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2013年12月21日 (土)

れんだいこの平田篤胤史学論その5

 ここで、神代文字について確認しておく。「れんだいこの平田篤胤史学論」で取り上げる理由は、篤胤が晩年に先駆け的に神代文字論を展開しており、その国体論と共に白眉な功績があると思われる故である。神代文字論を廻っては現代においても係争中である。通説は神代文字存在説を唱える者を邪とし否定説を声高に唱える者を正としているが、その構図は丁度、れんだいこが「戦国期の研究を通じての陰謀論考」で述べたように転倒しているのではなかろうか。即ち、陰謀説同様に、これを批判する側から「こじつけ」、「うがち過ぎ」の由を聞くが、神代文字存在説の方が素直な読み取りであり、これを採らずに否定する側に回る方にこそ「こじつけ」、「うがち過ぎ」の評がふさわしい。つまり、神代文字存在説批判は手前の方が「こじつけ」、「うがち過ぎ」であるのに、手前が受けるべき批判を先回りして相手方に投げつけているのではあるまいか。

 れんだいこは「篤胤史学」の神代文字論を高く称賛する。しかしながら、篤胤研究の第一人者的地位を自負し、篤胤著作の解説で知られている山田孝雄(1873-1959)は、論文「所謂神代文字の論」(1953年)で、「神代文字をめぐる議論がいかに毒におかされた危険な代物であるのか」と憤怒の口調で語り、その主犯者の一人として平田篤胤を挙げ、「篤胤がなぜ神代文字などという妄説を信じたのか、絶大なる不可思議の一つ」と批判しているとのことである。れんだいこから見れば山田孝雄こそオカシイ。「変調な篤胤研究者ぶり」が分かる。こういう研究者があちこちにいる。先に小林多喜二研究での手塚英孝の変調さについて述べたが、何も山田孝雄、手塚英孝ばかりではなかろう。いつの日か「山田孝雄の篤胤論」との決着をつけたいと思う。       

 通説は漢字渡来以前の日本には文字がなかったとしている。しかし、漢字渡来と同時に万葉仮名を生み出し、その後、平仮名、カタカナを発明し、「漢字&ひらがな&カタカナ」混交の日本語が形成されていった経緯を読み取るとき、逆に不自然なのではなかろうか。そもそも、漢字渡来以前の日本に文字がなかったとすれば、今日の世界史上での英語の伝播と同じように、受入れ側は母国語を捨て丸ごと外国語へ転換する方が容易だったのではなかろうか。なぜわざわざ、日本語の大和言葉の発音をベースにしてそれに漢字を当てはめ、いわゆる万葉仮名を生み出していったのか。その万葉仮名も、次第に単に発音ベースではなく、発音も意味も大和言葉に近い漢字を求めて進化して行くようになる。我々の父母祖は何でそれほどまでに母国語に拘ったのだろうか。

 推理するのに、漢字渡来時点で、中国語に比して遜色のない上古代日本語が確立されていた故ではなかろうか。その時の上古代日本語には語りだけがあって文字がなかったのか。通説はそう理解する。しかしそういう理解の方こそ余りにも不自然ではなかろうか。れんだいこ推理は、この時、幾種類かの小国家毎の図象文字表記が為されていたところ、時の大和王朝権力が文字の統一化と云う必要もあり漢文を強い、図象文字使用を政治的に禁制にし、図象文字本はそれが為に廃棄処分させられ、一部が地下に隠され、その大半のものがいつのまにか散逸、一部が残ったのではなかろうか。

 これを逆から窺えば、我らが父母祖は図象文字と漢字の表意文字との優劣を測り、結果的に図象文字本の漢字文字本への転写をした上で、図象文字本を秘すべきところに秘したのではなかろうか。こう見立てると、万葉集も原文は神代文字で書かれていたのではなかろうか。この時使用された漢字を万葉仮名と云う。かくて数百年後、神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)探索の旅が始まることになった。これが神代文字考史となる。

 それでは、上古代日本語の文字がどのようなものであったのか。今日となっては判明しないが、その手がかりとして各地の寺社に遺されている文字がある。知られているだけでも出雲大社、熱田神宮、三輪神社、鶴岡八幡宮、浅間神社、大山阿夫利神社、三峰神社などの神璽、洞窟、岩などに神代文字が記されている。神代文字には多くの種類があり、形態も象形的なものから幾何学的なものまで様々なものがある。伊勢神宮の神宮文庫に約百点奉納されていると云う。これをどう理解すべきか、実在か後代の捏造かが問われている。

 古史古伝の多くに神代文字が登場する。カタカムナ図象文字。出雲文字。上記、竹内文献に使われているのは全文が豊国文字。秀真伝や三笠紀に使われているのは全文が秀真(ホツマ)文字。文の中で紹介されているのが九鬼文書の春日文字、宮下文書の阿祖山文字、物部文書の物部文字、東日流外三郡誌の津保化砂書文字、対馬の卜部・阿比留(あびる)家において発見された阿比留(あひる)文字、阿比留草文字等々。まだ世に出ていないのもあると思われる。これらを、後世の偽造偽作とする説の方が「こじつけ」、「うがち過ぎ」ではなかろうか。

 平安時代の「古語拾遺」に「上古の世、未だ文字あらず」と記載されており、これが定説となってきた。しかし、神代文字が存在したとする説は古神道系の者には古くより常識とされていた。1367(貞治6)年に南北朝期の神道家・忌部正通によって書かれた「神代巻口決」は次のように記しているとのことである。「神代の文字は象形なり。応神天皇の御宇、異域の経典、初めて来朝してより以降、推古天皇に至って聖徳太子、漢字をもって和字に付けたまふ」。その通りではなかろうか。

 してみれば、学説論争が始まるのが江戸時代に入ってからと受け止めればよい。1676(延宝4)年、神道家・永野采女と僧・潮音道海が「先代旧事本紀大成経」を著して以来、同書で指摘された神代文字の存在が浮上してきた。江戸時代中期の儒学者の新井白石が出雲大社や熱田神宮に神代から伝わったとされる文字が残っていることを指摘している。他方、貝原益軒は否定している。賀茂真淵や本居宣長らの国学者は否定している。

 宣長は、「言霊の幸はふ国」としての皇国観を披瀝しながらも漢字が入る前の日本には日本固有の文字がなかったとしていた。「上代の人々には字がなく、人々は口で伝え耳で聞くという方法で意思の疎通をなしてきたが、外国から書籍が入って来たため字を読み書くようになった」(古事記伝)とも述べている。かく神代文字を否定し、口述による記録こそが大和民族的であるとし、文字の概念自体が日本の外から来たものなのだという説を持っていたようである。

 これに対して篤胤は、神代文字に関する資料を全国に求め神代文字存在説の論陣を張った。1811(文化8)年、36歳の時、春・夏・秋・冬の四卷からなる「古史徴」を著わし、春巻第1巻「開題記」の中の「神世文字の論」の稿で、漢字渡来前の古代日本には文字がなかったとする説に対して、神代文字存在論の立場から考証している。阿比留(あひる)文字を例証し、ハングル文字との著しい類似性を指摘しながら神代文字存在論を説いているとのことである。これは神代文字の系譜からハングル文字が編み出されたことを示唆している。1819(文政2)年、彼の弟子たちが「神字日文伝」(かんなひふみのつたえ)という題名で版本を発行し、神代文字存在論を一般に普及させることになる。「日文」とは「一、二、三」の意味を被せている。他方、伴信友は、「仮名本末」で神代文字の偽造説を説いて否定した。

 ここまでは神代文字に関する一般論である。これかられんだいこ節で説く。神代文字とは、漢字の渡来および仮名の成立に先だって上古の日本にかって存在していたとされる文字を云う。今後の神代文字研究で必要なことは、神代文字が弁えている日本語のアからンで終わる50音との絡みではなかろうか。日本語50音がいつどのようにして獲得形成されたのか、その起源をどこまで遡ることができるのか、との問いとワンセットにされねばならない。ここが最大の関心となるべきではなかろうか。れんだいこの神代文字への関心は実にここにある。従来の神代文字研究は50音の起源解明と連動していないように思える。それは手落ちではなかろうか。

 50音の獲得こそが日本語の最大功績であり、世界一の芸術言語足り得ている根拠である。日本語が諸外国語を受け入れるに当り母国言語を失うことなく受容し得た秘密がここにある。こう捉えない研究はいささか物足りない。問題は次のことにある。神代文字を生み出す時点で既に日本語50音があり、それに一音一字の図象文字を当てはめた風が認められる。それはほぼ同時的に為されたのではなかろうかと考えたい。ならば50音の発生過程を検証することこそが、そのまま神代文字考になるのではなかろうか。篤胤には語彙論については本格的なものはないようである。恐らく、これから向かう矢先に執筆停止と国元帰還措置をされ、あたら惜しくも歴史に遺されなかったのではなかろうか。日本語の語彙論は、神代文字肯定論派には分け入りたい魅力の分野となっていよう。

 本稿を、竹内健・氏の「神字論」の次の言葉で締め括る。「篤胤の神世文字の論は、戦後の史家が嘲笑って言うところの『狂信的な国学者の根も葉もない捏造』などではない。一歩譲って、よしそれが捏造であるにしても、一体『根も葉も』ある神話というものが存在するだろうか。神話の創生とは、人々の時空を超越した祈願の謂である」。

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