少佐は神雷部隊一式陸攻搭乗昭和20年5月11日 南西諸島洋上で戦死とありますから、大西中将が自ら「統率の外道」と呼んだ神風特攻作戦が昭和19年10月20日朝関行夫大尉を飛行隊長として敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊の4隊出撃で初めて敢行されてからおよそ半年後です。
若き隊員たちを特攻で戦死させることでヒロヒトに戦争をやめて対米条件講和させようとした「外道統率者」大西中将はその頃内地に居ました。http://www.geocities.jp/kamikazes_site/saisho_no_tokko/oonishi/oonishi.html
>> 昭和20年5月、大西は軍令部次長として内地に帰還した。官舎に独居して妻とは一緒に住まなかった。それを聞いた者が「週に一度は帰宅して奥さんの家庭料理を食べてはどうですか」と勧めた。大西は「君、家庭料理どころか、特攻隊員は家庭生活も知らないで死んでいったんだよ。614人もだ。俺と握手していったのが614人もいるんだよ」と答えた。大西の目には涙がいっぱい溜まっていたという。 大西には、最期には必ず自分も特攻隊員の後を追うという覚悟ができあがっていたのであろう。しかし、自らにそのような覚悟があるからといって、特攻が正当化されることはないということを彼は次のように語っていたようである。

「特攻は統率の外道である」
「わが声価は棺を覆うて定まらず、百年ののち、また知己なからんとす」>>

私は大西中将を武士道に外れた外道将軍であると評価します。武士道とは死ぬことと見つけたりの真髄から、大西中将はマニラに赴任して戦況を確認したら直ちに上京し自らヒロヒトの眼前へ蔭腹を切って参上して戦争の停止と対米条件講和を結ぶよう一死をもって直諫する道しかなかったと考えます。その武士道の真髄である諫死を自らはせず若き大和魂のもののふたちに自分のやるべき諫死を代行させたことで大西中将は外道に落ちた。ヒロヒトは226事件で忠孝限りない若き大和魂武士たちを切腹もさせず武士の名誉まで奪ってまるで盗賊の如く扱い不名誉な銃殺刑を与えた不仁不明な暴君であることはわかっていたのに、大西は山岡鉄舟の如く諫死で直諫する勇気がなく優柔不断のまま部下であった若く貴い226事件の皇道派青年将校たちと同じ大和魂青年武士たちを自分の身代わりにしてむざむざと死なせたのです。外道人非人ヒロヒトが特攻隊大和魂武士たちが命を捨てて守ろうとした大和国と愛する人々を、レイテで講和せずに沖縄、本土と鬼畜米軍にほしいままに蹂躙させてから無条件降伏した特攻隊大和魂への卑怯卑劣極まりない裏切り行為を知ってもなお大西中将は皇居の前で腹を切らずにひっそりと世人の目を逃れて自死せねばならなかった。武士道を踏み外した外道統率者の哀れむべき悲しい最期であったと思います。
彼は自分が特攻隊の英霊と同じ所すなわち靖国へは死後もゆけない事を知っていました。それが「わが声価は棺を覆うて定まらず、百年の後知己無し」の言葉に表れています。

投稿: 通りがけ | 2013年11月 8日 (金) 23時52分

私は特攻隊基地を訪れたときや特攻隊員の遺書を見るときすべて胸が詰まって言葉も声もなく涙が流れるのみです。

投稿: 通りがけ | 2013年11月 9日 (土) 00時11分

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