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2013年11月

2013年11月29日 (金)

日本神道考

 ここで、日本神道を考察する所以は、現下の政治情勢が意図的故意の国際ユダ屋の陰謀によって日本及び日本人の国家的社会的自然的共同体(以下、これを仮に「国体」と命名する)としての紐帯をあらゆる角度から解体せんとしていると思われるからである。それも何によってか分からないがかなり性急に仕掛けられている。それは傍観する能わずの感がある。これは国体の危機であり、もっと真剣に防衛せねばならない。それはどういう理由によってかを説くのは別の機会に譲り、ここでは国体擁護の観点から論考したいと思う。

 これを為すには政治、経済、文化、精神、言語の各域からの考察が不可欠であるが、話しが拡散するので、ここでは日本独特の宗教的形態である日本神道に絞って論じたいと思う。日本神道とは、世界の宗教がそうであるように民族又は国家の原基を為すものであり、日本の国体の基盤即ち要(かなめ)ちゅうの要を形成しているものである。西欧語ではアイデンティティーと表現されているが、アイデンティティーちゅうのアイデンティティーと言い換えても良い。こういうものを放棄して一向に差し支えないとする左翼理論があるが、それは理論の間違いであり、左翼理論が国体論を放棄してよいと云うのは国際ユダ屋に加工され捻じ曲げられた故のものでしかない。

 本来、右翼であろうが左翼であろうが、それぞれの国の国体は第一義的に擁護されなければならない。その基盤の上に国際主義が花開くものであり、国際主義と国体主義を鋭角的に対置させ選択を迫るのは、国体主義が排他的独善的なものである場合に於いてであり、日本神道の御教えのように諸国民共和的な場合には通用しない、馬鹿げた理論でしかない。これは言語論にも云える。当然、政治、経済、文化、精神論にも云えることである。

 それでは、そろそろ日本神道とはどういうものであるかについて開陳しておく。結論的に述べれば、日本神道とは、国際ユダ屋の信奉するネオシオニズム宗教が「選民による、選民の為の、選民独裁政治及び社会」を目指すのに対し、対極的な「諸国民による、諸国民の為の、諸国民共和政治及び社会」を目指す「祈りと祀りの型」である。この「祈りと祀りの型」は、ネオシオニズム宗教が自然を敵視し支配征服の対象としているのに対し、自然と順応し調和共存の対象としていることにも違いが認められる。分かりやすくいうと、自然は支配するものではなく畏敬し調和するものとしていると云う違いがあるということである。

 ネオシオニズム宗教が唯一的、超越的、絶対厳命主義的最高神を戴くのに対し、日本神道の神は多神的、神人和楽的、合議主義的最高諸神を戴いている。ざっとこのような違いがある。国際ユダ屋式学問によれば、唯一的、超越的、絶対厳命主義的最高神こそが最高発展段階の宗教であり、日本神道的な多神的、内在的、神人和楽の合議主義的最高諸神は汎神論的アニミズム宗教として下位に位置づけられている。しかしそれは、ネオシオニズム宗教派の得手勝手な物言いに過ぎず、唯一神的宗教が汎神論的宗教に優越する論拠はどこにもない。本来、それは「祈りと祀りの型」の違いとして等位的に共存すべきであるところ、ネオシオニズム宗教派が勝手にランクづけしているに過ぎない。

 史上、20世紀の急速な国際交流化を経て、その流れがますます強まる21世紀を迎えているが、この時代にあってはむしろ、国際ユダ屋の信奉するネオシオニズム宗教の限界こそが表沙汰になりつつある。ネオシオニズム宗教を原基とする政治、経済、文化、精神論ないしは施策が形成した世界秩序は、それらのものを究極まで開花させることにより、むしろ弊害をもたらしつつある。これを逐一述べてもキリがないので、ここでは原発を論ずる。

 原発とは、自然素材のウランを異常化学的にウラニウム化させ爆発させることで電気を起こさせるものであるが、異常化学であるが故に稼働中も危険極まりなく、燃焼後の核灰物の処理がこれまた厄介極まりないと云うリスクを抱えている。後先を考えれば、このような発電装置を手がけるべきでないところ、国際ユダ屋は目先の利益に幻惑されてか、後は野となれ山となれ式の無責任経営をして今日まで至っている。日本神道の弁えでは、そのような発電装置には手をつけない。そういう悪魔科学性のものは忌避し、環境適応型の自然諸力応用発電装置を創造する。原発事故後、世界の趨勢となりつつあるエコエネ発電は日本神道の指し示す道である。宗教の「祈りと祀りの型」の違いにより、こういう風に世界が変わることが分かる。

 一端だけ述べても、ネオシオニズム宗教と最も対比的なかくも素晴らしい日本神道の叡智を今こそ紐解かねばならない。これが、れんだいこの日本神道論の構図である。その日本神道は何も堅苦しく厳(いかめ)しい神社作法によって学ばなくても良いようにも思っている。それは知れば良いし、そのお陰を受ければよい。それにより感応するものがあるに違いないとも思う。ただ、れんだいこの日本神道論は少し違う。日本神道の極意は言葉の中に宿っていると思っている。日本語の中には丸ごと宿っているが何も日本語だけではない、世界の言葉と云う言葉の中に日本神道が宿っていると思っている。それはどういうことか。

 結論から言えば、世界、自然、社会に在るものを如何に眺め、了解し、対応し、共認し、教訓化し、折り合いを取って行くべきかの教示的モデルを示しているのが日本神道であり、故にこれを逆から云えば日本神道とは日本だけのものではない、世界じゅうにある気づきの御教えの体系である。れんだいこはかく解している。その体系が、ネオシオニズムとは真逆の気づきを教えているところが面白い。日本神道が日本神道であるのは、それを日本的な「祈りと祀りの型」に高め精錬したところに認められる。かく解している。

 そういう意味で、日本神道の扉を開け、その薀蓄に身と心を洗われてみたいと思っている。その修行法は至るところにある。何しろ言葉の中に生きているのだから日常の中に在ると云っても良い。天理教の御教えの中に「山の仙人、里の仙人諭し」があるが、そう我々は誰しも里の仙人である。これを磨くか磨かないかだけの違いである。

 日本神道は書のない不文律と云われる。これはどういうことか。律法書がないのではない、あらゆる事象が法になり、逐一説くには及ばない、説けばキリがない万冊の文になる故に逐一記せない、記すより体感で眼力を養いコツを会得した方が早いとする故の不文律と解するべきと思っている。こういうことが総合的に関係して日本神道は戒律のない世界に珍しい宗教になっている。

 とりとめのない思いつき話しになったが、これをとりあえずの「れんだいこの日本神道考その1」とする。誰か膝を叩いてくれる一人でもあれば本稿の本望である。

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2013年11月28日 (木)

れんだいこの東照宮御實紀巻考その2、特定秘密保護法案考

 れんだいこの脳内においては、大衆向けの歴史読み物としての近現代政治史書がないことと現下の特定秘密保護法案が絡む。2013年の自民党安倍政権下で特定秘密保護法案なるものが上程され、衆院通過、参院にまわされたのが目下の状況である。これを如何に成敗すべきか、以下愚考する。

 特定秘密保護法案は、法がまともなら特定秘密事項保護法案と記すべきものであろうが事項が消えている。戦前の治安維持法並みの包括的法案となっている。立法者の狙いが透けて見えてくる話しである。それによれば、公務員による国家機密の漏洩を重刑事罰でもって保全しようとする法案と云うことになるが、如何にも国際ユダ屋好みの法案であろう。国家機密指定期間も著作権法に合わせてか「秘密の指定期間は原案では原則30年以内だった。それが最長60年へ事実上の倍増となり、60年を超えて指定できる例外も設けられている」とのことである。

 国際ユダ屋連中は、彼らが狙いを定めた国家が御せない場合には革命的民主主義の立場であれこれの反政府運動を支援し、いざ権力を掌握すると手の平を返し、旧政権どころではない強権支配体制を敷くことを好む。こたびの特定秘密保護法もその一つである。これを擁護する者は、既に諸外国では当たり前の法律に過ぎないと説教してくれる。

 だがしかし、アメリカの防諜法、イギリスの公務秘密法、ドイツのスパイ防止法をベースにする刑法や保安審査法、フランスの刑法、韓国の刑法、国家保安法、軍事機密保護法等を挙げるが、何のことはない、これ皆な国際ユダヤが篭絡せしめた国の一足先の画策物に過ぎない。故に諸外国でも既にあると云うのではお話しにならない。 国際ユダ屋が牛耳るところどこでもこういう法ができると承知したい。戦争、国債、消費税が連中の金融操作の賜物とすれば、これは法操作の範疇のものとなる。

 思うに政治には機密がつきものである。その機密を否定できるものではない。それはそれで良い。良くないのは、これまで歴代の政権が政権-官僚責任で内部保全してきたものを、こたび敢えて法案化せんとする意図、狙いである。そういう法ができると一人歩きし始めるのが歴史の教えるところである。この次に出てくるのが戦後版の治安維持法であろう。特定秘密保護法案はその地均しと思えばよい。

 この法では誰が特定秘密事項縛りを決めるのかと云う肝腎のプロセスがブラックボックスになっている。安倍首相がご安心あれと胸をたたいているが、国債発行のときも福田蔵相が胸をたたいている。結果は今ある通りの1000兆円借金国家日本となっている。こういう法案を通すと、その先に待ち受けるのがどういう社会であるのかに暗澹とさせられる。機密情報公開の流れにあった20世紀において、21世紀を想像した社会の中にこういう愚劣な社会図が予想し得た者が居るだろうか。

 国際ユダ屋は手前たちだけが掌握する国家機密とその管理をことさら好む癖がある。かの著作権法も国際ユダ屋が編み出したものである。著作権法の真の狙いは知の管理にある。手前たちに有利な知ないしは情報をこれでもかとばかりに市場に提供し、不利な知は制限して目に触れさせないようにする。これが著作権法の真の本質である。ドイツでは未だにヒトラー論、ナチス論が禁句とされており、たまに研究発表が許されるとすれば国際ユダ屋テキストの指針通りのものでしかないのは衆知の通りである。これに照らせば著作権者の権利保護とかは二次的なものでしかない。

 TPPによると更に厳しい著作権的締め付けが待ち受けているようである。学んで余計にバカになった連中は、この仕掛けが分からず、先進国権利だとか文明権利だとかで煙に巻かれ、その気にさせられ、勝手にあれこれのもっともらしい理由をコジつけて著作権法強権化に勤しんでいる。この連中は本質的にバカなのでが議論が通じない。れんだいこの見立てによると、権利病者の成れの果ての漬ける薬のない連中によるたわごとの所為と受け止めるべきで、勝手に先進国権利だとか文明権利だと懸想しているだけで、著作権狩りしている姿は知の森を槍でつつく相当野蛮な狩猟者の姿でしかないと申し上げておく。ここでは、これ以上問わない。

 社会を規制するのに強権的著作権法ばかりではない。最近は個人情報保護法案なるものが登場し情報制限が甚だしい。強権的著作権法と相まって知的情報の整理と伝達スピードが格段に遅くさせられている。こたびの秘密保護法案は、これにもう一つ屋上屋を重ねる悪法であることは疑いない。それは、国家機密を幅広く網指定し、それを一握りの国際ユダ屋及びその息を嗅ぐグループのみが知り得て、その余の者には知らせないとするわざわざの法案である。今後は国民は目隠しして行進させられているようなものと思えばよい。どこに連れて行かれるのかさえ分からない。

 現に福島原発事故の例を見れば分かろう。事故発生直後から国際ユダ屋の側には東電発の刻々の克明な情報が伝わっており、当の被災国の日本には伝達されていない。これは何も国民レベルだけではなく、国政にあずかる国会議員レベルも同じである。せめて権力を掌握する官邸ぐらいには伝わっていると思われるが定かではない。東電は国際ユダ屋側には全ての情報を知らせているが官邸に対してはコマ切れの都合の良い情報だけ上げている可能性が高い。民主党菅政権の東電本社での罵倒劇を見れば、真相は官邸にさえ伝わっていないと云う肌寒い状況が暴露されている。全てを知るのは独り国際ユダ屋ばかりなりと云う信じられない痴態が常態化している。

 秘密保護法案とは、福島原発事故情報事例の社会全般への応用と云う風に考えられる。国家統治機構のあらゆる部署で、福島原発事故情報の例にちなんだ知らせて良い情報と秘匿情報が仕分けされ、秘匿情報が次第に増幅していくということが考えられる。民間は「お上の例」に倣うので、こういうことが急速に広まる可能性が高い。個人情報保護法案の例の如くになることが予想される。一足先に米国がこういう社会に突入しており、今やその秘匿情報が膨大になり過ぎて逆に漏洩し始めるという滑稽なことになりつつあるようである。更には一情報開示当り幾らと云う新しい利権が生まれつつあるとのことである。まことに国際ユダ屋の考えること為すことの守銭奴ぶりは却ってお笑いでしかない。

 この動きに最近の選挙不正問題を合わせて捉える必要がある。近現代史上の議会制なるものが生まれ国民に参政権が与えられた。ところが近年、開票マシーンなるものが導入され、選管チェックの及ばぬ怪しげな集計発表がなされ、これに対して落選した議員も政党も不審を述べないという異常が続いている。不正開票マシーンによって選出された選良がまともな政治なぞできる訳がない。これが現代政治の貧困の元凶である。これにて近代的議会制民主主義の諸理想が画餅に帰したことを確認せねばなるまい。今はそういう時代だということを的確に認識しなければならない。

 しかし何事も考えようである。国際ユダ屋が手前たちの思う通りに操れば操るほどに、その下賎な正体が明るみになる。隠れて操作する時代が終わり、公然と御す時代になればなるほど国際ユダ屋の正体が露になり、一挙的に殲滅される日も近づくということになる。これが歴史弁証法である。この法理から逃れ得た例を見たことがないので、連中の悪事が強まれば強まるほど崩壊も早まると見立てたい。連中は思う通りになり得意然としているがバカ丸出しとみなしたい。連中は滅びるまで掘り続けるのだろうが既にお笑いの対象となっていることに気付いていないようである。

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2013年11月16日 (土)

漢字、ひらがな、カタカナの表記使い分け考

 ここで「漢字、ひらがな、カタカナの表記使い分け考」をしておく。これが上手にできると日本語の世界言語化に資し逆の場合には日本語が捨てられることになる。という意味で、この考察は重要である。これを上手く為すためには漢字、ひらがな、カタカナの言語的由来を踏まえた言語論を獲得した上で応用する術を得なければならない。これについては別途「言語研究」のそれぞれの項で追々に考究している。ここでは「漢字、ひらがな、カタカナの使い分け方」を確認しておくことにする。

 

 まず、漢字表記の使い方を確認する。れんだいこ文法によると、漢字は、漢字表記の方が簡潔明瞭正確に表現できる場合の記述法として使用されるべきと考えている。いわゆる漢字熟語がそうであるが、ひらがな、カタカナで記されるよりも締まった感じがあり語彙の意味が伝わり易い。漢字は概念をはっきりさせる良さがある。こういう場合には積極的に漢字を使うのが望ましい。漢字発音は呉音、漢音、宋音、唐音に分かれる。日本語では音読み(中国言葉式)と訓読み(大和言葉式)の二通りの読みがある。気づきにくいのだがさらに大和言葉の漢字宛がいから生まれた大和言葉式音読み漢字がある。これで三通りになる。中国音の四通りを踏まえれば六通りあることになる。これらは歴史的に獲得されたものであり、あり過ぎを批判しても始まらない。習熟することにより言語表現が豊かになるとポジティブシンキングしたい。

 

 次に、ひらがなの使い方を確認する。ひらがなは第一に、「てにをは」と呼ばれる接続助詞として使われる。「『てにをは』は日本語における格助詞で、外国語には見られない日本語特有のもので日本語の基礎です」と説明されている。まことに然りであり、これにより文章全体が柔らか味を得る。「てにをは」を使用することにより、ひらがなの前後の漢字語彙を識別させ、それらを引き立てると云う効用がある。新聞紙面の見出しで、漢字語彙が目に飛び込むことで記事内容が分かるという傑出はこれによる。

 

 ひらがなの効用の第二は、例えば「こと、もの、とき、ほど」、「あれ、これ、その」などのように、日本語の元々の大和言葉には漢字表記に馴染まない、漢字表記では意味が限定され過ぎて却って意味が正しく伝わらないと云う汎用性言語があり、限定的に使う場合には漢字表記するのが良いにせよ、意味を広く理解させるには大和言葉そのままのイメージを大切にさせてひらがな表記で生かす方法もある。要するに使い分けである。これがひらがなの効用の第二である。第三に、例えば「ふるさと」のようにひらがなで表記した方がより適切と思える熟語があり、漢字の「故郷、故里、古里」との併用ないしは使い分けをすることもできる。これも煩わしいと受け取るのではなく日本語の豊かさとみなすべきだろう。

 

 次に、カタカナの使い方を確認する。カタカナは、ひらがなと互換性がある。と云うことは、カタカナがカタカナとして使われる為には独自性を見出さなければならないということでもある。最も頻度が高いのは外来語表記に使われるカタカナである。これにより和産のものと外国産のものを区別できる。この識別ができるのは、れんだいこの知る限り日本語だけのように思われる。これも日本語の優れたところである。あるいは擬態語、擬声語、擬音語の場合には、ひらがなで記す場合もあるがカタカナの方が却って語感を増す場合があり多用されている。あるいは、言葉を目立たせる場合に敢えてカタカナ表記する場合がある。カタカナはこういう風に使われる。

 

 とりあえず、以上が、れんだいこ式「漢字、ひらがな、カタカナの使い分け」である。漢字、ひらがな、カタカナの上手な使い方がコツで、日本語の能力を引き出すことができる。これに照らすとき、戦前までのひらがな領域までの漢字の多用し過ぎは邪道であり、文章を堅苦しくさせるばかりである。これを仮に「硬文」と命名する。逆に、戦後は戦前風の漢字過多使用を抑えており、その分、読み易くなっている。これを仮に「柔文」と命名する。れんだいこが思うに、戦後の柔文の方が言語学的に見て日本語の特性の理に適っており進んでいるのではなかろうか。ひらがな、カタカナの発生意義を考えると、これを生かす方がより日本語的と思えるからである。これによれば、第148回芥川賞を受賞した黒田夏子氏の「abさんご」(早稲田文学5号)のひらがな多用表現は挑戦的な日本語擁護文学と云えよう。

 

 それはそうとして、戦後は当用漢字、常用漢字による漢字の文字規制をし過ぎた為に語彙がすっかり細っている。これを適切な水準まで取り戻せねばならないとも思う。少なくとも地名、人名、法律文に使われている文字は常用漢字内に復権させるべきだろう。これを分かりやすく理解するには、脳のシワを増やす方向が良く、逆に脳をツルツルにするのは良くないと考えればよい。但し、物事にはほどほどの見極めが必要で、専門家が指針させるべきであろう。目下の戦後来の絞り込み過ぎは日本語の能力を欠損せしめているであろう。

 

 略字についても一言しておく。略字は、略字が元の語義を損なうことなく略字化している場合に限り大いに使用されるべきだと考える。画数の多い漢字は書きづらく、見た目も美しくないし、読み書きの現代的スピードに相応しくないという理由による。

 

 ところで、日本語の漢字の略字は中国語のそれよりデキが良い。当時の略字に関わった学者は賞賛されるに値する。そういう意味で、中国は日本語の略字を取り入れるべきであり、日本も又優れた中国略字を取り入れるべきだと考える。こういうところで排外主義的な界壁を設けるには及ばないと考える。いつの日にか、漢字圏である中国、日本、朝鮮、韓国、台湾が共同して互いの漢字言語を総合比較させ、合理性の高い共通常用文字を生み出すべきであろう。そういう時代が来れば漢字言語がより豊かになると思う。アルファベット系文字と漢字系文字の並存と云うツーワールド言語社会こそが将来に相応しいと思う。この理屈は当然他にも当てはまろう。

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2013年11月11日 (月)

戦国期の研究を通じての陰謀論考

 戦国武将家伝書考をしながらふと気づいたことを記しておく。その最たる例は本能寺の変であるが、明智光秀軍の叛旗をどう読み取るかで諸説が入り乱れている。れんだいこは、これを当時の歴史状況に照らしてバテレン陰謀説を採る。これは自然に見えてくる見立てである。バテレン陰謀説を採らない諸説に愚昧を感じ無駄な推理遊びとぞ思う。

 ここで興味深いことを確認する。陰謀説は一般に、これを批判する側から「こじつけ」、「うがち過ぎ」の由を聞く。しかしながら、本能寺の変の推理で分かるように、陰謀説のほうが素直な読み取りであり、これを採らずにあれこれの推理をする側の方にこそ「こじつけ」、「うがち過ぎ」の評がふさわしい。つまり、陰謀説批判は、手前の方が「こじつけ」、「うがち過ぎ」であるのに、陰謀説に対して手前が受けるべき批判を先回りして相手方に投げつけていることになる。これも悪質論法の一つである。この論法は案外あちこちで多用されている。

 未だ陰謀説は学説と成り得ていない。しかしながら、このことは、陰謀説が学説になるに足らないのではなく、学説の方が陰謀説を排除する特殊な政治主義に牽引誘導されている為ではなかろうか。近現代史は、れんだいこ式陰謀説が捉えるところの国際金融資本帝国主義ネオシオニズム派の権力により支配されている。最近になってこれを簡略に「国際ユダ屋」と命名している。これに照らせば、「国際ユダ屋」の許容しない研究は学説にさせないとされているだけのことではなかろうか。政治経済文化精神のみならず学問といえども「勝者の官軍論理」に導かれている。勝者側は勝者側に不都合な学問は許容しない。これが陰謀論批判の社会学的根拠ではなかろうか。

 戦国史の研究をしながら、こういうことに気付いた次第である。ここでは本能寺の変を挙げたが、13代足利将軍・義輝刺殺事件も臭い。千利休切腹事件も臭い。あれは石田光成を長とする特捜調査団により動かぬ証拠を突きつけられて切腹に追い込まれたと考えれば疑問が解ける。かの時代の枢要な事件においてバテレン派の黒幕性を見て取ることができる。仮に、だとするなら、同じ目線で現代史を捉え返す必要があるのではなかろうか。という具合に関係してきて、それ故にそういう本当のことを言うのが一番いけないこととして、それだけは言うな、ほかのことなら何でも許すという囲いの中で知の遊びをしているのではなかろうか。

 所詮、学問といっても、この程度のものではなかろうか。よって、許され囲われた知恵遊びの空間の中で難しそうに賢こげに言う者がいたら眉唾してきた、れんだいこのカンは当たりだったと改めて思う次第である。こういうこともいつか言っておきたかった。

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2013年11月10日 (日)

戦国武将家伝書考

 ここで「戦国武将家伝書考」をしておく。特定秘密保護法案なるものが上程され、議論喧しい折柄、何かの役に立つ論考になると自負している。

 れんだいこは今、戦国史の研究に入っている。織田信長を経て徳川家康の履歴確認に向かっている。この時、「東照宮御實紀」に出くわし、これを現代仮名遣い表記に改めながら読み直している。ここで感心することは、当時の名ある者の武将の人物伝と家史が遺されていることである。今日これが立派な歴史史料になっている。有名なところで織田信長に信長公記、豊臣秀吉に太閤記、徳川家康に東照宮御實紀、武田信玄に甲陽軍鑑が挙げられようが、それらが各々研究上の必須手引き書となっている。これを仮に正史とすれば他にも副本がある。当然、書き手によって事件の考察の仕方、記述が異なっているが、それぞれが研究本として役目を果たしている。これを仮に「戦国武将家伝書」と命名する。

 これを思えば、近現代政治史のそれが「戦国武将家伝書」の水準に及ばないのではなかろうかと危惧する。近現代史に於いては議会制となっているので、その政権史が「戦国武将家伝書」に該当するのであろうが、紙数の割には質は劣っているのではなかろうか。れんだいこが確認するところ、少なくともガイドものと詳細ものと二種必要であるが、これさえできかねているのではなかろうか。

 今、当時の何々家を今日の政党として、政党史を確認してみたい。これをホームページで見るところ、戦後の政党に於いてこれを為しているのは自民党である。「党の歩み」(https://www.jimin.jp/aboutus/history/prime_minister/)がガイドし、その脇に歴代首相の政権史を記しており、これが詳細ものとなっている。なぜ自民党がこれを能く為し得、他の政党が為し得ないのか理由が分からない。

 逆に一番お粗末なのが社民党、共産党である。ホームページ上に党史そのものがない。社民党の場合、社会党時代の史料は「労働者運動資料室」(http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/)でサイトアップされている。社民党が社会党から出自していることを思えば、せめてリンク掛けすべきであろうがしていない。社民党が党史を不要とする料簡が理解不能である。

 共産党の場合、以前は宮顕-不破系党中央からするご都合主義的噴飯ものの党史が僅かながらも記されていたと記憶するが今やそれもない。この党の場合、数多く大衆団体を持つが「歩み」を記さない芸風で共通している。手前たちがよほど賢いと己惚れているのか必要を認めていないかのどちらかであろうが、れんだいこは隠していると見立てている。この党には何せ公正明大な気風がない。

 もとへ。それに比べて「戦国武将家伝書」による歴史史料の綴りぶりはどうだろう。思うに、それは古事記、日本書紀の伝統を受け継いでいるのではなかろうか。徳川政権時代までは、この伝統が続いていたと思われる。或る政策、事件、人物に際し5W1Hの記述法に基づき克明に記している。れんだいこは、当時の日本人の優秀さ、公正堂々さを示していると見立てている。史料の質はその国の活力のバロメーターであると思っている。少なくとも「歩み」を克明に記述して歴史に晒して遺すことに何憚ることがない自負があったと思っている。

 そろそろ結論だが、それを思えば昨今の日本政治の質は何なんだと云うことになる。今、安倍政権でTPP秘密交渉、特定秘密保護法案なるものが画策されているが恥ずものはないのか。政権が何を為し、為さなかったのか、どう対応したのか、これを克明に記し遺しておくのは歴史に対する務めであるところ、これを逆に隠す側に回って恥じないなどど云うことが何に由来するのだろうか。歴史犯罪であることは間違いない。政治の粗脳化、幼稚化、私物化の為せるワザの果てのものであるが、一体、誰がこのような歴史暴力へ誘導しているだろうか。後は書くまい。

 
別章【徳川家康】
 
(http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/sengokukinokenkyu/sengokudaimyoco/tokugawaieyasuco/top.html)

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2013年11月 4日 (月)

天下取りに挑んだ信長、秀吉、家康の比較考

 ここで少し息抜きの論考をしておく。「戦国期に天下取りに挑んだ信長、秀吉、家康の三将比較」をしておく。これにつき、本人が詠んだものかどうかは別として「ホトトギスの句」がある。知られている割には正確には知られていないので、これを確認する。

 「ホトトギスの句」は、信長、秀吉、家康のそれぞれの気性、生き方、行動をうまく表現しており名句として口ずさみ継がれている。出所は松浦静山「甲子夜話」(かっし・やわ)であり、当時詠み人知らずで伝わった歌として収録されている。これを確認する。

 サイト元は「資料206 鳴かぬなら……(「ほととぎす」の句)」の「連歌その心自然に顯はるゝ事 『耳袋』巻の八より」その他である。(「時鳥」、「杜鵑」、「郭公」と書き分けられているが、読み易くする為「ホトトギス」と書き直す)

 「古物語にあるや、また人の作り事や、それは知らざれど、信長、秀吉、恐れながら神君(家康)御參会の時、卯月のころ、いまだホトトギスを聞かずとの物語いでけるに、信長『鳴かずんば 殺してしまへホトトギス』とありしに、秀吉『なかずとも なかせて聞こうホトトギス』とありしに、『なかぬなら なく時聞こうホトトギス』とあそばされしは神君の由。自然とその御德化の温順なる、又殘忍、廣量なるところ、その自然をあらはしたるが、紹巴(じょうは)もその席にありて、『なかぬなら 鳴かぬのもよしホトトギス』と吟じけるとや」。

 「甲子夜話五十三」の「鳴かぬなら」は次のように記している。

 「夜話のとき、或る人の云いけるは、人の仮托に出る者ならんが、その人の情実に能く恊へりとなん。ホトトギスを贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、『なかぬなら 殺してしまへホトトギス 織田右府』、『鳴かずとも なかして見せふホトトギス 豊太閤』、『鳴かぬなら 鳴くまで待てよホトトギス 大権現様』。このあとに二首を添ふ。これ憚る所あるが上へ、もとより仮托のことなれば作家を記せず。『なかぬなら 鳥屋へやれよホトトギス』、『なかぬなら 貰て置けよホトトギス』。

 この「ホトトギスの句」が、現在では以下のようななめらかな口調の歌にされて伝えられている。

鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス   (信長)
鳴かぬなら 鳴かしてみせよう ホトトギス(秀吉)
鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス  (家康)

 「戦国期に天下取りに挑んだ信長、秀吉、家康の三将比較」につき、他にも三人の戦国武将が天下統一とどのようにかかわったのか次の歌で表現され伝えられている。

 「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座りしままに食うは家康」。

 つまり、織田信長が準備し、羽柴(豊臣秀吉)が完成させた天下統一を忍耐し続けた家康が手に入れたと詠んでいる。史実を確認すれば、信長が足利政権を滅ぼし織田政権を展望中、本能寺の変で最後を遂げた。この間、旧体制を革命的に改変し新時代の基礎を築いた。豊臣秀吉が信長の事業を受け継ぎ、信長的軍事力にのみ頼らず巧みな人心収攬術を駆使して天下統一を成し遂げた。

 徳川家康は信長や秀吉との関係を良好に保ちつつ時期が来るの待った。家康の言「人の一生は重き荷を負うて遠き道に行くが如し」の通りの生き様であった。信長や秀吉に比べて華やかではないが着実を旨とし徳川幕府三百年の支配体制の礎を築いた。この史実を踏まえ巧みに詠んだ名句であろう。

 それにしても、こういう短い韻律句で歴史を伝える日本語は素晴らしいと思う次第である。

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2013年11月 1日 (金)

れんだいこの信長論その1、織田信長研究論

 このところイエズス会考をブログしてみた。この流れで織田信長を確認しようと思う。信長のバテレン被れとバテレン離れの相克を検証してみたいからである。何より信長は戦国末期政治史の中心(芯)に位置している。彼を研究することにより戦国末期の政治史が良く見えてくる。例えて言えば、富士山を理解するのに、実際に登山し、頂上から見れば全景が良く見えるのに似ている。先に清河八郎論で、幕末史は清河八郎の活動歴から見ればよく見えると述べたが、同じ意味合いで信長の動きを見れば戦国末期史の流れが能く見える。こういう「高見できる人物」はそう居る訳ではない。

 これが「れんだいこの信長研究」の動機である。2013(平成25)年、63歳の時、これに着手する。役に立たない国際ユダ屋お仕着せの学問に慣らされた分、本来は歴史好きのれんだいこが関心を払わぬようになり、遅くなった嫌いはあるが今気づいたのが幸いである。別に遅過ぎることはないと思う。

 れんだいこの信長論は、その生涯履歴を、「履歴考1(上洛まで)」、「履歴考2(上洛以降安土城普請まで)」、「履歴考3(安土城普請以降光秀の謀反まで)」、「履歴考4(光秀の謀反から本能寺の変まで)」、「履歴考5(本能寺の変後の政争史)」の5本立てとする。この仕分けの方が結節が能く見えるからである。基本的には天下布武の顛末史となる。

 信長ありせばこその秀吉の天下統一であり、三百年近く続くことになる家康の江戸幕府開設であったことを考えると意義深い。留意すべきは、この時代、日本が国際ユダ屋に狙われており、この危機をどう切り抜けたかが見ものとなっている。結果的に鎖国体制を敷いたが、これにより得た得失を当時の歴史軸で評価し、今日の歴史軸で改めて問い直したいと思う。「当時の歴史軸での評価なしの今日的歴史軸見解」が流布されることが多いが、凡愚の見立てと云わざるを得まい。

 戦国末期史の研究が何故に重要か。それは1543-44(天文12-13)年頃の鉄砲伝来、イエズス会宣教師ザビエル来日から始まる国際ユダ屋の日本攻略の轍(てつ)が2013現在の日本政治史に合わせ鏡となっているからである。

 1945年の大東亜戦争での敗戦以来、日本は直接間接に国際ユダ屋の露骨な対日攻略の軛(くびき)に置かれてきた。その結果の2013政治となっている。これから如何に逃れるのか、日本を再生させるのかの恰好教材として戦国末期史の研究が要請されていると了解している。その為には、冒頭で述べたように織田信長論から入るのが最も適切であろう。その他の戦国武将論、史実論、事件論は、その延長線上で交合させれば良いと思う。

 もし仮に、先行する同視点啓蒙書があれば幸いである。それを下敷きに註釈替えして行けば良いからである。ざっとネット情報に目を通してみたがない。書籍では立花京子著「信長と十字架」(集英社、2004年初版)があるようではある。他に非常に精緻な研究書はあるようである。しかし精緻過ぎて却って焦点が分からなくなるきらいがある。

 それに何よりバテレン被れ下の天下布武史と、バテレン離れ後の安土城築城から本能寺の変までの流れとの緊張感がないままの長文饒舌記録では読むのに辟易するだけのことになる。そういうものはそういうものとして有益であろうが、市井人の我らは却って遠ざかってしまう。そういう意味で、重要史を押えながら分かり易く知って為になる必読本信長論を綴って行きたいと思う。

 ここまでを織田信長研究論とし、以下、織田信長論とする。サイトは下記の通り。今は出来立てほやほやだから全く不十分ではあるけれども。

 別章【織田信長
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/sengokukinokenkyu/sengokudaimyoco/odanobunagaco/top.html)

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