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2014年4月

2014年4月29日 (火)

「従軍慰安婦問題」についてのれんだいこ見解その2

 「従軍慰安婦問題」で次に、それを良し悪しの道徳論レベルで考えるのではなく必要悪的観点から愚考してみたい。れんだいこは従軍慰安婦制自体ではなくそういう制度の由来に興味を覚えている。戦前の日本軍が「従軍慰安婦制」を敷いていた背景には興味深い日本式の性観念、性文化に伴う性伝統が介在していると思うからである。

 「従軍慰安婦制」とは要するに戦争時の兵隊に慰安婦により性処理させる制度であるが、これを編み出した当時の日本軍は果たして野蛮、残虐非道なものだったのだろうか。これは逆に考えれば分かり易い。「従軍慰安婦制」を持たない兵士が為すのは決まって性の暴走である。敗軍の兵士のことは分からないが勝軍の兵士となると戦勝国権利として婦女子の性凌辱、性暴殺を当たり前にしてきたのが世界史現象である。日本式「従軍慰安婦制」は、そういう戦史から学んだ日本式知恵の一つなのではなかろうか。「従軍慰安婦制」を肯定しようとしているのではない。道徳的な肯定とか否定に先立つ必要悪的合理性を認めたい訳である。他の国が採用していないことを日本が先駆けてしたとして咎められるべきかどうかを問いたい。

 れんだいこは若い頃、最も怒ったことがある。それは戦後直後の日本政府が進駐軍に取った慰安婦宛がい政策に対してである。これを少し確認しておく。1945.8.18日、敗戦3日後のこの日、内務省は、警保局長通達(無電)で「外国駐屯軍慰安施設等整備要項」を全国都道府県に発した。これは占領軍向け性的慰安施設設置指令である。8.27日、件の施設が大森海岸の小町園で開業している。進駐軍の先行隊が厚木へ到着したのは翌日であるからして事前に用意していたことになる。東京では警視庁が指導して業者にやらせる方式で「特殊慰安施設協会」を発足させ、東京銀座街頭に「新日本女性に告ぐ」と募集広告が出されている。新聞にも慰安婦募集広告を掲載している。慰安所は大人気となったが3カ月で閉鎖されている。性病の蔓延などが理由であった。これにより「政府の努力」で増加し1万人に達した慰安婦たちは路頭に迷い非公認の街娼となって行った。俗にパンパンガールと呼ばれている。

 れんだいこは若い頃、戦勝国に対して国家公認のみならず後押しで性的もてなしをする日本政府の非道さが許し難かった。どこの国にそんな国があると怒った。日本政治の支配の質を如実に示しているとして憤懣やるかたなかった。その後のれんだいこは違う。既に次のように記している。「これを道徳的に批判する向きもあるが、逆にいえば日本支配階級の統治技術がかなり高度なものとも考えられるのではなかろうか。従軍慰安婦問題にも通底している施策であるように思われる。これを道徳的に批判するだけにとどまるのなら何も批判していないことになろう。支配階級をして、現実がこのような施設を必要とさせたのであり、社会秩序維持の観点から保安施設として外国駐屯軍慰安施設設置が為されたことを窺うべきではなかろうか。批判することはできるが、ならばさてどうすべきであったのか、放置すべきだったのだろうかという観点からも判断せねばなるまい」。

 今のれんだいこはもう一つ違う。「従軍慰安婦、占領軍慰安婦制」を採用した日本政府の統治技術は悪知恵と云うより日本の伝統的な性文化に基づいて生み出されたものではなかろうかと考えている。これを説明すると紙数ばかり増すので要点のみ記すと、日本の伝統的な性文化は他の諸国のそれより性を重視しており、性のコントロールを格段に配慮するような知恵を持っているのではなかろうか。そういう目で見れば、日本の着物、礼儀作法等々が日本式性文化をうまく調和させていることが分かる。日本は案外とこの方面での世界に冠たる先進国なのではなかろうか。制度を誇ろうとか礼賛しようとしているのではない。「存在するものは合理的である」とするヘーゲル的認識法で理解しようとしているに過ぎない。

 「従軍慰安婦、占領軍慰安婦制」には歴史的意味があり、もしこれを批判するなら戦争そのものを批判すべきであり、戦争に付随して発生した「従軍慰安婦、占領軍慰安婦制」だけを抽出して批判するのは却って愚昧なのではなかろうか。どうしても批判するのなら戦勝国権利としての敗戦国側婦女子への性凌辱、性暴殺を押しとどめる叡智を制度的に生み出していない限り論が全うしないのではなかろうか。韓国の朴槿恵(パク・クンヘ)女性大統領に聞きたいのはここである。韓国現代史のタブーとなっているベトナム戦争時の韓国軍のベトナム女性輪姦虐殺史と併わせた整合性のある論理論法に耳を傾けてみたい。

 この言は、「従軍慰安婦制なかった論」に与するものではない。日本を再び戦争当事国に誘おうとする連中のそれに対しては傲岸不遜ぶりをなじりたい。戦後国是の反戦平和、国際協調主義の側からの戦後の戦争責任、賠償責任追及されるには及ばないとする観点からの解である。徒に道徳的あるいは政治主義的に発言するのではなく論のあるべきところを示唆しているつもりである。

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2014年4月28日 (月)

「従軍慰安婦問題」についてのれんだいこ見解その1

 日韓外交に「従軍慰安婦問題」が浮上し泥沼的状況に入っている。これどう評すべきか。れんだいこが審判しておく。「従軍慰安婦問題」は、ホロコーストや南京虐殺事件や百人斬り事件のように事件の存在を廻っての認否の問題ではない。従軍慰安婦制は存在した。このことに関して見解の相違はない。キモは、当時の日本軍部が即ち国家としての日本が直接関与していたのかを廻る論争となっている。韓国側は日本軍部の直接的蛮行であるとして国家的謝罪と賠償を要求している。日本側は間に商人が介在している商取引的なものとして存在していたのであり国家的責任、賠償が追求されるには及ばないとしている。この対立である。このキモの部分を理解せずの道徳論的見地からの論調が後を絶たない。

 果たして韓国式論理論法は成り立つのだろうか。過去の戦争に対してかような責任論が成立するのであれば史上の戦争を総洗いして国家賠償の飛ばし合いすれば良かろう。ここ数世紀の西欧列強による世界植民地化に対して、蹂躙圧迫された国家及び民族は莫大な国家賠償追求に向かえば良い。が、れんだいこはそのような動きを聞かない。と云うことは特殊的に日本にのみ戦争責任論が適用されようとしていることになる。ここが大いに不満である。

 れんだいこが日本人であるからと云う理由で日本に与するのではない。客観的に評して「従軍慰安婦問題」如きで戦後半世紀以上経てもなお許さずとして喧騒する韓国式外交をやり過ぎとなじろうとしている。たまたま韓国は朴槿恵(パク・クンヘ)と云う女性大統領であり、その女性的見地から許し難いとしているように思われるが政治家の歴史認識としてはお粗末過ぎるのではなかろうか。一般論で言えば、性商がこの世から消えるのが好ましいのは当たり前である。そういう意味で純愛論が奏でられるのであろうが、問題は性商が大昔から続いており道徳論的見地から幾ら罰しても消えないことにある。こうなると賢明な折り合いをつけて併居させている方がむしろ賢明と心得るべきであろう。

 そういう性商問題であっても、韓国が日本に国家的責任を問い続け賠償責任を負わしめようとするからには当時の日本軍部の直接関与を立証せねばならない。しかしこれが困難を極めている。仮に立証できたとしても次の難題が待ち受けている。韓国現代史のタブーとなっているベトナム戦争時の韓国軍のベトナム女性輪姦虐殺史である。ごく最近、週刊ポストの3月28日号、4.11日号が連載して明らかにしている。こちらの方はれっきとした韓国軍による即ち国家としての犯罪である。

 韓国は、この性凌辱の挙句の虐殺行為を不問にし、日本の給金型慰安婦問題に対しては指弾され抜くべきだとしていることになるが、我々が納得できるような法理を明らかにせねばならない。れんだいこには、ここがさっぱり分からない。ましてや時系列的には「従軍慰安婦問題」の方が相当に古い。古い事件の責任が問われるのは古い事件の方がより加虐的である場合だけである。性商慰安婦化行為と性凌辱虐殺行為のどちらがより加虐的で許し難いのか、韓国は性商慰安婦の方がより極悪だとする法理を世界に向けて開陳せねばならない。

 その韓国に対して、4.25米韓首脳会談の席上、オバマ大統領がわざわざ「従軍慰安婦問題」に触れて、先の日共の志位委員長発言と同じような発言をしている。奇妙な一致である。志位もオバマもテキストがあってその通りに発言しているのだろうかと云いたくもなる。そういう詮索は別にして次のように述べている。概要「歴史を振り返るなら実に甚だしい人権侵害と考えなければならない。過去を正直かつ公正に認識しなければならない。安倍首相や日本国民もそのことを分かっているはずだ。(日韓は)過去を振り返りつつ、未来に進むべきだ。未来を見ることが日本と韓国の人々の利益だ」。

 これに対して朴大統領は、元慰安婦の女性らが高齢となっていることなどを指摘した上で、「(日本に対して)誠意のある実践が必要だ」と述べ早急な対応を促した。朴大統領がオバマ大統領をバックにつけて威勢良い批判をしている格好である。これを聞くや我が日本の安倍首相はそれまでの余裕の不遜さを一転させ、途端にヘタレになりこう言い直している。概要「筆舌に尽くし難い思いをされた慰安婦の方々のことを思うと本当に胸が痛む思いだ。今後とも日本の考え方、取り組みを説明してまいりたい。20世紀は女性をはじめ多くの人権が侵害された世紀だ。21世紀はそうしたことが起こらない世紀にするため日本も大きな貢献をしていきたい」。

 こうなると三人の掛け合い漫才の感がある。れんだいこ評では、この遣り取りから浮かび上がるのはオバマの臭い芝居である。オバマが世界史上の残虐事件に通暁していない訳がない。まして彼は黒人系であり黒人の悲劇史は百も承知である。何より現に進行中の世界中での性商、性凌辱、性暴殺を知り抜いている。その上で、「従軍慰安婦問題」をフレームアップさせる形で取り上げ、韓国に同調した上で「日韓は過去を振り返りつつ未来に進むべきだ」と念押ししている裏には相当の魂胆があるとみなすべきだろう。

 明らかに典型的なマッチポンプ論法であり、透けて見えてくるのは、オバマが日韓も日中も中韓も、北朝鮮を挟めばなおさらのこと、揉めるように揉めるようにリードしていることである。これが米国外交と云うか国際ユダ屋の狙いであることが瞭然である。連中は人と人、国と国を対立させ危機を煽り戦争で儲けるのを得手の商売としている者たちであるからして世界の各地が地域ブロックで共栄圏化するのを何としてでも妨げようとする。要するに連中の出番がなくなるからである。オバマはその意を受けた請負役者に過ぎない。と云うことが既にバレバレである。

 (れんだいこの「国際ユダ屋」の命名に対して不評なので今後はダボス会議に注目し「ダボス派」とも云うことにする。使い分けするつもりである) 問題は、ダボス派のこの戦略戦術に悪乗りしていつものように正義弁が登場しまくりすることにある。この件では特にサヨがはしゃぐ。原発も増税もTPPも憲法改正も自衛隊派兵もみんな根元は一緒である。こちらはウヨがはしゃぐ。その全てはダボス派が振り付けている。こういう見方を陰謀論と云う。世間ではよほど当たり障りのない政論が好みのようで陰謀論を唱えると顰蹙を買う。しかし、れんだいこには陰謀論抜きにどうやって理解すればよいのか、他の論は物足らなさ過ぎてつまらない。故に陰謀論批判を蒙ろうとも大いに結構であると申し上げておく。

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2014年4月17日 (木)

八木アンテナ考

 「小保方STAP(新万能)細胞事件」で、これを「世紀の発見」の側で読み取ろうとする者、発見以前の問題として学術論文に不備があり過ぎると批判する者、発見そのものを捏造とする者、この三者での喧騒で賑わうこの頃、「八木アンテナ事件」を確認しておくことは意味がないことではなかろう。但し、天然的に文系のれんだいこがこれを説くのは荷が重い。しかしながら理系の誰もが口を閉ざしており、そういう訳で、れんだいこが拙いながら整理しておくことにする。

 「八木アンテナ」とは、ポポフの無線通信アンテナの発明から30年後の1925(大正14)年頃に登場する。電気通信学者にして東北帝国大学の八木秀次氏が私財を投じて研究開発し、助手の宇田新太郎氏と共に従来のアンテナにはなかった感度で受信できるアンテナの原理を発見したと発表した。そういう意味では正しくは「八木・宇田アンテナ」と云うべきであるが略して「八木アンテナ」として知られる。1926(大正15)年、特許を取得している。

 なお、この年、後述するが浜松高等工業学校の高柳健次郎氏が電子式テレビ受像機(ブラウン管テレビ)による電送・受像に世界で初めて成功している。送像側に機械式のニプコー円板、受像側に電子式のブラウン管を用いて、片仮名の「イ」の文字を送受像した。走査線の数は40本だった。「イ」の字はいろは順の最初の文字として選んだ。これが後のテレビに繋がる先駆け的発明になり、高柳氏はテレビの父と呼ばれる。

 もとへ。「八木アンテナ」は、それまでのアンテナが棒状のもので電波をキャッチする確率が低かったのに対し、長さの違う三つの棒を平行に並べたところが画期的だった。真中の軸棒は電気の集積棒で、この中心の棒より少し長い棒を直角に横に並べる。長棒は電波を反射させ軸棒に電波を集める。他にも少し短い棒を二本並べ電波を集める働きをさせる。原理は光線の場合の凸レンズの作用に似ている。装置のこのコンビプレーにより従来にない感度と効率で電波を集めることに成功していた。「八木アンテナ」は放射器、導波器、反射器で構成され、指向性が鋭く構造が簡単にして無駄がない、ほとんど改良の余地のない高い完成度をもっており、超短波用アンテナとして高く評価されるべきものであった。 

 こうして、「八木アンテナ」は世界に先駆けて日本で発見発明発表されたが、その着想が当時の日本では理解されずあるいはこの画期的発明を押さえる力が働いていたのか一部に知られただけで埋もれていった。但し、発明より十年後の1932(昭和7)年、東北帝国大学工学部教授となっていた宇田新太郎博士が八木山と茨城県の筑波山頂との間で「八木アンテナ」を使って超短波通信実験を行っている。現在、八木アンテナの通信実験が行われた八木山には東北放送の放送塔が立ち、隣の愛宕山にはNHK・仙台放送・宮城テレビの放送塔が立っている。

 1941(昭和16)年、八木氏は指向性アンテナの特許期限の延長を申請したが、日本政府により「重要な発明とは認め難いので特許を無効とする」との通知が届けられている。こうして八木アンテナ特許を政府が消滅させている。「外国特許保有の財政支援もせず冷遇したため日本の八木アンテナの特許権は国内外共に失われてしまった」とある。思うに、これは時の日本政府が凡庸過ぎたと解するより、日本政府をそのように誘導した黒幕の働きかけがあったと解するべきではなかろうか。

 というのも、国際ユダ屋が八木論文に着目し、超短波用高性能アンテナとして研究を続けさせている。これがレーダー用アンテナとして兵器に応用され、第二次世界大戦中に威力を発揮し、八木アンテナを装着した米英軍は攻め寄せる日本の飛行機を300km前からレーダーでキャッチし迎撃した。更に闇夜でもレーダー射撃で正確に日本艦を撃沈するなど大活躍している。日本の連合艦隊がミッドウェー海戦で「謎の大敗北」を遂げたが、空母4隻を沈めた米軍爆撃機ドーントレスに八木アンテナが搭載されていた。このことが分かるのは終戦後である。広島、長崎に原爆が投下されたが、その原爆には「八木アンテナ」を応用したアンテナが装着されていた。

 「八木アンテナとニューマン文書」によれば、1942.2.25日、日本軍がシンガポール要塞を攻略、占領した時、陸軍の秋本中佐が、英軍の高射砲陣地の塵芥焼却場で偶然にも手書きの焼け残りノートを発見した。電気担当の塩見文作技術少佐の解読により、英軍が最も秘匿する電波兵器の一部に関る内容であると判断し、そのノートを英文タイプおよび写真撮影して「ニユーマン文書」と名付け、電波兵器の開発者に配布した。このノートは英軍のレーダー技士であるニューマン伍長が英本国で研修を受けた時のメモ書きで、その中に意味不明の「YAGI  array」という記述が頻繁に登場していた。その記号の意味がどうしても理解できなかった。そのニューマン伍長が捕虜として捕えられ、技術将校の岡本正彦少佐がシンガポールの収容所(品川の捕虜収容所とする記述もある)で尋問するところとなった。ニューマン伍長に「“YAGI”とは何か」と尋ねと、ニューマンは、キョトンとした顔をして「あなたは本当にその言葉を知らないのか?。YAGIとは、このアンテナを発明した日本人の名前だ」。尋問に当たった岡本少佐は絶句したと云う。

 敗戦後、八木氏は戦争犯罪人として公職追放者指定を受けて大阪帝大総長を公職追放で追われた。八木氏は「八木アンテナ」がアメリカのレーダー等に使われ大活躍したことによる責任追及される破目になった。この為、日本アマチュア無線連盟会長に就任するなどして暫く蟄居していたが、戦後のテレビ普及と同時に八木アンテナが脚光を浴びることとなった。なぜならVHFテレビ電波受信に八木アンテナが採用された為である。最も簡潔にして性能が良く廉価だったことによる。八木アンテナはアマチュア無線でも使われている。今日では超短波、極超短波で使用されている地デジテレビジョンの受信用アンテナとして使われている。VHF ・ UHF帯で用いられているほとんどが「八木アンテナ」である。

 但し、「八木アンテナ」のかくなる世界普及にも拘わらず、特許権を喪失させた八木氏及び日本は恩恵にあずかれない。仮に取得し続けていたら莫大な特許料が日本に入ったものと思われる。更に云えば、八木アンテナ発明と同時期に高柳氏が電子テレビ実験に成功していることを考えると、何のことはない日本は1926(大正15)年時点でテレビとアンテナの両方を発明していたことになる。これを日本が育てておれば発明者は無論、日本も又巨富を得ていたはずである。

 こうなると愚昧政治の為し給うお粗末と云うしかあるまい。問題は、この教訓が生かされているのかどうかである。これが「小保方STAP(新万能)細胞事件」に対して執るべき第一態度となるべきではなかろうか。これ以上マスコミ陣の粗脳に政論リードを任す訳にはいくまい。これが云いたくて急遽本稿をものにした。後はよしなに理解してたもれ。

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2014年4月10日 (木)

日共問題考その4

 「日共問題考1」でクリミア騒動に見せる志位委員長見解のトンデモぶり、「日共問題考その2」で戦後の宮顕釈放及び復権問題に於ける疑惑、「日共問題考その3」で国会議事録削除の先駆けぶりを論じた。ここでは「日共問題考その4」として、はるか昔のことになるが「50年分裂」時の1951年の東京都知事選、大阪府知事選に党中央と宮顕派がそれぞれ別の候補を推して激しく対立したと云う「二人候補事件」を取り上げておく。

 この不祥事はよほどの事情通でなければ知られていない事案である。これを為した方の宮顕派は、自らが党中央に楯突いた分派史が、その後の宮顕派系党中央の政権運営に好ましくない悪行の為であろう封印している。ご都合主義的に脚色されたものではない正確な党史を遺さねばならない所以がここにある。

 「二つの共産党による二人候補事件」を少し詳しく確認しておく。1951.4.23日、第2回一斉地方選挙が行われた。共産党は、都道府県議6名、市区町村議489名を当選させている。この時の共産党は事実上分裂していた。これについて簡略に説明しておくと、前年の1950年初頭の「スターリン論評」を廻って、日本共産党内のことは日本共産党で解決するとして自主独立の立場を保持せんとする徳球-伊藤律系党中央(所感派と呼ばれる)に対して国際共産主義運動の規律に従うべしとする国際派の党内抗争が勃発した。

 今日、宮顕系党中央の功績として自主独立路線を挙げる向きの者が多いが、日本共産党の自主独立路線の嚆矢は、この時の徳球-伊藤律系党中央(所感派)の対応に始まるものであり、この時の宮顕系の対応は真反対の「スターリン論評」に従うべし論を唱え国際共産主義運動団結を擁護せよの立場から党中央を批判していた。こういうことを史実的に確認せねばなるまい。

 党史は1950年6月の朝鮮動乱勃発。これに伴う共産党の非合法化。国際派の分派組織公然旗上げ。徳球-伊藤律系党中央主要幹部の北京亡命。北京機関の立ち上げへと至る。これにより共産党内は党中央所感派(徳球派、伊藤律派、志田派、野坂派等々)、国際派(志賀派、宮顕-袴田派、春日(庄)派、神山派)、中立派(中西功派、福本和夫らの統一協議会派)に分裂した。徳球-伊藤律系党中央が「50年テーゼ」を打ち出し党内団結を呼びかけたが、宮顕-袴田派の執拗な反党中央姿勢の硬化により亀裂は深まるばかりと云う状況に突入していた。

 補足しておけば、この当時これだけの分派が存在したと云うことは、当時の党規約が今日ほど分派禁止規約にしていなかったことを物語っていよう。この当時の党大会時には党中央の議案に対して党内反主流派の対案が提出されることもままあり、見解の分かれそうな重要事案を廻っては喧々諤々の党内議論が為され、後日の証として発言議事録を克明に残すことを作法としていた。これにより当時の党史が解明できる果実を生んでいる。それに引き換え、55年の六全協で宮顕派が党中央を壟断して以来、幹部会議事録が公開されることはない。在りし日の徳球-伊藤律系党中央時代の在り方とは全く別の強権的な党中央集権制が生み出され、その後の党員が易々とこの論理論法を受け入れ今日に至っている。この為、徳球-伊藤律系党中央時代のような党史解明ができずブラックボックス化している。

 もとへ。この時期に「二人候補事件」が発生している。この時の東京都知事選、大阪府知事選に際して、党中央は独自候補を立てず社会党候補を「社共統一候補」として推薦するという選挙方針をとり、東京都知事に加藤勘十を、大阪府知事に杉山元治郎を推した。「社会党の受け入れ為しに一方的に社共の統一候補として社会党候補者を推薦するという選挙方針をとった」との評があるが「一方的」であったかどうかは分からない。いずれにせよ要するに共産党が自前候補を出さずに社会党候補を推進したことになる。これに対し、宮顕が指導する統一会議派は、反帝の態度が曖昧な候補の推薦を無原則的と批判し、独自候補として東京都知事に哲学者の出隆、大阪府知事に関西地方統一委員会議長の山田六左衛門を出馬させた。

 宮顕らによる独自候補擁立方針に対して、同じ反党中央の間でも異論が出た。中西派は、機関誌「団結」紙上で、党内が別々の候補で争うことに反対し、選挙候補の統一を呼びかけた(「団結」第23号「地方選挙闘争の基本問題」他)。福本グループの統一協議会は、国会選挙以外の地方選挙は一切ボイコットせよと主張した。野田ら国際主義者団派は、「平和綱領」を承認する候補者だけを支持せよと呼びかけた(「火花」3月第5号「地方選挙と日本プロレタリアートの任務」他)。こうして事態は互いが云いたい放題の求心力なき、否、遠心力が働くばかりの党となった。

 こうして戦前戦後通じて初めて「二つの共産党」が別々の選挙戦を戦うという珍事態が現出した。特に宮顕系の統一会議派は、党中央臨中派の地方選挙方針を激しく批判しつつ、独自候補運動の正当化を喧伝した(「党活動」3.10日付け「革命的議会主義と当面の地方選挙闘争」他)。選挙戦を通じて、党中央臨中派と統一会議派が大衆の面前で抗争を展開し、相互悪罵戦の泥仕合を演じている。党外大衆の困惑は不信と失望へと向かった。投票結果はそれぞれ惨敗となった。得票数等の詳細は分からない。

 この事件を今日的にどう評するべきか。少なくとも宮顕系統一会議派の分裂候補戦略戦術は党を愛する者の所業ではなかろう。宮顕の党活動履歴に見えてくるのは、この残酷非情さである。より深く党を思っての反党中央活動なら許容されようが、最終的に党中央を牛耳る狙いばかりの反党中央活動履歴しか見えてこない。れんだいこが宮顕をしてスパイMに成り代る形で党中央に闖入してきた腹に良からぬ企みを持つ異邦人であると断定する所以である。後に宮顕派が党中央を掌握した時の党内縛りぶりを見よ。手前らが反主流の時には公然たる分派活動を行っているのに、手前らが党中央になるや分派活動を徹底弾劾弾圧して恥じない。その二枚舌に対して痛憤せざるを得ない。

 宮顕系党中央は、手前らの党中央固めに不利となる事象事件については封印する癖がある。科学的社会主義なるものを自称しているが、その科学たるや科学がその実態を知れば卒倒するような御都合主義的なもので単に科学を冠しただけに過ぎない。にも拘わらず多くの者が言葉のトリックに騙されてしまう。言語及びその概念及び論理学に弱いとこういうことになると云う見本であろう。

 興味深いことを補足して締め括りとする。共産党は、1951年の都知事選での醜態が因縁となって、その後の都知事選にも何がしか変態が付きまとっているように思われる。今年の2014都知事選もその格好例なのではなかろうか。これに関する詳しい説明は省くが、脱原発派に勝利する可能性があったにも拘わらず、その芽を潰すが如くに日共的に立ち回っている。元首相コンビの細川-小泉連合が脱原発を掲げて参入してくる気配を察知するや、前回大敗した元弁護士会会長・宇都宮をいち早く担ぎ出し脱原発票を端から二分させる分裂選挙に突入させている。結果的に原発稼動派の枡添当選に裏から寄与している。しかも、これに対する総括は、宇都宮票が細川票より2万6千票多かったことを手柄に「一本化すべきなら宇都宮に一本化するのが筋だった」なる弁で切り返して正当化している。

 これをまじめに批評する政論もあるが、れんだいこには馬鹿馬鹿しい。このところの選挙がムサシマシーンの工作するところのものであり、そのような数値をまじめに検討してどうなろうか。分裂選挙そのものと出てきた数値に対して工作側の意図を読む方がよほど科学的だろう。更に云えば日共の新たな変態史ぶりを確認すれば良いだけのことである。

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2014年4月 1日 (火)

疑わしきは被告人の利益に法理考

 前々から云いたかったこと「疑わしきは被告人の利益に法理」に関連する格好例材が出てきたのでコメントしておく。2014.4.1日付け毎日新聞社説「袴田再審入れず 納得できぬ検察の判断」が、再審開始決定が出て3.27日に47年ぶりに釈放された袴田巌元被告に即時抗告した検察に対して、「疑わしきは被告人の利益にの原則を適用すべき論」を援用して「検察の判断は納得できない」と批判している。れんだいこはそのように理解する。

 他社の論調との比較をしたいが分からない。恐らく論評がないのかも知れない。こうなると少なくとも毎日新聞社説の論評は評価されるべきであろう。何しろ「死刑囚として世界で最も長く収監されたとギネス記録に認定されるなど長期間の拘束が問題となっている」案件であるからして、その被告が出獄したとなると採り上げる方がマトモだろう。

 本件に関するれんだいこの関心は、「疑わしきは被告人の利益にの原則を適用すべき論の援用」にある。この法理を仮に「真偽不明被告人利益論」と命名する。「真偽不明被告人利益論」は専ら刑事犯に関連して適用されるものなのか、政治犯に対しては適用されないのか、その尺度はどのように設定されているのか。ここに関心がある。この基準が確立されていないと、或る時には「真偽不明被告人利益論」が説かれ或る時には逆に「不利益論」が先行すると云うまことにケッタイな事態が生起する。同一人がどう使い分けしているのか聞いてみたいが、あいにく職業的ジャーナリストを知らないので確かめようがない。

 ここまで書けば早分かりの者には見えてこよう。ロッキード事件、小沢どん事件その他その他で、何度「容疑者段階での社会的糾弾、政治訴追論」に出くわしたことか。かような時には「真偽不明被告人利益論」に健忘症となり、こたびのような刑事犯に対しては俄然熱を帯びた正義弁に出くわす。これを聞かされる当方の身にもなって見よ。一体、どういう加減で説かれたり下げられたりするのか、誰しも尋ねたくなるだろう。これは何も毎日新聞社説を批判しているのではない。検察正義論の立場から検察のすること為すことを万年式に御用論調する論よりはマシであるとは思う。

 このところ「検察正義論」を振り回し左派圏界隈を仰天させている赤旗の論調はどうかとネットで確認すると、報じてはいるが、「袴田さんは無実の罪で獄中生活を強いられてきました」との観点から記事にしているので「真偽不明被告人利益論」は出てこない。赤旗が独特の判断基準で「容疑段階での白黒判定権」を持っており、白と断定した場合には冤罪論で黒と判定した場合には糾弾論で速攻的に相対すると云うことが分かり興味深い。この党にはグレーゾーン論と云うのはないか又は必要ないのかも知れない。

 もとへ。「真偽不明被告人利益論、同不利益論」はどういう基準で適用されるべきか。これが一等級の法哲学的課題になっているのではなかろうか。しかして、この領域に踏み込んだ論考はあるのだろうか。この論証なきままに月光仮面的正義弁が出てきたり引っ込んだりしているのが現状ではないのだろうか。れんだいこには、この采配振りが気になってしようがない。気にならない者が羨ましいと思う。そういう訳で、これについては引き続き論考するものとする。

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