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2013年10月13日 (日)

金丸信の中曽根嫌い考その1

 金丸信を急に知りたくなった。理由は定かではない。恐らく三島事件の検証で、また一つ中曽根の悪事を確認したところから、そう云えば金丸が中曽根嫌いだったことを思いだし、それはどういう理由だったのだろうと疑問を湧かしたことによるのだろう。以下、「金丸信の中曽根嫌い」を検証するが、ここでも中曽根の人間失格的尋常でない策士ぶりが判明する。恐らく近代日本政治史上随一のサイコパス政治家ではなかろうか。こういう御仁を名宰相だの大勲位などと持ち上げる評論氏の神経が理解不能である。

 もとへ。れんだいこから見て金丸は嫌いではない。何となく原日本人風の風貌と愛嬌があって良い。但し好きでもない。その理由は、これから述べるところで自ずと判明しよう。ここで金丸信を取り上げる理由は、中曽根に甘言を持って対角栄掃討戦に徹底利用される形で登用され、角栄殲滅を成し遂げるや暫くの間は泳がされる形で栄耀栄華を極めたものの、その挙句に用済みとして無慈悲に処分された政治履歴を持つ凡愚の右代表と思うからである。政治家たる者は金丸を他山の石、反面教師として見据え教訓を得るべきであろう。これを確認するのが本稿の狙いである。

 政治家・金丸信の政治履歴は別稿「金丸信の履歴考」で確認する。元々は「日本一の中曽根嫌い」を公言する政治家であった。その由来を知りたいが、この辺りの情報はどこにも出てこない。政界風見鶏として動き回る中曽根に対する不快感を理由に挙げるのは容易であるが、それは表面的なものに過ぎない。もっと他に中曽根の人間性、根っからの国際ユダヤ奴隷であり、その意を受けて立ち働く中曽根政治の本質を嗅ぎ取って嫌っていたのではなかろうかと思われるが、これを証する言は出てこない。今からでも遅くない。旧田中派の生き証人は歴史に語りを遺すべきである。れんだいこは、金丸の中曽根嫌いにはよほどの根拠があったと推理する。その金丸が中曽根に取り込まれ、やがて使い捨てにされるのが金丸の後半の政治履歴となる。

 ここで、以下の考察に絡むのでロッキード事件の経緯について確認しておく。1976(昭和51).2月、三木政権下でロッキード事件が勃発する。7月、前首相の田中角栄が逮捕される。翌1977(昭和52).1月、東京地裁でロッキード裁判が始まる。この裁判を通じて、角栄は一貫して5億円収賄容疑を認めなかった。今日の角栄擁護者の中には、角栄の政治的貢献からして5億円容疑なぞ微々たるものとして、5億円収賄を認めたうえで角栄を擁護する者が居るが、れんだいこに云わせれば一知半解の角栄擁護論でしかないない。真の角栄擁護者は、角栄の政治的貢献、稀有の政治能力を認めたうえでなお且つ5億円収賄容疑を否定する。れんだいこともなると、あれは児玉-中曽根ラインの犯罪の角栄への無理やりのすり替えと断定している。補足しておけば、角栄は金権政治家の代名詞として批判されるが、確かに政治闘争に金は使ったが私事的には案外身ぎれいでさえある。理屈の合わない金を貰うことはなかった。このことを知って日共流、立花(隆)流の「諸悪の元凶論」に対峙すべきである。
 
もとへ。この間、政権は三木、福田、大平、鈴木と移行する。中曽根政権直前の鈴木政権史を確認すると、1980(昭和55).5月、初の衆参同日選挙。大平首相が遊説中に急逝する。7月、宏池会会長・鈴木善幸が第70代総裁に選ばれ鈴木政権が誕生する。1982(昭和57).10月、突然に総裁選不出馬を表明。後継争いが始まる。「金丸の日本一の中曽根嫌い情報」が出てくるのは、この時のポスト鈴木総裁選を廻る田中派の中曽根擁立を廻るやり取りの際である。派閥のドン角栄は中曽根を支持した。その理由を推理するのにロッキード事件が大きく関係していた。角栄は、ロッキード事件に於ける贈収賄容疑は元々児玉-中曽根系のものであり、お前らが訴追されねばならないところ何で俺が罪をかぶされねばならんのか。裏で大きな力が動いているので難しかろうが、お前に関係していることなんだからお前の責任で何とかしろとの言い分で中曽根と談判した形跡がある。これに対し、中曽根が、首相になった際には政権責任で角栄を救済するので、こたびはぜひ後押ししてほしいと懇願したものと思われる。これを仮に「角栄-中曽根の角栄無罪放免密約」と命名する。

 金丸は当初、「あんなおんぼろ神輿担げない」として急先鋒的地位で反対していたが最終的に中曽根支持に転換し次のように述べている。

 「このシャバはキミたちの思うようなシャバではない。親分が右と言えば右、左と言えば左なのだ。親分が右と言うのにいやだと言うなら、この派閥を出て行くしかない。オヤジが中曽根というからには、それなりの義理があるからだろう。私もこの年でもう派閥を出るわけにはいかない。オヤジについて中曽根を応援していく。中曽根嫌いでは日本一の金丸信だ。その私が言うのだから間違いない」。

 この頃、鈴木内閣の末期に開かれた中曽根派と田中派の料亭会合の際に、中曽根と金丸が表向き和解したとの伝が遺されている。その際、中曽根が金丸を評して、「腹も太いし三木武吉以来の大物だ」と持ち上げている。この頃より中曽根の金丸取り込みが始まったと思えばよい。これが上述の金丸語録を生んでいると思えばよい。

 かくして1982(昭和57).10月、少数派閥の長でしかなかった中曽根が党内最大派閥の田中派の後押しを得て第71代首相に就任する。ここまでは良い。問題はこれからである。その後、中曽根の猛烈な金丸取り込みが始まっている。それは「角栄-中曽根密約」を反故にする背信であり、それどころか角栄訴追への鞭打ちと云う逆攻勢に向かったことを意味している。常識的には信じられない、これが中曽根の人間性である。

 この頃のこと、銀座の料亭で土下座をし「あなたを必ず幹事長にする」と約束したとの伝が遺されている。ここで窺うべきは、この逸話の背後に宿る密約であろう。こういうものは表に出てこないので推理するしかない。こういう推理は外れるのが常であるが、れんだいこ推理は一味違う。持前の霊能力で的を射るのを得意とする。何も幸福の科学の代表・大川隆法の如く死者の霊を呼び出しての臭い対話を嘯く必要がない。その後の史実をトレースさせて浮かび上がるものに相応しい判断を下せば良いだけのことである。

 「中曽根-金丸密談」とはどういうものであったのか。れんだいこ推理は、「金丸さん、あなたを見込んで云う。悪いようにはしない。角栄の政治的影響力を殺ぐ為に協力してくれ。見返りに竹下を必ず首相にし且つあなたを重用する。この話しを信じてくれ」ではなかったか。これを仮に「中曽根-金丸の竹下政権創出密約」と命名する。金丸はこの甘言に乗った。ここから金丸の栄光が始まる。但し、その果てに「用済み災難」が待ち受けていることを知る由もなかった。こう解する必要がある。

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投稿: チャンルー ターコイズ | 2013年10月23日 (水) 05時32分

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