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2014年6月

2014年6月19日 (木)

安倍防衛論&鈴木防衛論考

 2014年の安倍政権下での自衛隊論を、1981年の鈴木政権下での日米同盟釈明事件の経緯から照射してみる。余りにも鮮やかな対比が確認できる。これを愚考する。  「思えば随分遠くへ来たもんだ」と今昔の感を深めるのは、れんだいこだけだろうか。

 事件の発端はこうである。1981.5.4日、鈴木善幸首相が訪米した。前年の大平&カーター会談で「日米のパートナーシップ」が確認されていた。鈴木首相の訪米に際して米国側は「パートナーシップ」よりも結びつきが強い「アライアンス(alliance)」宣言を求めていた。「パートナーシップ」は単なる「友好国」を、「アライアンス」は「同盟国」を意味しており、「友好国」では適えられない軍事負担を「同盟国」なら請求できると云う違いがある。政治の世界では僅かな違いの言葉の表現がかくも高度な意味を含ませており、それ故に拘らねばならない重大性がある。

 既に大平政権下で「日米同盟関係」という表現が使用されていたがズバリの「日米同盟」として云われ、且つ共同声明文に記されることはなかった。鈴木首相は、対米関係上、日米共同声明に「同盟」の2文字を入れることは認めることは止むなしとし、その解釈のタガ嵌めで乗り切ろうとした。鈴木首相は戦後憲法-軍事防衛論に見識を持っており次のように述べているとのことである。「1、わが国の努力は平和的手段のものに限られる。各国に軍事的協力はしない。2、わが国の為しうる最大の貢献は経済社会開発と民生安定に通ずる各国の国づくりに対する努力である。3、国づくりとともに、この地域の平和と安定のための政治的役割をはたしていく」。

 5.7日の第1回首脳会談、5.8日の第2回会談を経て、「両国間の同盟関係は、民主主義及び自由という両国が共有する価値の上に築かれている」との表記で「日米同盟」を明記した共同声明を発表した。鈴木首相の意向を知る外務省は軍事的協力をめざすという意味ではないと事前説明していた。鈴木首相はその後、ナショナル・プレス・クラブで講演し、締めくくりの記者会見で、「日米同盟」をめぐる質問を受け、「同盟という語がつかわれたからといって軍事的側面について変化はない。同盟は軍事的意味合いを持つものではない」と繰り返した。

 5.10日、帰国。鈴木首相は記者会見で「日米同盟」の解釈を廻って質問を浴びせられ、「この同盟関係には軍事的な意味はない」と重ねて発言している。ところが、伊東正義外相が本会議で、「日米安保条約が基調にある以上、軍事的な意味は当然ある」と答弁し、野党が「閣内不一致」と騒ぎ出した。二日後、伊東外相が辞任へ追い込まれる。翌年1982.10.12日、鈴木首相が突然辞意表明した。鈴木再選は確実といわれていただけに寝耳に水の辞意であった。「日米同盟」の解釈を廻って外相の首が飛び、これが尾を引き首相の首まで飛ばせたと判じたい。

 この問題を改めて素描してみたい。「日米同盟」について鈴木首相は次のように述べている。意訳概要「共同声明で同盟関係を新たにうたったからといって、NATOにおける西欧諸国の運命共同体のように、お互いに共同戦線を張って防衛に当る、あるいは戦争をするというような、そういう集団的自衛権を日米の間で結んだものではありません。アメリカが他国と戦争をした場合、日本の自衛隊を派遣して共同戦線を張ってアメリカを助けるようなことは平和憲法の建前からできません。ASEANの国々を訪問した際に、日本が経済大国から軍事大国になるんではないかという懸念が存在することを察知していましたから、そういう懸念を払しょくするためにもレーガン大統領にはっきり申し上げておく必要があり、相当時間をかけて話しました」。

 これによれば、鈴木首相は、戦後憲法の語る戦後日本の国是としての国際平和協調主義の立場から、日米同盟的に絆を確認したとしても、できること、できないことを仕分けしていることになる。鈴木首相の日米同盟論には「平和で活力ある国際社会を目指す日米関係」が主眼であり、軍事はそういう同盟の一要素でしかなかった。これを分かり易く云えば「ハリネズミ式専守防衛論」であった。これはまさしく戦後ハト派としての真骨頂の軍事防衛論である。今、れんだいこが評すれば、鈴木首相は実は英明な政治家であった。これの論証は別に譲るが、角栄、大平、鈴木が戦後政治の1950-60年-70年代を牽引したことは僥倖であったと考える。三人は出自も能力も似ているのが興味深い。れんだいこは、日本型社会主義の祖として位置づけたいとさえ思っている。こちらが本物の方であると思っている。

 もとへ。当時の新聞マスコミがどう出たか。東京の外務官に「同盟に軍事的意味はないという鈴木首相の発言はナンセンス」とコメントさせ、一斉に「総理の器ではない」、「暗愚の宰相」というキャンペーンを張った。今にして思えば、ナベツネ御一統によるポスト鈴木の受け皿としての中曽根擁立の言論大砲戦であった。そういう悪だくらみが透けて見えてくる。

 その後の日本の軍事防衛論の歩みは衆知の通りである。中曽根が登場する。大国責任論が云われ、軍事予算GNP1%枠を外し拡大一方となる。小泉が登場する。日米同盟論が軍事防衛生命線的に喧伝されるようになる。東南アジアまでとして来た専守防衛地域のタガ嵌めを外し世界各地への武装派兵の道が敷かれる。安倍が登場する。米戦略下での自衛隊の展開が現実にされようとしており、自衛隊が外に向け血を流し内に向け血を流させる道へ誘われつつある。

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2014年6月13日 (金)

日本列島改造論 抜粋その6

 「地方都市の整備」。明治百年にいたる近代日本の道のりは、地方に生まれ、育った人たちが大都市に集中し、今日のわが国をつくる牽引車となったことを示している。しかし、明治二百年に向かう日本の将来は、都市に生まれ、育った人たちが、新しいフロンティアを求めて地方に分散し、定着して、住み良い国土をつくるエネルギーになるかどうかにかかっている。その為には地方に産業を起し、高い所得の機会をつくると共に、文化水準が高く、経済的、社会的に十分な都市機能を持った地方都市を育成しなければならない。大都市との情報格差をなくし、地方都市に住む人々が豊かで、便利な暮らしができるように日常の生活環境をきめこまかく整備することである。(163P)

 新25万都市は、地域開発を進めるための拠点である。ただ単に工業再配置によって大都市の工場を分散、立地するだけでは拠点都市とてしての役割は果たせない。産業の分散による経済活動に加えて、情報、金融、流通など開発拠点としての都市機能を持ち、さらに医療、文化、教育などサービス面の施設を整備しなければならない。新25万都市を中心とする周辺地域が一体となって、自立的な経済活動を行い、地域住民が文化的で豊かな暮らしができるようになれば、住民がその地域に定着し、大都市への人口集中も防げる。新25万都市を建設する具体的な方法は二つ考えられる。その一つは地方の小都市で、既にある程度の都市集積のあるところを充実、強化するやり方である。(略)もう一つは隣り合っている人口2万人程度の町村が多数集合して、新しい市街地をつくり、その周辺に工場団地を立地する方法である。(164P)

 新25万都市は、こうした新しい発想のもとにつくられる都市である。(略)このように、今まで自然発生的に形成されてきた都市のマイナス面を取り除き、理想的な都市の形成を目指す。また25万都市は、既存の地方都市に欠けている機能を持たなくてはならない。第一は、地域拠点として十分な都市機能を持つことである。その都市の住民だけでなく、周辺の農山村の人々に対しても情報、流通をはじめ医療、教育、文化、娯楽などの機会を提供するため必要な施設を整備することである。(略)

 第二は自ら発展しうるだけの産業経済活動を持つことである。公害の全くない工場団地を中心に銀行、デパートなどを持ち、日常の経済活動を活発に展開できる機能を確立しなくてはならない。第三は、豊かに自然に恵まれ、地域に文化の光をともす役割を果たすことである。欧米の地方都市は、太陽と緑に恵まれた環境のもとで美術館や劇場があり、大都市に劣らない高い水準の文化活動が行われている。しかも民族舞踊といい、演劇といい地方色豊かな地元の文化が育ち、㤀民もそれを郷土の誇りとしている。日本の地方都市にも、このような特色のある文化を育てたいと思う。(略)第四は、地元住民が親しい人間関係を持てるニューコミュニティーの新しい地域社会でなければならない。(略)

 新25万都市は、そのような‘人間砂漠’であつてはならない。新25万都市は、人々がそこで気持ちよく暮らし、働き甲斐があり、共に人生を楽しみ、親しく付き合い、地域社会の発展や国の将来を語り合えるニューコミュニティーであるべきである。隣近所の人たちが話し合える広場やこうえん作り、また文化活動やスポーツを一緒にできる施設を設けることも必要である。さらに都市内の情報伝達メディアとして有線テレビ網を設置することも要請されていよう。(167P)

 「農村の利益は都市の利益」。巨大都市への産業、人口の過度集中によって農村から若者が減り、農村の発展のエネルギーは衰えようとしている。こうした日本農業に再生のレールを敷き、都市と農村が共に反映する条件を作り出すことが日本列島改造の重要なテーマである。農業は、国民に一日も欠かすことのできない食糧を生産し、供給すると同時に農民の所得の源泉である。農村は国民の食糧供給基地として、また農民が働き、生きる場として楽しく誇りうるものでなければならない。国民経済全体からみても、主要な食糧については80%程度の自給率を維持することが必要である。(173P)

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日本列島改造論 抜粋その5

 「大量輸送時代の総合交通体系」。明治以来、わが国の交通政策は鉄道中心に置かれて来た。これは点と線の交通政策であり、大都市拠点主義はここから出発した。しかし、これから必要なのは、点と面の交通政策であり、その新拠点は道路と鉄道、海運、航空の結節点である。(117P)

 「国土開発と地方線の再評価」。もう一つ、触れておかねばならないのは日本国有鉄道の再建と赤字線の撤去問題である。国鉄の累積赤字は47年末で8100億円に達し、採算悪化の一因である地方の赤字線を撤去せよという議論がますます強まっている。しかし、単位会計で見て国鉄が赤字であったとしても、国鉄は採算と別に大きな使命を持っている。明治4年にわずか9万人に過ぎなかった北海道の人口が現在、520万人と60倍近くに増えたのは鉄道のお陰である。すべての鉄道が完全に儲かるならば民間企業に任せればよい。私企業と同じ物差しで国鉄の赤字を論じ、再建を語るべきではない。都市集中を認めてきた時代に於いては、赤字の地方線を撤去せよという議論は、一応説得力があった。しかし工業再配置を通じて全国総合開発を行う時代の地方鉄道については、新しい角度から改めて評価し直すべきである。

 北海道開拓の歴史が示したように鉄道が地域開発に果たす先導的な役割はきわめて大きい。赤字線の撤去によって地域の産業が衰え、人口が都市に流出すれば過密、過疎は一段と激しくなり、その鉄道の赤字額をはるかに越える国家的な損失を招く恐れがある。豪雪地帯における赤字地方線を撤去し、全てを道路に切り替えた場合、除雪費用は莫大な金額に上る。また猛吹雪の中では自動車輸送も途絶えることが多い。豪雪地帯の鉄道と道路を比較した場合、国民経済的にどちらの負担が大きいか。私たちはよく考えなくてはならない。しかも農山魚村を走る地方線で生じる赤字は、国鉄の総赤字の約1割に過ぎないのである。(123P)

 「幹線自動車道は1万キロに」。特に表日本と裏日本を結び、日本列島を輪切りにする横断道路の建設に集中的に力を入れるべきだ。これまで、南北に長い日本列島の時間距離を短縮するため、道路投資が縦貫道路の建設に傾斜したのは止むを得なかった。しかし、これからは表日本と裏日本の格差を解消と内陸部の農山村地域を開発するために‘日本横断道路’への先行的な投資を強力に進めなければならない。昭和60年までに少なくとも1万キロメートルの高速道路が必要だというのは、こうした理由からである。百万キロメートルの道路網は、このような高速道路のネットワークを骨格として末端の生活道路に至るまで、秩序ある体系が確立されなければならない。これには、道路機能の分化と新しい道路規格を確立することである。(128P)

 「近畿、西日本を一体化する本州四国連絡橋」。本州と四国を結ぶ連絡橋は神戸-鳴門、児島-坂出及び尾道-今治の三橋とも昭和60年度までに完成させる予定である。中でも明石-鳴門ルートに建設する明石海峡大橋は、完成すれば世界最長の吊橋となる。本州四国連絡三橋は四国の390万人の住民に対してだけ架けるのではない。新幹線鉄道や高速道路と繋ぎ、日本列島の3分の1を占める近畿、中国、四国及び九州を一体化し、広域経済圏に育て上げる為に架橋するのである。昭和30年から15年間に35万人も減った四国の人口は、これらの架橋によって、やがて600万人に増え、800万人に増加しよう。本四連絡橋を三橋とも架けるからといって過大投資と云うのは当らない。(131P)

 本四連絡三橋の真ん中の橋、児島-坂出ルートには松江、岡山、坂出、高知を結ぶ中国四国新幹線鉄道を通したい。この地域は中国山脈、瀬戸内海、四国山脈と云う三つの地形的な障害によって分断され、四つの異質な経済圏を形成してきた。中でも山陰と四国山脈の南が経済的に立ち遅れた。児島-鳴門ルートは中国四国横断自動車道と新幹線鉄道を通すことによって、バラバラの経済を有機的に結合させ、新しい発展に進ませるだろう。(135P)

 もう一つは将来、九州・四国新幹線鉄道を建設するとき、佐田岬から佐賀関海底トンネルに石油パイプラインを併設することも考えられる。中国と四国の西部を本四連絡橋の尾道-今治ルートで結び、さらに九州と四国を新幹線鉄道で繋ぎ、必要に応じてこの二つのルートに石油と水のパイプラインを配置すると、安芸灘、周防灘から豊後水道にかけて環状の貨客輸送路ができあがり、西瀬戸総合開発を促すことになる。尾道-今治の道路橋に水のパイプラインを敷けば、大島、大三島など瀬戸内海の離島に水を供給できるし、観光客の増加に伴う水需要の増大にも応えることができる。このように本四連絡三橋は近畿、中国、四国、九州の経済圏を有機的に結合して広域的な発展を可能にするもりである。「四国は日本の表玄関になりうる」と云う私の主張は決して誇張ではない。(137P)

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日本列島改造論 抜粋その4

 「開発の余地ある日本の国土」。わが国では今、東京、大阪、名古屋の各半径50キロメートル圏を合わせて国土全体の1%に満たない地域に総人口の32%が住んでいる。日本は可住面積が狭いといってもこれからの地方開発によって国民の住む地域はもっと広げることができる。(81P)

 「大型化するコンビナート」。何よりも重要なのは、これらのコンビナートは公害調整、環境保全、災害防止など現場で働く人々や地元で暮らす人々の安全と福祉を最優先に考えて、単に生産のためだけでなく、ゆとりのある用地の中で十分に空間をとったレイアウトをしなければならないことである。そうなるとコンビナートの用地規模はますます広がらざるを得ない。(86P)

 「環境整備の仕組みを確立」。住民の生活環境を破壊せず、自然を注意深く保全しない限り、今後の新しい地域開発は前進できない。工業の公害問題をどう解決するかは、コンビナートの建設だけではなく、企業の存亡にも繋がる重大なテーマとなってきている。数年前までは地方の工業開発のネックは主に地価問題であった。ところが最近は「開発とは破壊である」、「産業の発展はご免だ」と云う声が高まっている。私もそうした声は大いに理由のあることだと思う。しかし、その議論は開発のデメリットを強調する余り、しばしば開発のメリットを見落とすことが多い。また「開発か保全か」、「産業か国民生活か」と云う直線的な議論に飛躍しがちである。(96P)

 「これからの電源立地」。これからの電源立地の方向としては、大規模工業基地などに大容量発電所を集中的につくり、大規模エネルギー基地の性格を合わせて持たせるようにしたい。電源開発株式会社を中心にいくつかの電力会社が参加し、火力発電所や原子力発電所を共同で建設し、そこで生みだされる電力を大規模工業基地で使う。同時に、基幹的な超高圧送電網をつくって消費地に広く配分し、融通する方向も考えたい。(101P)

 新しい火力発電所や原子力発電所の建設に地元の反対が強いのは、まず、大気汚染や放射能の危険を心配するからである。冷却に使った水を捨てるときに河川や海水の温度が上がり、ノリや魚が取れなくなると云う漁民の反対もある。殺風景な発電所ができては美しい自然の景色が破壊されるという主張もある。元々発電所は従業員が少なくて済むので、地元の雇用を増やすにはあまり役に立たない。その上発電した電力は、ほとんど大都市へ送電される。結局、地元は得るものが少なくて、公害だけが残ると云うのが地域住民の言い分である。そこで、まず、第一に考えたいのは、公害の徹底的な除去と安全の確保である。具体的には、集塵装置はもちろん重油脱硫、ガス化脱硫など脱硫技術の開発や利用を進め、冷却水の排水温度も規制することである。原子力発電所の放射能問題については、海外の実例や安全審査会の審査結果に基づいて危険がないことを住民が理解し、納得してもらう努力をしなければならない。(102P)

 しかし、公害をなくすというだけでは消極的である。地域社会の福祉に貢献し、地域住民から喜んで受け入れられるような福祉型発電所づくりを考えなければならない。たとえば、温排水を逆に利用して地域の集中冷暖房に使ったり、農作物や草花の温室栽培、または養殖漁業に役立てる。豪雪地帯では道路につもった雪をとかすのに活用する。さらに発電所をつくる場合は、住民も利用できる道路や港、集会所などを整備する。地域社会の所得の機会をふやすために発電所と工場団地をセットにして立地するなどの方法もあろう。次項で述べるインダストリアル・パークと同様の立地手法でエネルギー・パークづくりも考えたい。急がばまわれである。(103P)

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日本列島改造論 抜粋その3

 「奇跡ではない日本の成功」。戦後の日本経済は、平均して実質10%以上の高度成長を続けてきた。これは、日本経済が戦後の復興を遂げる過程だけでなく、その後も衰えることなく続いた。35年から45年までの平均成長率が実質で11.1%と云う数字がこれを物語っている。このような経済成長は、世界史上にも例がなく、世界各国から‘日本の奇跡’として高く評価された。

 その原因について、多くの専門家が次のような理由を挙げている。第一は、日本が現行憲法のもとで平和主義を貫き、軍事費の負担をできるだけ少なくしてきた。第二は、教育水準が高く、勤勉な労働力が豊富に存在した。第三は、新技術や新設備を積極的に導入して技術革新に努めた結果、産業の生産性が向上し、その国際競争力が強化された。第4は、企業経営者の積極経営を支える金融機関が存在し、政府も建設的な役割を果たした。第6は、日本経済には好循環とも云うべき‘成長のサイクル’ができた。これは、民間企業の設備投資を起動力とし、投資が投資を呼ぶと云う循環であった。(60P)

 「福祉は天から降ってこない」。一部の人々は「高度成長は不必要だ」、「産業の発展はもうご免だ」とか「これからは福祉の充実を図るべきだ」と主張している。しかし、「成長か福祉か」、「産業か国民生活か」と云う二者択一式の考え方は誤りである。福祉は天から降ってくるものではなく、外国から与えられるものでもない。日本人自身が自らのバイタリティーをもって経済を発展させ、その経済力によって築き上げるほかに必要な資金の出所はないのである。(63P)

 「物価上昇を押える」。従って、物価上昇を抑制するためには、第一に農業や中小企業、サービス業など低生産部門の近代化、合理化を進めて、その生産性を向上させることである。第二は道路や鉄道などを整備し、流通機構の近代化を大胆に進めて流通コストを切り下げることである。第三に産業や人口の思い切った地方分散によって、物価に占める地価負担を軽減することである。こうした政策の総合的な展開によって、物価上昇を抑制する道が開かれよう。(65P)

 「産業構造は知識集約型へ」。そこで今後の産業構造は、経済成長の視点に加えて、わが国を住みよく働きがいのある国にするという視点から選択されねばならない。つまり、今後の日本経済をリードする産業は、在来の重化学工業ではなく、公害や自然破壊度が少ないかどうか(環境負荷基準)、国民が誇りと喜びをもって当たれる仕事かどうか(労働環境基準)と云う尺度から選び出すことが必要である。

 このようにみると、将来の産業構造の重心は、資源、エネルギーを過大に消費する重化学工業から人間の知恵や知識をより多く使う産業=知識集約型産業に移動させなくてはならない。知恵や知識を多用する産業は、生産量に比べて資源エネルギーの消費が相対的に少ないので、公害を引き起こしたり、環境を破壊することも少ない。また、教育水準が高くなっている労働力に対し、単純労働ではなく、知的にも満足できる職場を多く提供できるので、人々が誇りと喜びをもって働くことも可能になるだろう。言い換えれば、知識集約産業こそは、産業と環境との共存に役立ち、豊かな人間性を回復させるカギを持つものである。

 それでは、知識集約型産業構造を形成するためにはどうするか。知識、技術、アイデアを多用する研究開発集約産業(電子計算機、航空機、電気自動車、産業ロボット、海洋開発)、高度組立産業(通信機械、事務機械、公害防止機器、教育機器など)、ファッション産業(高級衣類、家具、住宅用調度品)、それに知識、情報を生産し提供する知識産業(情報処理サービス、ビデオ産業、システム・エンジニアリング)などを発展させると共に、一般産業の製品や工程について、その高度化を通じて知識集約化を進めて行くことである。(68P)

 「福祉が成長を生む長期積極財政」。今後の財政運営は、単年度均衡の考え方から脱して、長期的な観点に立った財政の均衡を重視して行くべきである。つまり、現在の世代の負担だけではなく、未来の世代の負担をも考慮した積極的な財政政策を打ち出すことが必要である。子供や孫たちに借金を残したくないという考え方は、一見、親切そうに見えるが、結果はそうではない。生活関連の社会資本が十分に整備されないまま、次の世代に国土が引き継がれるならば、その生活や産業活動に大きな障害が出てくるのは目に見えている。美しく住みよい国土環境を作るには、世代間の公平な負担こそが必要である。

 このような積極財政は、社会資本の充実や教育、医療の改善、技術開発の促進に繋がるだけでなく、経済の高成長を促す道にもなる。これは単に公共投資の拡大や所得の再配分によって直接的に需要が増加するというだけでなく、それに付随する経済効果が大きいからである。例えば、鉄道や道路の整備によって土地の供給が増え、住宅建設が進む可能性が出てくる。社会保障が拡大されて人々に老後の不安がなくなれば、増加する所得を使って豊かな消費生活が楽しめるようになる。また公害防止、住宅、交通、教育、医療などに対する新技術の応用が盛んになれば、知識集約型産業の次の発展を促すことになる。このようにして、成長活用型の経済運営は「福祉が成長を生み、成長が福祉を約束する」と云う好循環をつくることができる。(72P)

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日本列島改造論 抜粋その2

 「近代日本を築いた力」。このような工業化の進展は、国民総生産と国民所得の増大をもたらした。私はこうした日本経済の流れを通じて次の原則を見出すことができる。その一つは、「国民総生産と国民所得の増大は、一次産業人口比率の低下と二、三次産業人口比率の増大及び都市化に比例する」と云うことである。(略)次の原則は、「人間の一日の行動半径の拡大に比例して国民総生産と国民所得は増大する」と云うことである。それは東海道を昔のように歩いていた時と、明治の半ばに東海道線が全通して汽車で20時間、二日間の行程を要した時と、今のように自動車、新幹線、ジェット機を利用して短時間で行けるようになった時とを比べれば、人間の一日の行動半径が拡大すればするほど、経済が拡大したことで明らかである。このような現象からみて「地球上の人類の総生産の拡大や所得の拡大は自らの一日の行動半径に比例する」と云う見方もできるわけである。かくして工業は集積の利益を求めて発展し、それによって国力、経済力が拡大した。(28P)

 「戦後経済の三段跳び」。ところが25年6月、挑戦動乱が勃発して内外の経済情勢は一変し、輸出と特需の急増で日本経済は生産拡大、近代化への道を歩み始めた。生産水準も上昇し、同年10月には早くも戦前の水準を越えた。27年8月、日本は世界の為替相場の安定と為替取引の自由化推進を目的として設立されたIMF(国際通貨基金)に加盟が認められた。かくてわが国はIMF14条国として、国際社会復帰の第一歩を記し、20年代の復興経済はここに終わりを告げた。(略)30年代は高度経済成長の時代である。世界的な景気上昇を背景としてわが国の輸出は増大し、農村の豊作と相まって「インフレなき拡大」と「数量景気」が謳歌された。(略)31年度の経済白書が「もはや戦後ではない」と書いたのは未だに記憶に新しい。(30P)

 わが国の経済の急激な成長を待ち受けていたかのように、38年2月、IMF理事会は、「日本は国際収支を理由として経常取引などでの為替制限を継続する資格は認められない」として、わが国に対しIMF8条国への移行を勧告した。この勧告に従い翌年4月、日本はIMF8条国となった。これと前後してわが国は、資本取引の自由化を原則とするOECD(経済協力開発機構)に加盟が認められた。こうしてわが国は名実共に先進国への仲間入りを果たし、40年代の開放経済体制のもとで国際経済の荒海に乗り出すことになった。42年6月、わが国は貿易自由化の基本方針を決め、同年7月、第一次自由化に踏み切った。その後2回にわたる自由化を経て46年8月、最終ラウンドとも云うべき第4次自由化を実施した。(略)このような経過を辿りながら戦後の日本経済は平均して実質10%の成長を続けた。(32P)

 「許容量を越える東京の大気汚染」。これまで人類は「自然から資源を得て、これを生産、消費し、廃棄物を自然へ排出する」と云う自然の循環メカニズムの中で生きてきたし、その自浄作用を通じて自然が維持されてきた。私たち日本人もその例外ではない。ところが30年代に始まった経済の高度成長の過程で人口、産業の都市集中が進み、自然の浄化作用を越えた環境汚染の問題が発生してきた。(35P)

 「一寸先はやみ、停電のピンチ」。こうした計画の実施がおくれているのは、火力発電所の立地の場合は、重油の使用による硫黄酸化物の発生で大気が汚染したり、温排水で漁民の生活が脅かされるなど地域住民の反対によるものである。原子力発電所の場合も、放射能の安全性に対する疑問や自然環境が壊されるという心配、さらに温排水で魚が取れなくなるという漁民の反対などから立地が困難になっている。このような問題を解決しない限り、電力需給のひっ迫を解消することは困難である。(40P)

 「過疎と出稼ぎで崩れる地域社会」。東北、北陸の米作単作地帯を中心に全国的に広まっている農村の出稼ぎ問題は、このような理由によるものである。春秋の農繁期を除くと、農村では年寄り、主婦だけで日常の生産や社会活動をするしかない。例えば新潟県には女性だけの消防隊さえ作られている。農村に若者の姿が減り、出稼ぎで夫婦が長い間、離ればなれに暮らし、年寄りが重労働にあえぎ、医者の姿も見えない農村から、明日の日本を築き上げるエネルギーがどうして生まれるだろうか。(57P)

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2014年6月12日 (木)

日本列島改造論 抜粋その1

 「序文と結び」については、「http://6616.teacup.com/rendaico3/bbs/131れんだいこのカンテラ時評№1046」に記す。

 「明治百年はフシ目」。都市と農村の人たちが共に住みよく、生きがいのある生活環境のもとで、豊かな暮らしができる日本社会の建設こそ、私が25年間の政治生活を通じ一貫して追及してきたテーマであった。(2P) 

 「都市政策大綱成る」。(「都市政策大綱」と云う)この綱領的文書は、狭義の都市政策ではなく、日本全体を一つの都市圏として捉える‘’国土総合改造大綱‘’であることを改めて強調したい。(3P) 

 「地方自治との関係」。日本列島が将来、一日交通圏、一日経済圏として再編成されるためには行政の広域化が促進されるべきである。(8P) 

 「農地制度との兼ね合い」。農村地域は農民にとっては生産、生活の場であると同時に、民族のふるさと、国民の憩いの場でもある。人間は自然と切り離しては生きていけない。世界に例を見ない超過密社会、巨大な管理社会の中で、心身をすり減らして働く国民のバイタリティーほ取り戻すためには、きれいな水と空気、緑にあふれた自然を破壊と汚染から守り、国民がいつでも美しい自然に触れられるように配慮することが緊急に必要である。そのため日本列島の山や森、草原、湖沼、海岸などを注意深く保全して、国民のための宿泊施設やレクレーション施設を計画的に整備すべきことを強調したい。(12P) 

 「ガソリン税の採用」。私はこの間の答弁をすべて一人で行い、結局、法案は陽の目を見た。この法律には「政府は当該年度のガソリン税収入相当額以上を道路整備の財源として盛り込まねばならない」ことがはっきり記されている。それから二十年、この事実も歴史のひとコマに過ぎなくなってしまったが、私にとっては忘れられない思い出のひとつである。(14P) 

 「繁栄の中の矛盾表面化」。このように日本経済の再建に関する諸法律が整備されるに従い、わが国は年率10%台という経済の高成長時代に入っていった。昭和29年から39年までの平均成長率は、実質で10.4%、それから1960年代の10ヶ年間は11.1%、つまり29年から45年までの17年間は平均10.4%の高成長を遂げたことになる。これは国民の勤勉努力と歴代政権の適切な施策によるものであった。(18P) 

 「世界の趨勢を考える」。戦後のわが国経済は、復興経済-高度成長経済-国際経済の三段階を経て今日に至っている。(22P)

 「平和と福祉に徹しよう」。日本の今後の進路を一言にして要約すれば「平和」と「福祉」につきよう。外に対しては、戦後25年間、一貫してきた平和国家の生き方を堅持し、国際社会との協調、融和の中で発展の道を辿ることである。内について云えば、これまでの生産第一主義、輸出1本ヤリの政策を改め、国民のための福祉を中心に据えて、社会資本ストックの建設、先進国並みの社会保障水準の向上などバランスのとれた国民経済の成長を図ることである。こうした内外両面からの要請に応えるための大道こそ私の提唱してやまない日本列島の改造なのである。世界中の国から信頼され、国民が日本に生まれ、働き、そして死ぬことを誇りとする社会を作り上げるために、私は在職25年の議員生活の体験を生かし、国土改造と云う壮大な事業に取り組みたいと考えている。(24P)

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田中角栄著「日本列島改造論」の抜粋サイトアップに当って

 「田中角栄著 日本列島改造論」をネットで読めるのが夢なのだが、これを誰もやっていないようである。これまでツイッターかブログで呼びかけたことがあるが反応はない。とうとう痺れをきらして、先にツイッターで予告した通り、れんだいこがやることにした。ここで同書の抜粋サイトアップを行う。但し、これをどういうスタイルで行うかに思案した。ページ順に書き付ける方法とテーマ別に編集し直して書き付ける方法がある。これにつき、ここでは前者の方法をとることにした。且つ何ら注釈つけず、れんだいこが注目した下りを抽出し転写することにした。角栄自身の言葉に生に接してひたすらに味わって貰いたいためである。

 日本政治が腐りきってしまっており、逆走しまくりの今の時代、田中角栄著「日本列島改造論」に接して多くの人は目からウロコを落として洗われるであろう。その理由は、今にしてなお斬新な指摘をしているからである。且つその指針そのものが時空を超えており、こうなるとそういう技を為す角栄の霊能力ぶりに注目せざるを得ず、そういう眼で見るとまさしく角栄が異能ぶりを如何なく発揮していることに気付くからである。

 もう一つ目を洗われる理由がある。それは、これまで角栄を散々悪口雑言して来た立花隆だの不破哲三なぞの角栄批判が嘘八百の狂言だったことを知り真実の角栄を拝するからである。実際の角栄は金権批判なぞ受けるには最も遠いところに位置して日本の国家百年の計に腐心した超有能な真の政治家であった。日本列島津々浦々にその果実を埋め込み世を去る人となったが、角栄が提起した日本列島改造論の功績は依然輝き続けている。この辺りは各々が直接に原書を手にし読書すればなお得心できるであろう。申し添えておきたいことは、くれぐれもニセモノ評論に眼くらましされてはならないと云うことである。

 何事も「論より証拠」である。手元にあるのは1972.8.5日の8版発行の「日本列島改造論」(著作・田中角栄、出版元・日刊工業新聞社)である。最近は著作権がうるさく、これをそのまま転写して披露する芸当がしにくくなったが敢えてしておく。もし日刊工業新聞社ないしは本書の著作権を持つと主張する者が現われ、こたびのれんだいこの所為に苦情を為すなら、逆に再刊するよう催促しようと思う。再刊しないのなら版権売ってくれ、カンパ寄せ集めて買ってでも再刊するつもりと伝えよう。それも拒否するなら、それでは何か著作権つうのは、こういう名著を隠す為に存在するのか、使うのか、誰が指示しているのかと詰問したいと思う。防御になるのかならないのか分からないが、当方の考えをあらかじめ晒しておく。ではいざ出航。本稿で述べたれんだいこの言が真かどうかの読後感想頼む。

 本稿関連サイトは以下の通りである。

 「日本列島改造論考」  (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/nihonrettokaizoronco/top.html

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