« 日本神道考その6 | トップページ | れんだいこのファシズム考 »

2013年12月 6日 (金)

日本神道考その7

 ここで、日本語の日常用語に何気なく秘められている日本神道の息遣い、思想、教示を確認する。これをネットで検索すると、いろいろ試みてみたが出てこない。そういう意味で手探りになる。これを諺(ことわざ)、名句、慣用句も含めて総合的に解析するのは別の機会に譲るとして、ここでは会話常用句について見ておく。

 これにつき一般に仏教思想から説明されているが、れんだいこに云わせれば日本神道隠しでしかない。仏教教説と重なる面もあるが元々は日本神道から由来していると理解すべきではなかろうか。興味深いことは、その殆どが英訳しにくいことである。これは背後にある思想の違いを抜きにしては考えられない。何気ない会話常用句の中に日本神道の精神が内在していると窺うべきだろう。

 挨拶語の全てがそうである。「おはようございます」、「こんにちわ」、「こんばんわ(お晩です)」の朝昼晩の日時挨拶語。「良い時候(天気)ですね」、「暑いですね」、「寒いですね」、「雨で嫌ですね」、「晴れて気持ちよいですね」等々の天候や時候の挨拶語。「はじめまして」、「ようこそ」、「よろしく」、「どうぞ」、「さようなら」、「行ってまいります」、「行ってらっしゃい」、「ただいま」、「お帰りなさい」、「お休みなさい」、「お疲れ様」、「お久しぶり」、「ごめんください」、「.お入り下さい」、「お上がり下さい」、「お掛けください」、「恐縮です」、「お邪魔します」、「よろしくお願いします」、「(お先に)失礼致します」等々の礼儀挨拶語。

 これらは皆な日本神道の賜物であり、日本神道が挨拶を重視していることを窺うべきだろう。自身と相手を対等にして礼儀を尽す配慮が認められることに気づく。外国語の、英語の「サンキュー」、「ハロー」、ドイツ語の「ダンケシェーン」、「ビッテ」、イタリー語の「チャオ」のような万能語はないが、それぞれの場面に応じた適切簡潔な挨拶語を用意していることに気づく。

 感謝用語がそうである。接客用語の「ようこそ」、「いらっしゃいませ」、「はい、かしこまりました」、「少々お待ちくださいませ」、「お待たせいたしました」、「かしこまりました」、「どう致しまして」、「ありがとうございます」、「又お越しくださいませ」、「申し訳ございません」、「あいすみません」等々がある。他にも、「分かりました」、「お手数をおかけしました」、「お構いなく」、「何のお構いもしませんで」、「悪しからず」、「ご遠慮なく」、「ご自由に」、「どうぞ、ごゆっくりと」、「お先にどうぞ」、「おかげさま」、「ご苦労さま」、「お世話様」、「お世話になります」、「いろいろお世話になりまして」、「(お体を)大切に」も然りで、これらは皆な思いやりを示している。これによると日本神道は相手に対する思いやり、感謝を重視していることが分かる。

 食事の際の「いただきます」、「ごちそうさま」も然りで独特のものである。これは、単に食事マナーと云うだけでなく、同席の者に対する礼儀的言葉であり、同時に食される動植物の生命に対する慰労、謝意を表現しているようにも思われる。ちなみに、食事の際は、極力家族団らんで食べるよう指導されている。職場その他皆なで食べるのも然りである。囲炉裏を囲むようにして集団で飲食し、それがおいしいと感じるのは既に日本人の遺伝子になっていると云えよう。コの字型、楕円型を囲む居酒屋風パブが隆盛しているのは、この伝統を継承していることによると思われる。

 なお、和食は2013.12月、ユネスコの無形文化遺産に登録されたが、自然素材をそのままに旬に食べることを特徴とし且つ医食同源思想に貫かれているものである。医食同源で云えば、これを何も中国伝来の思想とする必要はない。日本でも発達し中国でも発達し、或る時に中国式医食同源思想が輸入され混ざり合ったと考える必要がある。いわゆる漢方薬に対する和方薬も昔から育まれていたことを踏まえる必要があろう。中でも温泉治療(湯治、とうじ)は和方薬の粋であろう。

 貰い貰われの際の「お粗末なものですが」、「つまらない物ですが」のへりくだりも然り。へりくだりで云えば「愚妻」も然りであろう。これは別に妻が愚かな訳ではない。良妻賢母であることを承知してなお相手方に対してへりくだり相手を立てる気持ちが認められる。何事もほどほどでにすべきではあろうが。「もったいない」も然りで、ものを大切にする日本神道思想を反映しているように思われる。「おもてなし」は言葉ではないが精神として然りであろう。他にもこの種の言葉があると思われる。

 「気」に関してかなりナイーブな使い方をしていることが分かる。「狂人」を「気違い」と云い表している。「気違い」を差別用語とみなす向きがあるが元々は「気の間違い」から来ているとする、かなり慈愛の深い用語であろう。「お元気ですか」、「お気の毒さま」、「お気をつけください」、「気落ちしないでね」、「気遣い」、「気配り」、「気配(けはい)」等々も然り。「気」に関する用語がかなり多い。「けがれ」を漢字では「汚れ」、「穢れ」と記しているが、「気枯れ」とも読める。こういう例も探せば他にもあろう。これによれば、日本語が如何に「気」を重視しているかが分かる。そこに日本思想が宿っているように思われる。「間(ま)」に対しても独特の使い方をしており重視していることが分かる。

 人の生き死に対しても日本神道の影響が認められる。妊娠-出産に対して「神様からの授かりもの」として「おめでたい」こととして喜ぶ。決して夫婦自力の技とは捉えていない。ちなみに「おめでとうございます」、「お祈り申し上げます」はいろんな場面で使われる言葉である。死に対しても本来は恐怖感を持たせていない。元々は「土から生まれ土に帰る」という自然思想を持っているように思われる。死者の霊が山、森に宿り見守り続けているとする思想もある。それらは天国、極楽、地獄思想や輪廻転生とは馴染まない。頭で考えなければ分からないようなものは日本神道の思想ではないように思われる。

 「祓え給え、清め給え」の禊思想による諸言葉もある。これより「水に流す」的様々な発想が生まれている。悪しきことに対して拭えば払われる埃(ほこり)のようなものとして捉えている節がある。「ハレ」、「ケガレ」、「忌み」の思想はあるが、仏教的因縁論、業論やユダヤーキリスト教的原罪論、罰論、悪論はない。

 歌もそう。民謡のような歌と和歌のような文の歌があるが、言葉の中に韻、リズムを重視しており、これは日本神道が天地自然の韻、リズムを踏まえており、日本語がこれを継承していることによる。「五、七、五」、「五、七、五、七、七」調子はこれより由来していると思われる。

 総評すれば、言葉の中の全体に共同体的思想、神人和楽思想が認められる。出雲の七福神思想から来る御教えなり言葉も認められる。日月に拍手を打つ拝も然りである。こういうことを諺(ことわざ)、名句、慣用句も含めて考察すれば、日本語の中に宿る日本神道精神がもっと明らかになるであろう。れんだいこが感心するのは、これらが皆な万物に聖霊が宿るとする諸神信仰から生まれているように思われることである。戦後日本が教えられ続けているユダヤーキリスト教思想にはないものである。このことは、宗教や精神を含む文明も又二者択一ではなく併用を志すべきであることを教えているように思われる。今日びのお偉い先生方の耳に届けたい話しである。(ひとまず完)

|

« 日本神道考その6 | トップページ | れんだいこのファシズム考 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1453913/54167961

この記事へのトラックバック一覧です: 日本神道考その7:

« 日本神道考その6 | トップページ | れんだいこのファシズム考 »