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2014年9月

2014年9月23日 (火)

なぜ日本がホロコーストされるのか考

 このところホロコースト絡みの論考を連続している。筆が進まないのは扱う内容が難しいからである。新たに本稿を加える。論題は、「なぜ日本がホロコーストされるのか。これにどう処すべきか」である。先に「ホロコースト日本論」を述べたが、こう問う者は私が初めてだろう。但し、こうはっきり問わないだけで同じような思いを持つ者が居るはずであろうから、そういう人たちには興味の湧く問いであろう。本稿を読んでなおカエルのツラにションベンの者はよほどの極楽トンボであろう。

 「なぜ日本がホロコーストされるのか」。結論から述べると、それは、日本が現在の国際ユダ屋の世界支配秩序を崩す可能性を持つ有力勢力の一つだからである。今や全く従順に馴致、飼育されている感のある戦後日本が何故に国際ユダ屋の世界支配秩序を崩す可能性があるのか。

 これに答えられる者がいるだろうか。恐らくいない。何ゆえか。それは「れんだいこの原日本論新日本論」を媒介せずには解けないからである。それほどに「原日本論新日本論」の価値は高い。この見解は決してれんだいこ独自のものではない。有益系の学識を煎じ詰め、したたり落ちるものよりもたらされたものなので、同じような煎じ方をした者が居れば同様の見解に辿り着こう。   

 「これにどう処すべきか」。これを「れんだいこの原日本論新日本論」でトレースすればどう解けるのかの解を開陳する。日本がホロコーストされるべき理由は、現在の国際ユダ屋の世界支配秩序を崩す可能性を持つ有力勢力の一つだからであり、今や全く従順に馴致、飼育されている感のある日本が何故に国際ユダ屋の世界支配秩序を崩す可能性があるのかの問いに対して、れんだいこは、こう答える。

 その前に諸賢の解を待ちたい。待てど暮らせどそういう解は提起されないだろうが、もったいぶることにした。なぜなら、れんだいこ自身が今、論を発酵中なので多少時間稼ぎする必要があるからである。

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2014年9月 2日 (火)

ホロコースト日本論

 2014.7月来のイスラエルによるガザホロコーストを注視し、翻って次のような気づきを得たので発表しておく。アウトライン描写ながら、れんだいこの気づきを公開しておく。

 今ガザでは人の最低限生活のライフラインさえもが意図的故意に壊され、それでも逞しく生きているパレスチナ人を確認することができる。ガザホロコーストの残虐非道ぶりはめったに報道されないが、たまの報道の隙間からかく窺うべきである。

 日本ではガザホロコーストを他人事と思ったり、イスラエル支持寄りの姿勢で論調する者が大多数のように思われるが、これは敗戦国現象である。即ち、去る日の第二次世界大戦に敗戦し、戦勝国側の国際ユダ屋支配秩序に馴致され飼育させられているからに過ぎない。それは丁度福島原発被災民に対する無関心と軌を一にしている。はっきり言っておく。それは滅びの道である。

 思うに、日本は、ガザホロコーストと無縁であるどころか既に「西のガザ、東の日本」と位置づけられるようなホロコースト被災民仲間ではないのか。違いがあるとすれば、「西のホロコースト」がハードタイプであるのに比して、「東のホロコースト」はソフトタイプと云うことなのではないのか。こう捉えることで始めて今、現に日本で進行中のあれこれの変態事象が説明つく。

 この変態事象を挙げようとすれば全分野において多重多角多面的であるのでキリがない。要するに日本が国家としても民族としても社会としても滅ぼされようとしており、あるいは溶かされようとしている。そのサマは暴力的、薬害的、中毒的、汚染的、白痴的、痴呆的、少子化的、貧困化的、多重債務化的等々あらゆる悪の仕掛けの術中に嵌められている。

 政治が、これを阻止するのではなく、どんどん呼び水すべく立ち働いている。この方向に照準が合わされ、これを請け負うと誓約した政治家のみが国際ユダ屋の後押しで権力の出世階段を上り、売国狂態政治に呆けている。

 こういう政治の愚劣化は1980年代初頭の中曽根政権と共に加速した。連中は口では愛国者然、民族主義者然と唱えるが、その裏で売国政治に勤しむのが特徴である。こういう政治がもう既に30年余続いている。それにしては日本丸はよくぞ持ちこたえているなと感心させられるほどの粘り強さではある。この認識が現下の日本を捉える大きな構図となるべきではなかろうか。この構図下で個々の分析をすれば良い。この逆を説く論説が現れたら大きく眉唾すればよい。

 今や日本を語るのに、「西のガザ、東の日本」の位置づけでホロコーストとして見なさなければ正鵠を得ないのではないのか。そういう生体実験が続けられているのではないのか。福島原発事故対応のお粗末さは、生体実験日本の象徴なのではないのか。かく認識し、日本を見据えれば次から次へと見えてくるものがある。ここを共認識することが次の時代の政治の第一歩となるべきではないか。自公民、その亜流政治なぞ評するに足りない。

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