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2013年11月 4日 (月)

天下取りに挑んだ信長、秀吉、家康の比較考

 ここで少し息抜きの論考をしておく。「戦国期に天下取りに挑んだ信長、秀吉、家康の三将比較」をしておく。これにつき、本人が詠んだものかどうかは別として「ホトトギスの句」がある。知られている割には正確には知られていないので、これを確認する。

 「ホトトギスの句」は、信長、秀吉、家康のそれぞれの気性、生き方、行動をうまく表現しており名句として口ずさみ継がれている。出所は松浦静山「甲子夜話」(かっし・やわ)であり、当時詠み人知らずで伝わった歌として収録されている。これを確認する。

 サイト元は「資料206 鳴かぬなら……(「ほととぎす」の句)」の「連歌その心自然に顯はるゝ事 『耳袋』巻の八より」その他である。(「時鳥」、「杜鵑」、「郭公」と書き分けられているが、読み易くする為「ホトトギス」と書き直す)

 「古物語にあるや、また人の作り事や、それは知らざれど、信長、秀吉、恐れながら神君(家康)御參会の時、卯月のころ、いまだホトトギスを聞かずとの物語いでけるに、信長『鳴かずんば 殺してしまへホトトギス』とありしに、秀吉『なかずとも なかせて聞こうホトトギス』とありしに、『なかぬなら なく時聞こうホトトギス』とあそばされしは神君の由。自然とその御德化の温順なる、又殘忍、廣量なるところ、その自然をあらはしたるが、紹巴(じょうは)もその席にありて、『なかぬなら 鳴かぬのもよしホトトギス』と吟じけるとや」。

 「甲子夜話五十三」の「鳴かぬなら」は次のように記している。

 「夜話のとき、或る人の云いけるは、人の仮托に出る者ならんが、その人の情実に能く恊へりとなん。ホトトギスを贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、『なかぬなら 殺してしまへホトトギス 織田右府』、『鳴かずとも なかして見せふホトトギス 豊太閤』、『鳴かぬなら 鳴くまで待てよホトトギス 大権現様』。このあとに二首を添ふ。これ憚る所あるが上へ、もとより仮托のことなれば作家を記せず。『なかぬなら 鳥屋へやれよホトトギス』、『なかぬなら 貰て置けよホトトギス』。

 この「ホトトギスの句」が、現在では以下のようななめらかな口調の歌にされて伝えられている。

鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス   (信長)
鳴かぬなら 鳴かしてみせよう ホトトギス(秀吉)
鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス  (家康)

 「戦国期に天下取りに挑んだ信長、秀吉、家康の三将比較」につき、他にも三人の戦国武将が天下統一とどのようにかかわったのか次の歌で表現され伝えられている。

 「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座りしままに食うは家康」。

 つまり、織田信長が準備し、羽柴(豊臣秀吉)が完成させた天下統一を忍耐し続けた家康が手に入れたと詠んでいる。史実を確認すれば、信長が足利政権を滅ぼし織田政権を展望中、本能寺の変で最後を遂げた。この間、旧体制を革命的に改変し新時代の基礎を築いた。豊臣秀吉が信長の事業を受け継ぎ、信長的軍事力にのみ頼らず巧みな人心収攬術を駆使して天下統一を成し遂げた。

 徳川家康は信長や秀吉との関係を良好に保ちつつ時期が来るの待った。家康の言「人の一生は重き荷を負うて遠き道に行くが如し」の通りの生き様であった。信長や秀吉に比べて華やかではないが着実を旨とし徳川幕府三百年の支配体制の礎を築いた。この史実を踏まえ巧みに詠んだ名句であろう。

 それにしても、こういう短い韻律句で歴史を伝える日本語は素晴らしいと思う次第である。

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