「従軍慰安婦問題」についてのれんだいこ見解その2
「従軍慰安婦問題」で次に、それを良し悪しの道徳論レベルで考えるのではなく必要悪的観点から愚考してみたい。れんだいこは従軍慰安婦制自体ではなくそういう制度の由来に興味を覚えている。戦前の日本軍が「従軍慰安婦制」を敷いていた背景には興味深い日本式の性観念、性文化に伴う性伝統が介在していると思うからである。
「従軍慰安婦制」とは要するに戦争時の兵隊に慰安婦により性処理させる制度であるが、これを編み出した当時の日本軍は果たして野蛮、残虐非道なものだったのだろうか。これは逆に考えれば分かり易い。「従軍慰安婦制」を持たない兵士が為すのは決まって性の暴走である。敗軍の兵士のことは分からないが勝軍の兵士となると戦勝国権利として婦女子の性凌辱、性暴殺を当たり前にしてきたのが世界史現象である。日本式「従軍慰安婦制」は、そういう戦史から学んだ日本式知恵の一つなのではなかろうか。「従軍慰安婦制」を肯定しようとしているのではない。道徳的な肯定とか否定に先立つ必要悪的合理性を認めたい訳である。他の国が採用していないことを日本が先駆けてしたとして咎められるべきかどうかを問いたい。
れんだいこは若い頃、最も怒ったことがある。それは戦後直後の日本政府が進駐軍に取った慰安婦宛がい政策に対してである。これを少し確認しておく。1945.8.18日、敗戦3日後のこの日、内務省は、警保局長通達(無電)で「外国駐屯軍慰安施設等整備要項」を全国都道府県に発した。これは占領軍向け性的慰安施設設置指令である。8.27日、件の施設が大森海岸の小町園で開業している。進駐軍の先行隊が厚木へ到着したのは翌日であるからして事前に用意していたことになる。東京では警視庁が指導して業者にやらせる方式で「特殊慰安施設協会」を発足させ、東京銀座街頭に「新日本女性に告ぐ」と募集広告が出されている。新聞にも慰安婦募集広告を掲載している。慰安所は大人気となったが3カ月で閉鎖されている。性病の蔓延などが理由であった。これにより「政府の努力」で増加し1万人に達した慰安婦たちは路頭に迷い非公認の街娼となって行った。俗にパンパンガールと呼ばれている。
れんだいこは若い頃、戦勝国に対して国家公認のみならず後押しで性的もてなしをする日本政府の非道さが許し難かった。どこの国にそんな国があると怒った。日本政治の支配の質を如実に示しているとして憤懣やるかたなかった。その後のれんだいこは違う。既に次のように記している。「これを道徳的に批判する向きもあるが、逆にいえば日本支配階級の統治技術がかなり高度なものとも考えられるのではなかろうか。従軍慰安婦問題にも通底している施策であるように思われる。これを道徳的に批判するだけにとどまるのなら何も批判していないことになろう。支配階級をして、現実がこのような施設を必要とさせたのであり、社会秩序維持の観点から保安施設として外国駐屯軍慰安施設設置が為されたことを窺うべきではなかろうか。批判することはできるが、ならばさてどうすべきであったのか、放置すべきだったのだろうかという観点からも判断せねばなるまい」。
今のれんだいこはもう一つ違う。「従軍慰安婦、占領軍慰安婦制」を採用した日本政府の統治技術は悪知恵と云うより日本の伝統的な性文化に基づいて生み出されたものではなかろうかと考えている。これを説明すると紙数ばかり増すので要点のみ記すと、日本の伝統的な性文化は他の諸国のそれより性を重視しており、性のコントロールを格段に配慮するような知恵を持っているのではなかろうか。そういう目で見れば、日本の着物、礼儀作法等々が日本式性文化をうまく調和させていることが分かる。日本は案外とこの方面での世界に冠たる先進国なのではなかろうか。制度を誇ろうとか礼賛しようとしているのではない。「存在するものは合理的である」とするヘーゲル的認識法で理解しようとしているに過ぎない。
「従軍慰安婦、占領軍慰安婦制」には歴史的意味があり、もしこれを批判するなら戦争そのものを批判すべきであり、戦争に付随して発生した「従軍慰安婦、占領軍慰安婦制」だけを抽出して批判するのは却って愚昧なのではなかろうか。どうしても批判するのなら戦勝国権利としての敗戦国側婦女子への性凌辱、性暴殺を押しとどめる叡智を制度的に生み出していない限り論が全うしないのではなかろうか。韓国の朴槿恵(パク・クンヘ)女性大統領に聞きたいのはここである。韓国現代史のタブーとなっているベトナム戦争時の韓国軍のベトナム女性輪姦虐殺史と併わせた整合性のある論理論法に耳を傾けてみたい。
この言は、「従軍慰安婦制なかった論」に与するものではない。日本を再び戦争当事国に誘おうとする連中のそれに対しては傲岸不遜ぶりをなじりたい。戦後国是の反戦平和、国際協調主義の側からの戦後の戦争責任、賠償責任追及されるには及ばないとする観点からの解である。徒に道徳的あるいは政治主義的に発言するのではなく論のあるべきところを示唆しているつもりである。
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