« れんだいこのイエズス会考3 | トップページ | 天下取りに挑んだ信長、秀吉、家康の比較考 »

2013年11月 1日 (金)

れんだいこの信長論その1、織田信長研究論

 このところイエズス会考をブログしてみた。この流れで織田信長を確認しようと思う。信長のバテレン被れとバテレン離れの相克を検証してみたいからである。何より信長は戦国末期政治史の中心(芯)に位置している。彼を研究することにより戦国末期の政治史が良く見えてくる。例えて言えば、富士山を理解するのに、実際に登山し、頂上から見れば全景が良く見えるのに似ている。先に清河八郎論で、幕末史は清河八郎の活動歴から見ればよく見えると述べたが、同じ意味合いで信長の動きを見れば戦国末期史の流れが能く見える。こういう「高見できる人物」はそう居る訳ではない。

 これが「れんだいこの信長研究」の動機である。2013(平成25)年、63歳の時、これに着手する。役に立たない国際ユダ屋お仕着せの学問に慣らされた分、本来は歴史好きのれんだいこが関心を払わぬようになり、遅くなった嫌いはあるが今気づいたのが幸いである。別に遅過ぎることはないと思う。

 れんだいこの信長論は、その生涯履歴を、「履歴考1(上洛まで)」、「履歴考2(上洛以降安土城普請まで)」、「履歴考3(安土城普請以降光秀の謀反まで)」、「履歴考4(光秀の謀反から本能寺の変まで)」、「履歴考5(本能寺の変後の政争史)」の5本立てとする。この仕分けの方が結節が能く見えるからである。基本的には天下布武の顛末史となる。

 信長ありせばこその秀吉の天下統一であり、三百年近く続くことになる家康の江戸幕府開設であったことを考えると意義深い。留意すべきは、この時代、日本が国際ユダ屋に狙われており、この危機をどう切り抜けたかが見ものとなっている。結果的に鎖国体制を敷いたが、これにより得た得失を当時の歴史軸で評価し、今日の歴史軸で改めて問い直したいと思う。「当時の歴史軸での評価なしの今日的歴史軸見解」が流布されることが多いが、凡愚の見立てと云わざるを得まい。

 戦国末期史の研究が何故に重要か。それは1543-44(天文12-13)年頃の鉄砲伝来、イエズス会宣教師ザビエル来日から始まる国際ユダ屋の日本攻略の轍(てつ)が2013現在の日本政治史に合わせ鏡となっているからである。

 1945年の大東亜戦争での敗戦以来、日本は直接間接に国際ユダ屋の露骨な対日攻略の軛(くびき)に置かれてきた。その結果の2013政治となっている。これから如何に逃れるのか、日本を再生させるのかの恰好教材として戦国末期史の研究が要請されていると了解している。その為には、冒頭で述べたように織田信長論から入るのが最も適切であろう。その他の戦国武将論、史実論、事件論は、その延長線上で交合させれば良いと思う。

 もし仮に、先行する同視点啓蒙書があれば幸いである。それを下敷きに註釈替えして行けば良いからである。ざっとネット情報に目を通してみたがない。書籍では立花京子著「信長と十字架」(集英社、2004年初版)があるようではある。他に非常に精緻な研究書はあるようである。しかし精緻過ぎて却って焦点が分からなくなるきらいがある。

 それに何よりバテレン被れ下の天下布武史と、バテレン離れ後の安土城築城から本能寺の変までの流れとの緊張感がないままの長文饒舌記録では読むのに辟易するだけのことになる。そういうものはそういうものとして有益であろうが、市井人の我らは却って遠ざかってしまう。そういう意味で、重要史を押えながら分かり易く知って為になる必読本信長論を綴って行きたいと思う。

 ここまでを織田信長研究論とし、以下、織田信長論とする。サイトは下記の通り。今は出来立てほやほやだから全く不十分ではあるけれども。

 別章【織田信長
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/sengokukinokenkyu/sengokudaimyoco/odanobunagaco/top.html)

|

« れんだいこのイエズス会考3 | トップページ | 天下取りに挑んだ信長、秀吉、家康の比較考 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1453913/53795676

この記事へのトラックバック一覧です: れんだいこの信長論その1、織田信長研究論:

« れんだいこのイエズス会考3 | トップページ | 天下取りに挑んだ信長、秀吉、家康の比較考 »