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2014年1月23日 (木)

日本古代史をどう紐解くべきかその2の2

 日本古代史をどう紐解くべきかその2の1」で述べたように、「天津神と国津神の抗争譚」のややこしさは、来航族が天津神を僭称することにより、元々は国津神のアイデンティティー神話であった最高神としての天照大神を掠め取り、来航族がその血脈を受け継ぐ正統であると吹聴することでイデオロギー的に優位に立ち、この論法で新日本形成に向かい、国津神系諸国家を順々に服属せしめて行ったことに起因する。

 このウソをまことしやかに正史とさせたのが正四書ではないのか。但し、このウソを説く強度に於いて、日本書紀が生硬に記し、古事記が折衷的に記し、風土記、万葉集が控えめに記すと云うスタンスの違いが見て取れる。古史古伝は概ねこのウソに反発し国津神の御代を正統化しているが、こちらも生硬、折衷、控えめのどれかに位置して記述している。但し、古史古伝と雖も「正四書史観」の構図から抜け出せていない恨みがあり今一つ信が置けない。古史古伝が下敷きにしていた「幻の古史古伝原書群」こそ正典と思われるが、これは現存していない。かく理解すべきではなかろうか。

 日本上古代史上の最大政変が外航族の日本征服であり、その最初のハイライトが「大国主の命の治める出雲王朝の国譲り」である。次のハイライトが「卑弥呼の治める邪馬台国王朝(三輪王朝)の国譲り」である。これが殲滅解体され大和王朝が建国される。この時の王朝名を「ヤマト」と呼称したのも「日本古代史の秘密」である。

 本来であれば、旧政権である邪馬台国を連想させる「ヤマト」を嫌うべきところ、敢えて「我々こそが邪馬台国の正統なる後継政権である」とメッセージするかの如くに意義づけている。漢字の「大和」は「手打ち和睦」により樹立された政権であるとの意であろうが当て字に過ぎず、この当て字は表音から来るものではない。表意的に宛がわれ且つこれを「ヤマト」と読ませる特殊な表記となっていることに注意を要する。ここでも見えてくるのが外航族の国津族慰撫法としての合わせ技的頭脳である。征服側の統治術としては珍しいタイプではないかと思われる。

 従って、このような歴史詐術構図下で生み出されている正四書を鵜呑みにして学べば「日本古代史の秘密」が余計に分からなくなる。事実、その後の歴史は、正四書に依拠して学ぶことにより、ほぼ完璧に正四書通りの日本古代史像ができあがってしまった。これにより原日本御世の政体、治世、風俗の様子が消され分からなくされてしまった。明治維新以降に創出された皇国史観なぞは悪趣味的なほどに大和王朝を是、国津神王朝を邪とする聖戦イデオロギー一色に染め上げている。ここに皇国史観の無理筋性が認められよう。記紀以降の古代史学は、この無理筋的な歴史観に騙され続けてきた。こう確認すべきではなかろうか。

 とはいえ、結果的に記紀史観の良い面もある。それは、来航族が「我々こそが邪馬台国の正統なる後継政権である」と打ち出し、国津族慰撫法としての合わせ技を駆使したこと自体が、征服された側である原日本の歴史、伝統、文化を蹂躙するのではなく取り込むことを意味しているからである。これにより、被征服側から見て、世界征服史に通例の原住民族皆殺しジェノサイドの悲劇から逃れることになった面が窺えるからである。国津神系がそうはさせじの拮抗力を持っていたと云うことでもあろうが。かくて、日本古代史は来航族と国津族との「手打ち―和睦」から始まる。これが日本政治史にインプットされた遺伝子となってその後の日本史に貫通し、はるけき今日まで至っているやに見受けられる。

 日本史に貫通するこのからくりを見抜きながら見立てしないと日本史が何も分からない、見えてこない。下手に学べば却ってアホウにされてしまう。正しくは正四書のトリック史観に取り込まれることなく、正四書のそれぞれの立場を理解しながら読み直さねばならない。これが正四書研究の要諦ではなかろうか。

 ここが分からず、正四書のうちどれが真なりやを問い争うのは虚妄である。正四書共に国譲りを来航族と国津族との抗争とせず、天照大御神を戴く高天原王朝と戴かない国津神との戦いであったとしている限りにおいて虚構であり、そういう虚構上の真書論争なぞ何の意味もない。こうなると、そういう虚構に於ける各史書のスタンスの違いこそ見抜くべきだろう。付言しておけば、この虚構上の通説に対して、それを批判する奇説が数多く登場しているが、「天津神と国津神の抗争譚」と云う虚構上に立つ奇説である限り、単なる乱痴気騒ぎに過ぎない。これも申し添えておく。

 以上。もうこれぐらいで良いだろう。この推理が当りとすれば、日本古代史解明は今緒に就いたばかりとの認識に至るであろう。こう理解してくだされば今後の研究が実りある営為になろう。

 さて、上記の「日本古代史に隠された秘密のれんだいこ式解明」の価値は高い。史上の誰も解けなかったものを解いたと自負している。こうなると、ノーベル賞が主として理系頭脳の世界的研究業績に対して授与されるものであるのが恨めしい。文学賞、平和賞なるものがあるが間に合わない。文系頭脳の世界的研究業績に対して授与されるものはないのだろうか。こう聞く方は、れんだいこの手前味噌宣伝に辟易するだろうが、かく主張するに十分な発見なのだから許されよ。この仮説は、現代日本政治に於ける国際ユダ屋論との絡みから生み出されている。歴史は繰り返すのだから、日本古代史の秘密から現代日本政治を照射するのも意味がない訳ではなかろう。以上を「日本古代史をどう紐解くべきかその2の2」とする。 

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