手塚説と江口説が矛盾していないなんてことがある訳がなかろうにその2
手塚とは何者か。「れんだいこのカンテラ時評№1111、補足・小林多喜二の妻・伊藤ふじ子、多喜二研究家・手塚英孝考」で素描している通りである。ここでは、Sが知らしめた省略部分の「合法的に動いていた私たちと非合法の彼とのあいだには何の連絡がなかった」に注目しておく。
本人の弁で、多喜二の生前に於いて特段の接点がない御仁であったと語っている。むしろ「多少の誤解がある」として「伊藤ふじ子存在説」を証言した江口の方が多喜二と親交が深かった人と云うことになる。その江口氏が、「ふじ子は通夜にも葬式にも見えていない」なる手塚式偽証に異議を唱えていることの重みを受け取るのが筋であろう。
付言しておけば、「多喜二の通夜の席へのふじ子の存在有無」判断につき、組織防衛的見地からの偽証であればあるほど、手塚如きが決められるべき筋合いのことでもない。ならば誰の指示によるのかと云うことになる。Sレベルの事情通ぶりでは皆目見当がつくまいが、蔵原-宮顕ラインの指示に従っての歴史詐術と云う線は大いにあり得ると窺うべきだろう。
「ふじ子の来訪と激しい哀惜ぶり」を歴史に刻むか隠蔽するかにつき、これは歴史的行為であるから歴史的眼力で判断して差し支えない。が、一応は当人の考えも聞いて見るべきだろう。これを確認したところ、当人が史実を隠蔽するよう依頼していた形跡はないようである。否むしろ「ふじ子は通夜にも葬式にも見えていない」とする手塚式偽証の方にこそ非人情を感じているのではなかろうかと思える節がある。
「ふじ子のこの後の生活に傷がつくことを踏まえ、彼女の生活に迷惑をかけたくないから」云々なる思いやり論による偽証正当化は気色の悪いものでしかない。事件から半年後、釈放されたふじ子が、それまで若干の付き合いのあった漫画家の森熊猛・氏の部屋のドアをノックして、「クマさん、今日やっと出されたのヨ。今晩とめて…」と訪ねて来た時、森熊氏にはふじ子と多喜二との仲は公然のことであり、そのことを受け入れた上で二人が睦みあう家庭を持ったのが史実である。手塚式思いやり論のおたく性、詭弁性が知れよう。
Sの「手塚の事実隠しを宮本顕治の陰謀だと持っていくのは、下衆の勘繰りとまでは言わないが、あまり趣味の良くない推論だろう」の謂いには何の論証もない。云い得云い勝ちの弁でかく云いなして傲然としている。宮顕英明指導者論者のSが宮顕スパイ頭目説を唱えるれんだいこに敵意を燃やすのは分かるが、責任ある発言には多少なりとも論証が必要ではなかろうか。今や、れんだいこ説とS説のどちらが正しいのかが問われている。こういう論点の対立はどちらかが正しく、足して二で割る式の折衷では納まらない。れんだいこは歴史の審判が下るまでの道中を火の粉を払いながら待つことにする。
それにしてもSの没論理性が気になる。「手塚の不在説は訳ありなのであり、偽証には違いないが偽証事情を忖度せねばならない」と述べ、この線でとどめるのなら一応は筋が通っている。ところが「手塚英孝と江口渙は矛盾していない」と云いなしている。こうなると完全に味噌くそ同視詭弁であり、且つ限度を超しているとみなすべきだろう。こういう論法を使い始めると物事の見境いがなくなってしまう。
Sへのはなむけの言はこうである。当人は「趣味の良い推論」派を自認しているようだが、罵られた方のれんだいこからすれば、この手合いが高潔紳士として世間に通用しているとしたら気色の悪い、世渡りが上手過ぎるのではないかと思う。
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