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2014年1月23日 (木)

日本古代史をどう紐解くべきかその2の1

 日本古代史をどう紐解くべきかその1」で正四書の政治主義性について言及した。これを踏まえて結論はこうなる。問題は、日本古代史書のどれもが史実をそのままに記述していない、構図そのものが歪められていると仮定して、何故にまわりくどい記述にしているのかを推理し、これを読み取ることにある。れんだいこは、ここに日本古代史の隠された秘密があると考える。これを仮に「日本古代史の秘密」と命名する。これは恐らく誰も解けない。解くとするなら、「日本古代史の秘密」が何故に仕掛けられているのか、その理由の詮索から始めねばならない。日本古代史を渉猟する歴史家の使命は、ここに向かわねばならないと考える。

 しかしどうやら永遠の課題になりそうである。こう確認した上で、それでもなおれんだいこは「日本古代史の秘密」の解明に向かおうと思う。本稿を書いているのは2012.8.20日であるが、この段階で見えてきたものがある。以下、これを確認しておく。この解析も尋常の能力からは生まれない。まさにれんだいこの霊能知によるものと思えば良い。

 その1。正四書を右代表とする古代史書が前提にしている「天津神と国津神の抗争譚」なる構図そのものが眉唾であり、史実の真相を大きく歪めている。我々は、この記述、史観に騙されてきたのではないのか。真実は「来航族と在地族との抗争」だったのではないのか。この時の来航族とは何者で、どこからやって来たのかは未解明のままである。はっきりしているのは、来航族が九州の各地を紆余曲折しながら最終的に日向の高千穂の峰に「天孫降臨」し、以降次第に在地の国津族を懐柔し、頃合いを見て「東に美(う)まし国ありと聞く。我いざこれを討たん」と宣べてより瀬戸内航路で豊葦原の瑞穂の国の中ツ国の征服に向かったことである。世にこれを「神武天皇の東征」と呼ぶ。

 名称としての神武天皇は後述するように初代天皇没後の諡号(しごう)であるので、この時点では神武天皇ではない。そういう意味では「来航族の東征」とした方が正確であろう。れんだいこは、その「来航族の東征」が戦った相手が在地族連合国家として形成されていた出雲王朝系の流れを引く邪馬台国王権であったと考えている。攻略戦の概要は「記紀の神武天皇の東征譚」に記されている通りであろう。相当数の国津族が内訌し、靡かなかった国津族も相当数居り、最後はがちんこ勝負となり、それも決着がつかず最終的に「手打ち和睦」した経緯が記されている。「記紀の神武天皇の東征譚」は、れんだいこ史観による「原日本新日本論」によるところの新日本系の側からの「勝てば官軍記述」であり、これを敗れた原日本系から見れば面貌を一変するだろう。

 結果的に、第一の国譲りである「大国主の命の治める出雲王朝の国譲り」に続いて第二の国譲りと位置づけられる「卑弥呼の治める邪馬台国王朝(三輪王朝)の国譲り」となり、来航族のプリンスであったワケミケヌの命がカムヤマトイワレ彦命となり初代天皇として即位した。このカムヤマトイワレ彦命の崩御後の諡名(おくりな)がハツクニシラススメラミコト(始馭天下之天皇)である。神武天皇という呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとされる。この神武天皇即位をもって大和王朝が始まる。

 れんだいこ史観によれば、この即位の時期は、邪馬台国が紀元3世紀頃の形成であるからしてそれより先と云うことはあり得ない。してみれば紀元3世紀を凡そ800年も遡る西暦の紀元前660年に当たる神武天皇即位記念としての「戦前の皇国史観式皇紀2600年祭」なぞはナンセンス神話と云うことになる。今日「建国記念の日」として継承され祝日にされているが、「建国記念の日」の設定は良いとしても、それが「戦前の皇国史観式皇紀2600年祭」的な歴史読み取りによるものであってはいい加減過ぎようと思う。

 もとへ。「日本古代史の秘密」は、この時より始まる。即ち、神武天皇側は来航的史実をそのままに記せば良いところを、自らを来航族とせず、敢えて在地族が最高神として崇める天照大御神の皇統を継ぐ聖なる天津神であるとし、他方で在地族を邪なる国津神として位置づけ、その抗争譚に書き換えている。この詐術が日本古代史を難解なものにしているのではなかろうか。

 本来、正四書が説いているような高天原王朝譚、その系譜上の最高神である天照大御神は国津族と対立するようなものではなかった。むしろ国津族政体として形成されていた出雲王朝-邪馬台国連合政体の憧憬が天照大御神信仰であって天照大御神は元々は国津族系の最高神であった。ところが現存する日本古代史書の殆どが、それを敢えて対立させる構図で編纂されている。ここに卑大なる歴史詐術があると看做すべきではなかろうか。見えてくるのは外航族の国津族慰撫法としての合わせ技的頭脳である。これが為に非常にややこしい真相が見えにくい日本古代譚になっているのではなかろうか。こう確認し読み直しすべきではなかろうか。以上を「日本古代史をどう紐解くべきかその2の1」とする。

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