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2015年3月23日 (月)

護憲論としての縄文社会主義論その5

 戦後憲法前文と9条の反戦平和論を有機的に結合させると、1・国際平和希求、2・戦争放棄、3・武力行使放棄、4・戦力不保持、5・国の交戦権不認の5項目を基本的要件として規定していることになる。これを一括して「戦争放棄条項」と規定している。社会党的には非武装中立論であり、文学的には「あっと驚く徒手空拳防衛主義」と形容できようか。

 これを虚と見なすのか実と見なすのかが問われている。今日の状況から評すればドン・キホーテ的理想主義には違いない。しかしながら、この規定が第一次、第二次世界大戦で蒙った世界的戦争悲劇の余燼燻る中で生まれたことを理解せねばならない。当時に於いては実在力があった故に規定されたと見なすべきだろう。ここのところは、歴史的与件抜きに後付け話法で評する者はいつの世でも粗脳でしかないので留意すべきだろう。

 憲法学者・西修博士の研究「日本国憲法を考える」(文春新書)によれば、「国策遂行の手段としての戦争放棄」規定は、1928年に締結された不戦条約で述べられた思想に発し、1931年のスペイン憲法にも戦争放棄条項が加えられており、世界の現行憲法の中で何らかの平和条項を持っているものは124カ国にも上ると云う。しかし、最も明確に厳格に「不戦規定」しているのは日本国憲法を嚆矢とする。

 ここから汲み出す法解釈は、「日本国憲法に随う限り、我が国の軍事防衛政策は、国家権力の手段として対外的には平和外交を通じての国際友好親善活動、通商交易による不断の国際協調路線、対内的には災害救援隊活動、純軍事的には専守防衛活動しか為しえない」ということになるであろう。この規定が空文であるのかないのかの論議は又別であり、忽ちはかく理解すべきであろう。

 以上の「憲法前文と9条の生成過程」の一部が次のように明らかにされている。GHQ草案作成過程で、新憲法の理想的精神について、幣原首相とマッカーサー元帥との間で白熱共鳴のやり取りが為されている史実がある。第9条の「武装放棄」については、幣原はマッカーサー元帥に、マッカーサー元帥は幣原の発案としてお互いが譲り合っている。「羽室メモ」は次のように証言している。         

         
 概要「幣原はさらに、世界の信用をなくした日本にとって、二度と戦争を起こさないということをハッキリと世界に声明することが、ただそれだけが敗戦国日本の信用を勝ち得る唯一の堂々の道ではなかろうかというようなことを話して、二人は大いに共鳴した」。


 幣原首相は次のように述べたと伝えられている。    
      

         
 「中途半端な、役にも立たない軍備を持つよりも、むしろ積極的に軍備を全廃し、戦争を放棄してしまうのが一番確実な方法だと思う」、「旧軍部がいつの日か再び権力を握るような手段を未然に打ち消すことになり、又日本は再び戦争を起こす意思は絶対ないことを世界に納得させるという、ニ重の目的が達せられる」。

 ところで、日本国憲法は第99条で、行政当局者の憲法遵守義務規定を次のように課している。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負う」。これによれば、行政当局者は、憲法改正を論じ運動することは許されても、改正以前に於いては現憲法を遵守するべしとする厳格な義務を負っていることになる。これを法治主義と云う。現下の前倒しは法治主義違反であり、勝共連合統一原理派の挙動はそのレベルを超えて憲法テロリストサイコパスの域のものである。この痴態を許してなるものかわ。

 本来であれば、この99条規定に基づく違憲訴訟裁判所が設けられ、違法行為につき監視すべきであろうが、そこまでの強行規定にはなっていないようである。諸外国の憲法との比較で論じたいが残念ながら知識がないので分からない。しかし、この規定によって役人は何人も、この規定との緊張関係なしには業務できないのであり、国民はこれを監視する権利を得ており義務があると云うべきだろう。ここを疎かにするような憲法学者を御用系と云う。この手合いの憲法学者が最近の憲法改正の動きに鈍感きわまるのもむべなるかな。

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仏教聖典なわふみひと
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 心の構造

  迷いもさとりも心から現われ、すべてのものは心によって作られる。

 ちょうど手品師が、いろいろなものを自由に現わすようなものである。

  人の心の変化には限りがなく、その働きにも限りがない。

 汚れた心からは汚れた世界が現われ、清らかな心からは清らかな世界が現われるから、外界の変化にも限りがない。

  絵は絵師によって描かれ、外界は心によって作られる。

 心はたくみな絵師のように、さまざまな世界を描き出す。

 この世の中で心のはたらきによって作り出されないものは何一つない。

  ところが、この心は常に恐れ悲しみ悩んでいる。すでに起こったことを恐れ、まだ起こっていないことをも恐れている。

 なぜなら、この心の中に無明と病的な愛着とがあるからである。

  迷いの世界はこの心から起こり、迷いの心で見るので迷いの世界となる。

  このように、この世界は心に導かれ、心に引きずられ、心の支配を受けている。

 迷いの心によって、悩みに満ちた世間が現われる。

  すべてのものは、みな心を先とし、心を主とし、心から成っている。

 汚れた心でものを言い、また身で行なうと、苦しみがその人に従うのは、ちょうど牽(ひ)く牛に車が従うようなものである。

  しかし、もし善い心でものを言い、または身で行なうと、楽しみがその人に従うのは、ちょうど影が形に添うようなものである。

 悪い行ないをする人は、この世では、悪いことをしたと苦しみ、後の世では、その悪い報いを受けてますます苦しむ。

  善い行ないをする人は、この世において、善いことをしたと楽しみ、後の世では、その報いを受けてますます楽しむ。


 心のけがれ

  仏性を覆いつつむ煩悩に2種類ある。

  1つは道理に迷う理性の煩悩である。2つには実際に当たって迷う感情の煩悩である。

  この2つの煩悩は、無明(むみょう)と愛欲となる。

  無明とは無知のことで、ものの道理をわきまえないことである。

 愛欲は激しい欲望で、生に対する執着が根本であり、見るもの聞くものすべてを欲しがる欲望ともなり、死を願うような欲望ともなる。

  この無明と愛欲とをもとにして、貪(むさぼ)り、瞋(いか)り、愚かさ、邪見、恨み、嫉み、へつらい、たぶらかし、おごり、あなどり、ふまじめ、その他いろいろの煩悩が生まれてくる。

  この貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさは、世の3つの火といわれる。

 貪りの火は、欲にふけって真実心を失った人を焼き、瞋りの火は、腹を立てて、生けるものの命を害する人を焼き、愚かさの火は、心迷って仏の教えを知らない人を焼く。

  まことにこの世はさまざまの火に焼かれている。

 貪りの火、瞋りの火、愚かさの火、生・老・病・死の火、憂い・悲しみ・苦しみ・悶えの火、――さまざまな火によって炎々と燃え上がっている。

 これらの煩悩の火はおのれを焼くばかりでなく、他をも苦しめ、人を身・口・意の3つの悪い行為に導くことになる。

  貪(むさぼ)りは満足を得たい気持ちから、瞋(いか)りは満足を得られない気持ちから、愚かさは不浄な考えから生まれる。

 貪りの罪の汚れは少ないけれども、これを離れることは容易でなく、瞋りは罪の汚れが大きいけれども、これを離れることは早いものである。

 愚かさは罪の汚れも大きく、またこれを離れることも容易ではない。

  人間の欲にははてしがない。それはちょうど塩水を飲むものが、いっこうに渇きが止まらないのに似ている。

  人はその欲を満足させようとするけれども、不満がつのっていらだつだけである。

  人は欲のために争い、欲のために戦う。また人は欲のために身をもちくずし、盗み、詐欺をはたらき、姦淫する。

  また、欲のために身・口・意の罪を重ね、この世で苦しみを受けるとともに、死んで後の世には、暗黒の世界に入ってさまざまな苦しみを受ける。

  外から飛んでくる毒矢は防ぐすべがあっても、内からくる毒矢は防ぐすべがない。

 貪りと瞋りと愚かさと高ぶりとは、4つの毒矢にもたとえられるさまざまな病を起こすものである。

  心に貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさがあるときは、口には偽りと悪口と二枚舌を使い、身には殺生と盗みとよこしまな愛欲を犯すようになる。

 意の3つ、口の4つ、身の3つ――これらを十悪という。

  人の貪(むさぼ)りも、愛欲も恐れも瞋(いか)りも、愚かさからくる。人の不幸も難儀もまた、愚かさからくる。愚かさは実に人の世の病毒にほかならない。

  人は煩悩によって業を起こし、業によって苦しみを招く。煩悩と業と苦しみの3つの車輪はめぐりめぐってはてしがない。

  この車輪の回転には始まりもなければ終わりもない。しかも、人はこの輪廻から逃れるすべを知らない。

 永劫に回転する輪廻に従って、人はこの現在の生から次の生へと永遠に生まれ変わってゆく。

  迷いのすがた

  この世の人びとは、身分の高下にかかわらず、富の多少にかかわらず、すべてみな金銭のことだけに苦しむ。

 なければないで苦しみ、あればあるで苦しみ、ひたすらに欲のために心を使って、安らかなときがない。

  富める人は、田があれば田を憂え、家があれば家を憂え、すべて存在するものに執着して憂いを重ねる。

 あるいは災いにあい、困難に出会い、奪われ焼かれてなくなると、苦しみ悩んで命まで失うようになる。

  貧しいものは、常に足らないことに苦しみ、家を欲しがり、田を欲しがり、この欲しい欲しいの思いに焼かれて、心身ともに疲れ果ててしまう。

 このために命を全うすることができずに、中途で死ぬようなこともある。

  人は互いに敬愛し、施しあわなければならないのに、わずかな利害のために互いに憎み争うことだけをしている。

 しかも、争う気持ちがほんのわずかでも、時の経過に従ってますます大きく激しくなり、大きな恨みになることを知らない。

  この世の争いは、互いに害し合ってもすぐに破滅に至ることはないけれども、毒を含み、怒りが積み重なり、憤りを心にしっかり刻みつけてしまい、生を変え、死を変えて、互いに傷つけ合うようになる。

  人は愛欲の世界にひとり生まれ、ひとり死ぬ。

 未来の報いは代わって受けてくれるものがなく、おのれひとりでそれに当たらねばならない。

  善と悪とはそれぞれの報いを異にし、善は幸いを、悪は災いをもたらすことが、動かすことのできない道理によって定まっている。

 しかも、それぞれがおのれの業を担い、報いの定まっているところへ、ひとり赴く。

  まことに、世俗のことはあわただしく過ぎ去ってゆき、頼りとすべきものは何一つない。

 この中にあって、こぞってみな快楽のとりことなっていることは、嘆かわしい限りと言わなければならない。

  このような有様がこの世の姿である。

 人びとは苦しみの中に生まれてただ悪だけを行ない、善を行なうことを少しも知らない。

 だから自然の道理によって、さらに苦しみの報いを受けることを避けられない。

  栄華の時勢は長続きせず、たちまちに過ぎ去る。

 この世の快楽も何一つ永続するものはない。

  だから、人は世俗のことを捨て、健全なときに道を求め、永遠の生を願わねばならない。

 道を求めることをほかにして、どんな頼み、どんな楽しみがあるというのか。

  ところが人びとは、善い行為をすれば善を得、道にかなった行為をすれば道を得るということを信じない。

 また、人が死んでまた生まれるということを知らず、施せば幸いを得るということを信じない。

 善悪にかかわるすべてのことを信じない。

  ただ、誤った考えだけを持ち、道も知らず、善も知らず、心が暗くて、吉凶禍福が次々に起こってくる道理を知らず、ただ眼前に起こることだけについて泣き悲しむ。

  どんなものでも永久に変わらないものはないのであるから、すべてうつり変わる。

 ただ、これについて苦しみ悲しむことだけ知っていて、教えを聞くことがなく、心に深く思うことがなく、ただ眼前の快楽におぼれて、財貨や色欲を貪って飽きることを知らない。

  人びとが、遠い昔から迷いの世界を経めぐり、憂いと苦しみに沈んでいたことは、言葉では言い尽くすことができない。

 しかも今日に至ってもなお、迷いは絶えることがない。

 いま、仏の教えに会い、仏の名を聞いて信ずることができたのは、まことにうれしいことである。

  だから、よく思いを重ね、悪を遠ざけ、善を選び、努め行なわなければならない。

  仏の教えを知った以上は、人は他人に従って煩悩や罪悪のとりこになってはならない。

 また仏の教えをおのれだけのものとすることなく、それを実践し、それを他人に教えなければならない。

  心を清める

 一、人には、迷いと苦しみのもとである煩悩がある。この煩悩のきずなから逃れるには五つの方法がある。

  第一には、ものの見方を正しくして、その原因と結果とをよくわきまえる。

 すべての苦しみのもとは、心の中の煩悩であるから、その煩悩がなくなれば、苦しみのない境地が現われることを正しく知るのである。

  見方を誤るから、我という考えや、原因・結果の法則を無視する考えが起こり、この間違った考えにとらわれて煩悩を起こし、迷い苦しむようになる。

  第二には、欲をおさえしずめることによって煩悩をしずめる。

 明らかな心によって、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つに起こる欲をおさえしずめて、煩悩の起こる根元を断ち切る。

  第三には、物を用いるに当たって、考えを正しくする。
 
 着物や食物を用いるのは享楽のためとは考えない。

 着物は暑さや寒さを防ぎ羞恥を包むためであり、食物は道を修めるもととなる身体を養うためであると考える。

 この正しい考えのために、煩悩は起こることができなくなる。

  第四には何ごとも耐え忍ぶことである。

 暑さ・寒さ・飢え・渇きを耐え忍び、ののしりや謗(そし)りを受けても耐え忍ぶ。

 この忍びを受けることによって、自分の身を焼き滅ぼす煩悩の火は燃え立たなくなる。

  第五には、危険から遠ざかることである。

 賢い人が、荒馬や狂犬の危険に近づかないように、行ってはならない所、交わってはならない友は遠ざける。

 このようにすれば煩悩の炎は消え去るのである。


  二、世には五つの欲がある。

 眼に見るもの、耳に聞く声、鼻にかぐ香り、舌に味わう味、身に触れる感じ、この五つのものをここちよく好ましく感ずることである。

  多くの人は、その肉体の好ましさに心ひかれて、これにおぼれ、その結果として起こる災いを見ない。

 これはちょうど、森の鹿が猟師のわなにかかって捕えられるように、悪魔のしかけたわなにかかったのである。

 まことにこの五欲はわなであり、人びとはこれにかかって煩悩を起こし、苦しみを生む。

 だから、この五欲の災いを見て、そのわなから免れる道を知らなければならない。

  三、その方法は一つではない。

 例えば、蛇と鰐(わに)と鳥と犬と狐と猿と、その習性を別にする六種の生きものを捕えて強いなわで縛り、そのなわを結び合わせて放つとする。

  このとき、この六種の生きものは、それぞれの習性に従って、おのおのその往みかに帰ろうとする。

 蛇は塚に、鰐は水に、鳥は空に、犬は村に、狐は野に、猿は森に。

 このために互いに争い、力のまさったものの方へ、引きずられてゆく。

  ちょうどこのたとえのように、人びとは目に見たもの、耳に聞いた声、鼻にかいだ香り、舌に味わった味、身に触れた感じ、及び、意(こころ)に思ったもののために引きずられ、その中の誘惑のもっとも強いものの方に引きずられてその支配を受ける。

  またもし、この六種の生きものを、それぞれなわで縛り、それを丈夫な大きな柱に縛りつけておくとする。

 はじめの間は、生きものたちはそれぞれの住みかに帰ろうとするが、ついには力尽き、その柱のかたわらに疲れて横たわる。

  これと同じように、もし、人がその心を修め、その心を鍛練しておけば、他の五欲に引かれることはない。

 もし心が制御されているならば、人びとは、現在においても未来においても幸福を得るであろう。

  四、人びとは欲の火の燃えるままに、はなやかな名声を求める。

 それはちょうど香が薫りつつ自らを焼いて消えてゆくようなものである。

 いたずらに名声を求め、名誉を貪って、道を求めることを知らないならば、身はあやうく、心は悔いにさいなまれるであろう。

  名誉と財と色香とを貪り求めることは、ちょうど、子供が刃(やいば)に塗られた蜜をなめるようなものである。

 甘さを味わっているうちに、舌を切る危険をおかすこととなる。

  愛欲を貪り求めて満足を知らない者は、たいまつをかかげて風に逆らいゆくようなものである。

 手を焼き、身を焼くのは当然である。

  貪りと瞋(いか)りと愚かさという三つの毒に満ちている自分自身の心を信じてはならない。

 自分の心をほしいままにしてはならない。

 心をおさえ欲のままに走らないように努めなければならない。

  五、さとりを得ようと思うものは、欲の火を去らなければならない。

 干し草を背に負う者が野火を見て避けるように、さとりの道を求める者は、必ずこの欲の火から遠ざからなければならない。                                      
  美しい色を見、それに心を奪われることを恐れて眼をくり抜こうとする者は愚かである。

 心が主であるから、よこしまな心を断てば、従者である眼の思いは直ちにやむ。

  道を求めて進んでゆくことは苦しい。しかし、道を求める心のないことは、さらに苦しい。

 この世に生まれ、老い、病んで、死ぬ。その苦しみには限りがない。

  道を求めてゆくことは、牛が重荷を負って深い泥の中を行くときに、疲れてもわき目もふらずに進み、泥を離れてはじめて一息つくのと同じでなければならない。

 欲の泥はさらに深いが、心を正しくして道を求めてゆけば、泥を離れて苦しみはうせるであろう。

  六、道を求めてゆく人は、心の高ぶりを取り去って教えの光を身に加えなければならない。

 どんな金銀・財宝の飾りも、徳の飾りには及ばない。

  身を健やかにし、一家を栄えさせ、人びとを安らかにするには、まず、心をととのえなければならない。

 心をととのえて道を楽しむ思いがあれば、徳はおのずからその身にそなわる。

  宝石は地から生まれ、徳は善から現われ、智慧は静かな清い心から生まれる。

 広野のように広い迷いの人生を進むには、この智慧の光によって、進むべき道を照らし、徳の飾りによって身をいましめて進まなければならない。

  貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさという三つの毒を捨てよ、と説く仏の教えは、よい教えであり、その教えに従う人は、よい生活と幸福とを得る人である。


  七、人の心は、ともすればその思い求める方へと傾く。

 貪(むさぼ)りを思えば貪りの心が起こる。

 瞋(いか)りを思えば瞋りの心が強くなる。

 損なうことを思えば損なう心が多くなる。

  牛飼いは、秋のとり入れ時になると、放してある牛を集めて牛小屋に閉じこめる。

 これは牛が穀物を荒して抗議を受けたり、また殺されたりすることを防ぐのである。

  人もそのように、よくないことから起こる災いを見て、心を閉じこめ、悪い思いを破り捨てなければならない。

 貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと損なう心を砕いて、貪らず、瞋(いか)らず、損なわない心を育てなければならない。

  牛飼いは、春になって野原の草が芽をふき始めると牛を放す。

 しかし、その牛の群れの行方を見守り、その居所に注意を怠らない。

  人もまた、これと同じように、自分の心がどのように動いているか、その行方を見守り、行方を見失わないようにしなければならない。


  八、釈尊がコーサンビーの町に滞在していたとき、釈尊に怨みを抱く者が町の悪者を買収し、釈尊の悪口を言わせた。

 釈尊の弟子たちは、町に入って托鉢(たくはつ)しても一物も得られず、ただそしりの声を聞くだけであった。

  そのときアーナンダは釈尊にこう言った。

  「世尊よ、このような町に滞在することはありません。他にもっとよい町があると思います」

  「アーナンダよ、次の町もこのようであったらどうするのか」

  「世尊よ、また他の町へ移ります」

  「アーナンダよ、それではどこまで行ってもきりがない。

 わたしはそしりを受けたときには、じっとそれに耐え、そしりの終わるのを待って、他へ移るのがよいと思う。

 アーナンダよ。仏は、利益・害・中傷・ほまれ・たたえ・そしり・苦しみ・楽しみという、この世の八つのことによって動かされることがない。

 こういったことは、間もなく過ぎ去るであろう」


 善い行ない

  一、道を求めるものは、常に身と口と意の三つの行ないを清めることを心がけなければならない。

 身の行ないを清めるとは、生きものを殺さず、盗みをせず、よこしまな愛欲を犯さないことである。

 口の行ないを清めるとは、偽りを言わず、悪口を言わず、二枚舌を使わず、むだ口をたたかないことである。

 意の行ないを清めるとは、貪(むさぼ)らず、瞋(いか)らず、よこしまな見方をしないことである。

  心が濁れば行ないが汚れ、行ないが汚れると、苦しみを避けることができない。

 だから、心を清め、行ないを慎しむことが道のかなめである。

  二、昔、ある金持ちの未亡人がいた。

 親切で、しとやかで、謙遜であったため、まことに評判のよい人であった。

 その家にひとりの女中がいて、これも利口でよく働く女であった。

  あるとき、その女中がこう考えた。

  「うちの主人は、まことに評判のよい人であるが、腹からそういう人なのか、または、よい環境がそうさせているのか、一つ試してみよう」

  そこで、女中は、次の日、なかなか起きず、昼ごろにようやく顔を見せた。

 主人はきげんを悪くして、「なぜこんなに遅いのか。」ととがめた。

  「一日や二日遅くても、そうぶりぶり怒るものではありません」とことばを返すと、主人は怒った。

  女中はさらに次の日も遅く起きた。

 主人は怒り、棒で打った。

 このことが知れわたり、未亡人はそれまでのよい評判を失った。

  三、だれでもこの女主人と同じである。

 環境がすべて心にかなうと、親切で謙遜で、静かであることができる。

 しかし、環境が心に逆らってきても、なお、そのようにしていられるかどうかが問題なのである。

  自分にとって面白くないことばが耳に入ってくるとき、相手が明らかに自分に敵意を見せて迫ってくるとき、衣食住が容易に得られないとき、このようなときにも、なお静かな心と善い行ないとを持ち続けることができるであろうか。

  だから、環境がすべて心にかなうときだけ、静かな心を持ちよい行ないをしても、それはまことによい人とはいえない。

 仏の教えを喜び、教えに身も心も練り上げた人こそ、静かにして、謙遜な、よい人といえるのである。

  四、すべてことばには、時にかなったことばとかなわないことば、事実にかなったことばとかなわないことば、柔らかなことばと粗いことば、有益なことばと有害なことば、慈しみのあることばと憎しみのあることば、この五対がある。

  この五対のいずれによって話しかけられても、

  「わたしの心は変わらない。

 粗いことばはわたしの口から漏れない。

 同情と哀れみとによって慈しみの思いを心にたくわえ、怒りや憎しみの心を起こさないように」

と努めなければならない。


  八、人が心に思うところを動作に表すとき、常にそこには反作用が起こる。

 人はののしられると、言い返したり、仕返ししたくなるものである。

 人はこの反作用に用心しなくてはならない。

 それは風に向かって唾(つばき)するようなものである。

 それは他人を傷つけず、かえって自分を傷つける。

 それは風に向かってちりを掃くようなものである。

 それはちりを除くことにならず、自分を汚すことになる。

 仕返しの心には常に災いがつきまとうものである。

投稿: 通りがけ | 2015年3月24日 (火) 14時56分

 沖縄の米軍基地鬼畜司令官が言っていたように、あの鬼畜外道どもはヒロヒトに頼まれたから上陸して日本人を手当たり次第に虐殺して占領したのである。
 
 これこそがヒロヒトが死ぬまで沖縄を訪れなかった理由であり、フィリピンで鬼畜外道米軍の日本国沖縄本島への上陸を特攻で防いで鬼畜の侵攻を足止めし、その間に鬼畜の日本国沖縄県上陸を阻止する条件講和を天皇に願おうとした若き大和魂武士たちが、「靖国で会おう」と言い交わして心優しい笑顔で死んでいったことを聞いて、ヒロヒトは靖国に足を踏み入れたとたん大和魂忘己利他捨身施菩薩武士英霊たちへの裏切りの罰を受けて即死するに違いないと恐怖のどん底に叩き込まれたがゆえに、死ぬまで大和魂の招魂場靖国に足を踏み入れられなかった唾棄すべき腰抜けの臆病者だったのである。

>大西瀧治郎中将特攻作戦の真意 http://www.geocities.jp/kamikazes_site/saisho_no_tokko/oonishi/oonishi_shini.htm
>最初の特攻 関 行男隊長 http://www.geocities.jp/kamikazes_site/saisho_no_tokko/seki/sekitaii.html

財団法人仏教伝道教会出版の 仏教聖典(A6判,331p) 005-2 ¥540 文庫本p172に次の文章があります。

「七、六波羅密とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つのことで、この六つを修めると、迷いの此の岸から、さとりの彼の岸へと渡ることができるので、六度ともいう。
 布施は、惜しみ心を退け、持戒は行いを正しくし、忍辱は怒りやすい心を治め、精進は怠りの心をなくし、禅定は散りやすい心を静め、智慧は愚かな暗い心を明らかにする。
 布施と持戒とは、城を作る礎いしずえのように、修行の基となり、忍辱と精進とは、城壁のように外難を防ぎ、禅定と智慧とは、身を守って生死を逃れる武器であり、それは甲冑に身をかためて敵に臨むようなものである。  乞う者を見て与えるのは施しであるが、最上の施しとはいえない。心を開いて、自ら進んで他人に施すのが最上の施しである。また、ときどき施すのも最上の施しではない。常に施すのが最上の施しである。  施した後で悔いたり、施して誇りがましく思うのは、最上の施しではない。施して喜び、施した自分と、施しを受けた人と、施した物と、この三つをともに忘れるのが最上の施しである。
正しい施しは、その報いを願わず、清らかな慈悲の心をもって、他人も自分も、ともにさとりに入るように願うものでなければならない。
世に無財の七施と呼ばれるものがある。財なき者にもなし得る七種の布施行のことである。
 一には身施(しんせ)、肉体による奉仕であり、その最高なるものが次項に述べる捨身行である。
 二には心施(しんせ)、他人や他の存在に対する思いやりの心である。
 三には眼施(げんせ)、やさしきまなざしであり、そこに居るすべての人の心がなごやかになる。
 四には和顔施(わげんせ)、柔和な笑顔を絶やさないことである。
 五には言施(ごんせ)、思いやりのこもったあたたかい言葉をかけることである。
 六には牀座施(しょうざせ)、自分の席をゆずることである。
 七には房舎施(ぼうしゃせ)、わが家を一夜の宿に貸すことである。
 以上の七施ならば、だれにでも出来ることであり、日常生活の中で行えることばかりなのである。

八、昔、薩埵(さった)太子という王子がいた。ある日、二人の兄の王子と森に遊んで、七匹の子を産んだ虎が飢えに迫られて、あわやわが子を食べようとするのを見た。 二人の兄の王子は恐れて逃げたが、薩埵太子だけは身を捨てて飢えた虎を救おうと、絶壁によじのぼって、身を投げて虎に与え、その母の虎の飢えを満たし、虎の子の命を救った。
 薩埵太子の心は、ただ一筋に道を求めることにあった。「この身は砕けやすく変わりやすい。いままでは施すことを知らず、ただわが身を愛することにばかりかかわってきた自分は、いまこそこの身を施して、さとりを得るために捧げよう。」この決心によって、王子は飢えた虎にその身を施したのである。」

 薩埵太子の捨身施とおなじ捨身施を我々のご先祖様神風特攻隊に見ることができます。

最初の特攻○ttp://www.geocities.jp/kamikazes_site/saisho_no_tokko/saisho_no_tokko.html
大西瀧治郎中将の苦悩○ttp://www.geocities.jp/kamikazes_site/saisho_no_tokko/oonishi/oonishi.html
沖縄の人々 http://www.geocities.jp/kamikazes_site/tokko_episode/okinawanohitobito.html
台湾の飛虎将軍廟 http://www.geocities.jp/kamikazes_site/tokko_episode/taiwanhikoshogun.html
台湾軍と「薫空挺隊」~台湾軍と台湾高砂族の兵士たち~ http://www.geocities.jp/kamikazes_site/tokko_episode/kaoru_kuteitai.html

 日本人は聖徳太子法皇大王以来国民が全員仏教徒となったと歴史書に書かれているが、本当は釈尊生誕より遙か昔ムー大陸時代以来先祖代々親から子へ以心伝心の躾け「三つ子の魂百まで」で伝えることによって、もともと仏法に帰依していた親孝行なひとびとが代々此の地を暮らし伝えてきたのである。

 聖徳太子は今より1600年の昔、その大王としての宮城で「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり」と、今より2600年の昔地上の最後の人生を苦界の世に仏法を教えひろめる大慈悲行を成就して仏陀と成られた釈尊の教えによってこの国を治めると宣言した。

 聖徳太子が行った三経義疏と同じものが現代日本語に訳されて仏教伝道教会によって刊行された仏教聖典である。

 聖徳太子が大王としてこの国を仏の教えに従って治めると宣言して以来日本人の情操教育の根本となった釈尊の言葉法句経が、聖武天皇が全国に建てた寺院で読経され親から子へ伝えられたのであるが、先ず仏教聖典の冒頭の法句経から転載する。

 怨みは怨みによって果たされず、忍を行じてのみ、よく怨みを解くことを得る。これ不変の真理なり。(五)

 わが愚かさを悲しむ人あり。この人すでに愚者にあらず。自らを知らずして、賢しと称するは愚中の愚なり。(六三)

 戦場において、数千の敵に勝つよりも、自己に勝つものこそ、最上の戦士なり。(一〇三)

 たとい百歳の寿命を得るも、無上の教えに会うことなくば、この教えに会いし人の、一日の生にも及ばず。(一一五)

 人に生まるるは難く、いま生命あるは有り難く、世に仏あるは難く、仏の教えを聞くは有り難し。(一八二)

 もろもろの悪をなさず、もろもろの善を行ない、おのれの心を浄くす。これ諸仏の教えなり。(一八三)

 子たりとも、父たりとも、縁者たりとも、死に迫られしわれを、救うことを能わず。(二八八)

投稿: | 2015年3月24日 (火) 15時02分

 怨みは怨みによって果たされず、忍を行じてのみ、よく怨みを解くことを得る。これ不変の真理なり。(五)

 戦場において、数千の敵に勝つよりも、自己に勝つものこそ、最上の戦士なり。(一〇三)

 もろもろの悪をなさず、もろもろの善を行ない、おのれの心を浄くす。これ諸仏の教えなり。(一八三)

・・・

これらの釈尊の教えにすべて適うのが幣原喜重郎氏が起草した日本国憲法であり、とりわけ前文と第九条であります。すべてれんだいこ先生のおっしゃるとおりでございます。

>___________

 概要「幣原はさらに、世界の信用をなくした日本にとって、二度と戦争を起こさないということをハッキリと世界に声明することが、ただそれだけが敗戦国日本の信用を勝ち得る唯一の堂々の道ではなかろうかというようなことを話して、二人は大いに共鳴した」。

 幣原首相は次のように述べたと伝えられている。

 「中途半端な、役にも立たない軍備を持つよりも、むしろ積極的に軍備を全廃し、戦争を放棄してしまうのが一番確実な方法だと思う」、「旧軍部がいつの日か再び権力を握るような手段を未然に打ち消すことになり、又日本は再び戦争を起こす意思は絶対ないことを世界に納得させるという、ニ重の目的が達せられる」。
_________

そして、今の安倍政権政府公僕公務員が執行する行政が、なにからなにまですべて紛う方無き日本国憲法最高法規第99条違反すなわち日本国刑法極刑内乱罪の犯罪政治そのものであることも、れんだいこ先生のおっしゃるとおりでございます。

>_______

日本国憲法は第99条で、行政当局者の憲法遵守義務規定を次のように課している。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負う」。これによれば、行政当局者は、憲法改正を論じ運動することは許されても、改正以前に於いては現憲法を遵守するべしとする厳格な義務を負っていることになる。これを法治主義と云う。現下の前倒しは法治主義違反であり、勝共連合統一原理派の挙動はそのレベルを超えて憲法テロリスト・・・を許してなるものかわ。
________

すなわち、日本国憲法の国体であり日本国君主である日本国籍主権者国民が、「テロとの戦い」で打破せねばならない天地人ともに許しがたきテロリスト組織は、「イスラム国」ではまったくなく、まさに日本国憲法を踏みにじる安倍晋三政権日本政府公僕公務員組織の最後の一人まで漏らし残さぬ全員である、ということです。

投稿: 通りがけ | 2015年3月25日 (水) 19時19分

教師をロボット製造マシーンに育成する為「教員免許」国家資格化へ 自民提言
(さゆふらっとまうんどのブログ)sayuflatmound.com/?p=11055

>日本国憲法
>第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

つまり、官僚立法も閣議決定も全部憲法41条違反である。

>第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
>2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

教育改革?安倍晋三政府のすべての政策は憲法41条違反であり、したがって憲法98条によって「粛々と」すべて無効とされます。

>第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

よってさきに第41条に違反した安倍晋三日本国政府はその時点で全員が第99条に違反しており、憲法最高法規違反者には日本国刑法の極刑内乱罪が「粛々と」全員に適用されます。

投稿: 通りがけ | 2015年4月26日 (日) 12時32分

下記阿修羅にrWn9PLlcps で投稿しました。
>百田尚樹も尊敬する元零戦パイロットが安倍首相を批判!「戦前の指導者に似ている」と(リテラ)
www.asyura2.com/15/senkyo183/msg/741.html

28. 2015年4月25日 18:16:08 : rWn9PLlcps
「GW明けにモサドCIA日本国内テロ準備中」
ゴールデンウィーク明けまでに、ドローンの「重要施設の警備強化」と「運用ルール作りや関係法令の見直し」をする方針。~なぜそんなに急ぐのか?
sayuflatmound.com/?p=11040

これは在日米軍基地上空やイスラエルアメリカ大使館上空をドローンが空撮飛行することを防ぐために急いでいる。
つまり今現在イスラエルアメリカ大使館内や米軍基地内でテロの準備が行われている真っ最中だと言うこと。偶然の露見を厳しく防がねばならない、それほど重大な犯罪行為がそれらの場所で治外法権をたてにいままさに行われている証拠である。

_________________

憲法を知らずして正論なし

「フリーメーソン政府は全身全霊日本国憲法違反である」

ヒロヒト発言記録(1946・4~6)
nueq.exblog.jp/20875307/

皇紀始まって以来最もたくさんの大和民族を戦争で殺した極悪非道戦争犯罪者似而非天皇ヒロヒトは皇太子時代にイギリスへ行ってフリーメーソンになって帰ってきた。同じくイギリスフリーメーソン長州ファイブ非人明治政府伊藤博文以来の田布施システムど真ん中の鬼畜外道である。

第二次世界大戦終結後ユダヤフリーメーソンマッカーサーが温存したのは天皇制じゃなくて田布施システムであり、田布施システムを日本国憲法に規定がない非合憲行政庁宮内庁として日本政府の奥深くに隠匿温存したのである。つまり日本の泥棒官僚田布施エタ非人システムの中枢は宮内省にほかならない。宮内省の詐欺道具が憲法違反放送法フリーメーソン放送局NHKである。

沖縄をいまも虐げている日米安全保障会議は、ヒロヒトと吉田茂が国際法違反で単独密約した日米安全保障条約に基づいて設置されている。日米安保条約は国際法違反の二国間密約であるから、日本国憲法最高法規第98条2の対象外である。

第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

29. 2015年4月25日 18:26:48 : rWn9PLlcps
「永遠のゼロ」で陛下の園遊会に招かれた百田よ、貴様が真珠湾攻撃ゼロ戦エースパイロット原田要氏を尊敬するというのなら、宮内省へ靖国の英霊関行男大尉の教官原田要氏がルメイを越えて叙勲されるよう、NHK顧問現職を懸け撃ちてし止まんで体当たり推薦せよ。

投稿: 通りがけ | 2015年4月27日 (月) 12時47分

42. 2015年4月26日 09:46:01 : rWn9PLlcps
「先祖伝来大和魂大和民族の国からフリーメーソン放送局NHKを棄却消滅すべし」
>地デジと携帯スマホWifi両方解約すれば年20万~30万節約
saigaijyouhou.com/?no=6278

地デジはNHKに受信料年6~7万、つけっぱなしに近いのでテレビ電気代年6~7万円あわせて年10万円以上口座から自動的に抜き盗られている。
携帯スマホWifiは年18万以上口座から自動的に抜き盗られている。

それだけではない。

これらはいずれも電子レンジの周波数のマイクロ波を発生するので、こどもにこのマイクロ波を浴びせると白血病を発生させて成壮年に達する前に早逝してしまう。

こどもが早逝すれば納税者がいなくなり国が滅びる。
ゆえにイギリスでは8年前から16歳未満のこどもは携帯スマホを持ってはいけないし、家の中で12歳未満のこどもにマイクロ波被曝をゼロにするよう政府がすべての国民に対して勧告規制している。
ロシアではもっと厳重に、18歳未満のこどもに家の中でマイクロ波を被曝させることを政府が全国民に禁じている。これは被曝させれば親が逮捕されると言うこと。マイクロ波発生装置は電磁波レベルで言えばミニ原発クラスの有害危険物である。

このように、どの国も国の将来を担う子どもたちがこどものうちに危険な電磁波を浴びて早逝しないよう、政府が責任を持って有害な危険物を家庭内から除去し、こどもが健やかに成人できるように国家権力を用いてこどもという国の宝を守っている。

ところが戦後日本政府がやっていることは、総務省が管理する危険な原発レベル電磁波発生装置を、カラーテレビのコマーシャル(ポケモン痙攣映像と危険等価)で視聴者保護者を騙して国民の家庭内に大量に送り込んで、政府自らが日本人のこどもを全員放射能に準ずる危険な電磁波であるマイクロ波で病気にさせて成人するまえに早逝させようと、他の省庁も一体となったあらゆる国家権力を用いて家庭内でこどもを無差別被曝させようとしている。

何故日本だけ国が自国民のこどもを被曝させるのか?理由は簡単で、戦後日本政府は日本人が作った政府ではないからである。

戦後日本に上陸したアメリカ軍GHQのマッカーサーというユダヤ人フリーメーソンが日本に占領軍治外法権で作ったものを以下に列挙する。
テレビ局・新聞社・霞ヶ関の全省庁・検察・自衛隊。
つまり立法府の国会を除く行政司法マスコミ(第四権)はすべて1945年にできたときからユダヤ人フリーメーソンの忠実なスパイである。日本人ではない。

そして似非日本人小泉純一郎劇場詐欺師が政権を詐取して以来選挙制度が破壊され、唯一の砦であった国会(立法)もフリーメーソンスパイに憲法違反の治外法権で占拠されてしまった。

この結果現在の日本政府は頭のてっぺんからつま先まで全身全霊フリーメーソンスパイ政府であり、日本政府が行うことはすべてが日本国憲法最高法規違反の内乱罪外患罪棄民戦争犯罪政治に他ならないのである。

このすべての憲法違反政治をフリーメーソンは何を使って達成したか?カラーテレビである。

だから逆に、カラーテレビの本丸であるフリーメーソンスパイ放送局NHKを日本国憲法違反内乱罪外患罪で断罪解体すれば、ただそれだけで直ちに日本国は立憲法治国家として国内のフリーメーソンスパイを主権者国民の力で国外追放排除することができ、唯一無二の戦争永久放棄平和憲法を不退転の忘己利他菩薩先祖伝来大和魂で堅持する、この世に真の地球平和を打ち建てる大和民族独立国家となれるのである。

投稿: 通りがけ | 2015年4月27日 (月) 12時49分

43. 2015年4月26日 10:01:56 : rWn9PLlcps
>>36
原田要氏も、小泉劇場詐欺師がブッシュと共謀して憲法を破り自衛隊派兵し海上給油したイラク戦争の時、NHKのカラーテレビで米軍がイラクの人たちをミサイル攻撃するモニター映像が流れたのを子どもたちが見て、「かっこいい」とか「面白い」とかテレビゲームのように戦争を面白がったことに、ものすごい危機感をいだいた。
戦争はテレビゲームでは無い。

その危機感ゆえ余りにも悲惨だったゆえに封印してきた自らの戦争体験の記憶を、声を大にして語り始めることにしたのである。
>「真珠湾攻撃に参加した零戦搭乗員の記憶」
https://www.youtube.com/watch?v=wHfBG5pSwpU


これが原田要氏の先祖伝来忠君孝親忘己利他菩薩仏心大和魂である。


45. 2015年4月26日 10:13:50 : rWn9PLlcps
日本国憲法は、人天の師釈尊が教えたもうた三宝に帰依する仏心で、まさに書かれているのだよ。

46. 2015年4月26日 10:29:01 : rWn9PLlcps
原田要氏
>「安倍首相は必死で日本の戦争放棄を取り消そうとしたがっているように見える」

>「戦後の長い平和がひとつの達成であったということを忘れているように思えてならない」

仏心大和魂原田要氏が言うこの「達成」こそが、戦争永久放棄の「日本国憲法」そのものなのである。

フリーメーソンカルト信者である安倍晋三や百田尚樹には、先祖伝来仏教徒伝統日本武士原田要氏の仏心も大和魂もないから、「必死で日本の戦争放棄を取り消したがっている」のである。


阿修羅の投稿者はみな直接原田要氏に聞いてごらん。私がここに書いたとおり一言一句のちがいも無く同じ内容を語るから。

投稿: 通りがけ | 2015年4月27日 (月) 12時51分

68. 2015年4月27日 11:17:43 : rWn9PLlcps
>60. 2015年4月26日 19:21:01 : vpOHRYtzTw
>うはっ
>戦争怖いなんて馬鹿か!
>敵は我が国の国民を奴隷にし領土を奪い、すべてを焼き尽くす。

>旗を立てよ!
>侵略者共を返り討ちにするのだ!!

>手柄を立ていっ!
>敵を多く殺したもんが英雄じゃー!

この言葉は誰に向けて言っているのかと言えば、自衛隊に向けて言っている。
戦前大日本帝国憲法下皇軍の衣鉢を継ぐのが日本国憲法下自衛隊という認識であろう。

しかし注意せよ、大日本帝国憲法では日本国の国体は天皇唯一人であり、国体すなわち君主であり、余の者はすべて臣民であった。ゆえに忠君孝親慈悲喜捨忘己利他菩薩武士道仏心皇軍は忠孝一致の神風特攻に大和魂を捧げたのである。

これに対して戦後大和民族先祖伝来仏心の昇華精粋である日本国憲法において、国体とは主権者国民でありすなわち日本国の君主は主権者国民である。余の者すなわち公僕公務員は、すべて君主日本国主権者国民に滅私奉公する臣民である。
日本国憲法最高法規第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」に厳然と記されているとおりである。

すなわち自衛隊の武装は、我が国の君主である主権者日本国民が住むこの国土に対する軍事侵略を実際に行っている者に対する正当防衛としてのみ行使できる軍事力である。自衛隊は君主日本国主権者の臣民であるから、正当防衛と言えどもその軍事力行使にあたっては君主の許可を受けねばならぬのは当然である。

日本国政府立法行政司法の三権は、すべて君主主権者国民に滅私奉公する憲法義務を負った下僕臣民に過ぎない。下僕に過ぎない政権政府の独断で自衛隊を軍事行動目的で動かせば、それはクーデターそのものである。下僕小泉純一郎がイラク戦争に自衛隊を海外派兵した時から日本国内に軍事クーデターが起こっている。

原田要氏がそのイラク戦争のテレビ映像を見て、小泉純一郎クーデターテロリストによって海外派兵された自衛隊に、日本伝統の忠君孝親慈悲喜捨菩薩武士道大和魂を取り戻して欲しいと、神風特攻隊の悲惨を声を大にして語り始めたのもむべなるかな。

投稿: 通りがけ | 2015年4月27日 (月) 12時53分

69. 2015年4月27日 11:51:41 : rWn9PLlcps
仏心日本国君主主権者国民が自衛隊活動として国内外において容認するのは「災害救助活動」のみであり、一切の武装を必要としない人道救助活動のみである。

かつてインド洋大津波で甚大な被害を受けたインド洋沿岸諸国に自衛隊が災害救助海外派遣された。被害諸国は紛争当事国であり交戦下にあったにもかかわらず、わが自衛隊は武器銃器いっさいを携行せず完全に非武装の丸腰で現地入りして、仏心「和顔愛語」のみをもちいて純粋に災害救助復興支援活動に従事し、その結果紛争交戦下にもかかわらず自衛隊はなんの軍事攻撃も受けずに復興支援の絶大な成果を上げたのである。

当時の復興支援海外派遣自衛隊の指揮官は加來浩器防衛庁武官である。

加來浩器自衛隊武官こそ、憲法9条の精神を紛争地帯のど真ん中でまさに体現した、皇軍軍人原田要氏関行男氏が大和民族先祖よりうけついだ仏心慈悲喜捨忘己利他菩薩武士道大和魂の正しい伝承者である。

70. 2015年4月27日 12:05:27 : rWn9PLlcps

仏心日本国君主主権者国民は、いまネパール国に起こった大地震で多くの人びとが傷つきネパール国の国土が甚大な被害を受けていることに対し、ただちに主権者国民の下僕自衛隊に対し、加來浩器仏心武官を指揮官に任命して「大地震災害救助復興支援緊急海外派遣自衛隊」を自衛隊の総力を挙げて組織し現地に急行することを、仏心日本国君主として厳命する。

投稿: 通りがけ | 2015年4月27日 (月) 12時54分

以下の論を書くことが出来ましたのも、れんだいこ先生が幣原喜重郎について私にお教え下さいましたまことに有り難き賜物でございます。いつもありがとうございます。とおりがけ拝


なんのための原子力発電なのか? これは「大量殺人」ではないのか? 広瀬 隆(ダイヤモンド)♪ 阿修羅
http://www.asyura2.com/15/genpatu43/msg/556.html


35. 2015年8月07日 07:39:21 : rWn9PLlcps
>19. 2015年8月06日 19:17:19 : axHiCq3DwE
>原発は、元々はプルトニューム製造プラント
その辺りの実態を、地球史上常に同時代世界一の日本人が最も詳しく書いたブログページがこれでしょう。何をやらせても常に地球最高の仕事をするのが我々日本人大和民族です。

テキスト転載開始

(新) 日本の黒い霧

日本航空123便ジャンボジェット機墜落事故の真相、その他の未解決事件、改竄された歴史について考える。

認めたくない日本の憂うべき現状
2012-05-10 10:07:59 | 日記
福島の原発事故の件については、私もすっかり呆れており、これ以上関連記事を掲載することにどれだけの意味があるのか、疑問に思っているところです。そんな最中、私の情報提供ソースから、日本の裏核産業に関してまたしても情報が入ってきました。

相変わらず確認の取り様がないので、聞いたままを掲載するのは憚られるのですが、その内容に一定の合理性が認められるので、未確認情報とお断りしながら、今回の記事ネタとして使わせていただきます。この事件は、大きく報道されたこともあり、綿密に放射線測定を重ねることによって、状況証拠的な裏付なら取れるかもしれません。残念ながら、私は中々現地へ赴けませんので、近くに住む方々の検証に期待を寄せたいと思います。


■三井化学大竹工場に眠る劣化ウラン

 この情報は、先月4月22日、山口県岩国市の三井化学岩国大竹工場の酸化塔で発生した爆発事故について述べています。そして、この事故に関するメディア報道の中にある以下の文言について詳細に触れています。

「この工場には、放射性物質である「劣化ウラン」が入ったドラム缶をおよそ3,400本保管しているということだが、異常はなく、被害もなかったという。」
 報道ソース(FNN)
 http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00221770.html

地元自治体も「劣化ウラン」は寝耳に水だったようで、管轄の文部科学省に安全確認を要請した模様です。

「同社は3月28日と爆発があった4月22日以降の保管倉庫と周辺の放射線量が毎時0.22~9.31マイクロシーベルトを示し、「事故前後で数値は変わっていない」と説明したという。」
 報道ソース(中国新聞)
 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201205020009.html


写真1:三井化学大竹工場(山口県岩国市)
    黄枠内が工場敷地


写真追1:1回目の爆発


■原子力発電所の2次産業

三井化学大竹工場は原子力発電所の使用済み燃料から発生する「核燃料廃棄物(アイソトープ)」を扱っているとのことです。ここで今一度、原子力発電所が実際に行っている業務を優先順位の高い順から箇条書きにしてみます(裏ビジネス含む)。

 1.プルトニウム生産 - 兵器用
 2.トリチウム生産 - 水素爆弾、中性子爆弾、核融合実験炉の材料
 3.アイソトープ生産 - 医療用、実験資料、蛍光塗料、LED照明、兵器用

あれ?発電は?と思われた方も多いと思いますが、実際には、発電はこれらの工業生産過程の余剰熱を使って水蒸気タービンを回しているだけのことであり、原子力発電所の存在意義とはまさに、放射性物質の生産にあるとも言えます。その意味では「使用済み核燃料」とは、立派な工業生産物であると言えましょう。しかも、上記のリストから分るように、その多くが軍事目的(兵器生産)であり、一般には民生用と思われているアイソトープに関しても、その使用目的のほとんどが軍事用であることは、もはやこの業界での常識となっています。


■劣化ウラン弾は兵器用アイソトープの主力生産物

兵器用アイソトープから生まれるのが劣化ウラン弾です。劣化ウラン弾には大きく分けて二種類有ります。

 1.アイソトープ弾:住民や家畜を放射能で殺す(ウラン238は含まない)
 2.炸裂弾:国土、環境に放射能を撒き散らし焦土とする(ウラン238を含む)

劣化ウランはその硬質な物性のため、弾頭部分など兵器の構造材に再利用されていると喧伝されていますが、現実には、放射能による生物殺戮兵器であることは明らかです。私も国際軍事評論家B氏から、劣化ウラン弾に関する米陸軍軍医による過去の研究論文をお借りして読んだことがありますが、その中に、"人体(使用する兵士も含む)に非常に有害な為、使用は好ましくない"と、劣化ウラン弾の配備を問題視する記述があったのを覚えています。

これらの爆弾は湾岸戦争やアフガニスタン戦争で米軍に使用され、その放射能が偏西風に乗って、戦地だけでなく、日本を含む世界中が汚染されてしまい、その結果、自然背景放射の100万倍も汚染されたことは、これまで劣化ウラン問題を調査されている方ならとっくにご存知のことかと思います。


■三井化学大竹工場は劣化ウラン弾の秘密工場だった

以上までは前置きです。この情報源はここから恐ろしい日本の暗部について語り始めます。それは、三井化学大竹工場内に、

 1)アイソトープ爆弾の弾頭工場、
 2)炸裂弾の小弾頭(炸裂弾に詰め込まれている中身)工場

の二種類の工場が存在し、ここで造られた爆弾弾頭は全て、近くにある米軍の岩国基地に供給されているというのです。


図1:三井化学大竹工場と米軍岩国基地の位置関係

しかも、米軍が保有しているの劣化ウラン弾を製造しているのは、グアム島の米軍基地内と、岩国の三井化学大竹工場の二箇所だけであり、アメリカ本土には存在していない。つまり、三井化学大竹工場こそは、劣化ウラン弾の2大生産拠点の1つだったと言うものです。


■岩国基地の地下に眠る核兵器

以上に加えて、岩国基地の地下に保管されている核兵器群についても詳細なレポートが届いています。それを以下に記述します。

 (1)原子爆弾完成品 72本 (2m×50cm)
   ---長崎級の30倍程度の威力
 (2)アイソトープ弾頭 580個 (40cm×40cmの円柱)
 (3)炸裂弾頭 330個 (40cm×30cmの卵形)
   ---弾頭当りの炸裂小弾数150個

この内、(2)(3)の劣化ウラン弾頭については、どちらも三井化学大竹工場内で生産されたものであるとのことです。また、原子爆弾についてはアメリカ本土から輸送されてきた物であるとのことです。


■大竹工場に今も眠る恐怖の放射性物質

非核三原則とは言っても、本ブログでは、123便事件に絡む日本の核兵器生産、自衛隊の核兵器配備の可能性について、これまで何度も言及してきました。ですから、米軍基地内の兵器庫や寄航する軍機・艦船に核兵器が搭載されているなどというのは、むしろ常識であり今更驚くことではありません。当然の話です。

問題となるのは、日本の民間工場が外国軍のためにせっせと(準)核兵器を製造しているという点です。その秘密工場について、情報からその存在位置を推定してみました。海に面しているということなのですが、航空写真からでは三井化学大竹工場内に適当な工場群が見つかりません。情報を文字通り解釈した場合に考えられるのは、三井化学大竹工場の東側に隣接する新日本石油の精製工場内となります。これまでの日航機事件の調査で、隣接し合う民間工場間で、人や資材を融通し合っていると思われるケースを見てきた経験から、三井化学の出張工場が新日石工場内にあっても特におかしいとは思えません。しかしここでは、疑問符付きながら、大竹工場敷地内における秘密工場の推定位置(工場群の北端)と、そこに保存されている放射性廃棄物(ドラム缶)の数量を図2及びキャプションに示します(*1)。


図2:秘密工場の推定位置と放射性廃棄物の貯蔵庫
   (東側海沿いにある新日本石油精製工場の敷地内かもしれない)
   A:炸裂弾工場: 500kg放射性廃棄物缶が約600本 
   B:アイソトープ弾工場: 400kg放射性廃棄物缶が約300本
   C:核廃棄物貯蔵庫: 同様の放射性廃棄物缶が約3700本

放射性廃棄物缶に納められている放射性物質の構成は

 ・サマリウム(Sm)
 ・プロメチウム(Pm)
 ・テクチニウム(Tc)
 --- 以上で6割 ---
 ・ストロンチウム(Sr)
 ・バリウム(Ba)
 ・テルル(Te)
 ・ジルコニウム(Zr)
 ・他(全50種程度)

となります。セシウム(Cs)に関しては3%前後であり、これらの存在比率は福島原発事故によって放出された放射能性核種の比率とほぼ一緒であると言います。サマリウム147の半減期は1.06×10の11乗年(約1000億年)ですから、宇宙の開闢から現在までの時間(約137億年)を以ってしても、放射線量が殆ど変化ないという大変恐ろしい物質です。蛇足ですが、これらが福島の放出核種の中に同割合で含まれているのなら、今現在、自然環境の中でどのように存在しているのでしょうか?環境中セシウムの測定は一応の目安にはなりますが、サマリウムやプロメチウムなど、セシウムよりはるかに放出量が多い危険な核種についての情報があまりに少なすぎます。

*1 放射性廃棄物:山口県などの石灰岩地帯は自然放射線値が高いと言われていたが、本当なのか?これら放射性廃棄物の影響ではないと言えるのか?今回の情報を基に再調査する必要があるだろう。また、政府が進めている放射能汚染瓦礫の全国拡散の真の理由とは、秘密裏に作られたプルトニウム保管庫(参照:「認めたくない福島の憂うべき現状3」)や、全国の放射性物質取り扱い事業所内に存在する不法な核廃棄物の存在を隠蔽するためなのではないだろうか。


■爆発事故は身を挺した内部告発

最後に、4月22日起きた爆発事故について、情報はこう結んでいます。

 「爆発の原因ですが、人為的に引き起こされたもので、会社のある幹部が行った(中略)・・なぜ、自社の工場をわざわざ爆発させたのか、その理由はアメリカ軍と三井化学と電力会社と日本国政府の陰謀を世間に公表したかったからです。」

これまでの情報が事実であるなら、三井化学や東電など電力会社、日米政府・軍が行っている行為は、日本だけでなく地球の存亡に関わる大きな背徳行為です。人の心に少しでも良心が宿っているなら、この事実を見て見ぬ振りはできなかっただろうと容易に想像されます。この勇気ある内部告発者は今どうなったのでしょうか。たいへん気になります。


写真2:三井化学株式会社
    代表取締役社長 田中 稔一氏
    この情報が事実であるならば、同じ日本国民として
    あなたに問い質したいことが幾つもある


 * * *

日時を正確に覚えていませんが、10年位前、私が住んでいた町にある三井化学の工場が火災事故を起こしました。工場に上がる火を見て市の消防車が出動したのですが、同工場は門を閉ざし、消防関係者を一歩も中に入れませんでした。工場内の私設消防隊が対応するということで門前払いをしたのですが、火の手の上がった工場は、結局焼け落ちてしまったようです。

危険な化学物質があれば専門的な消化方法を取らざるをえないことは分ります。しかしそれがいったい何なのか、工場は地元に何も説明をしなかった。その後、「三井化学は何かヤバイものを作っている」という噂が町中に流れたのは言うまでもありません。

今回の情報についても真偽は不明です。しかし、「認めたくない福島の憂うべき現状」でお知らせした内容とその背景は全く変わりありません。原子力発電という大義名分が全くの虚構であり、その実態は、日本国民と世界の人民を欺く世界的な核兵器産業であるという告発です。そして、大竹工場の件が事実であるなら、米軍だけでなく我が日本国も湾岸戦争、イラク戦争、そしてアフガニスタン戦争の間接的加害者であり、劣化ウラン弾によりばら撒かれた放射能の影響により、イラクで急増している癌・白血病や奇形について国際的にも重大な責任を負う立場ということになります(*2)。

もちろん、その告発内容は、本ブログのメインテーマである「JAL123便日航機墜落事件」とも密接に絡みます。核が生み出す巨額の金に酔いしれ、その核で世界規模の殺人行為を繰り返す非道の輩とは、まさに123便と乗客乗員の命と共に秘密を隠そうとしたグループと重なります。これから始まる新シリーズ「見えざる人々と神の鉄槌」は彼らに対する最終宣告でもあります。鉄槌が下るその前に、神の前に跪き許しを乞うことを、私は強く求めます。

*2 劣化ウラン弾によるイラクでの被害状況:下記のURLをご参照ください。
「劣化ウラン弾による被害の実態と人体影響について」
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/UMRC/du_human_effect.htm


写真3:京都、木嶋坐天照国御魂神社の三柱鳥居


ET IUDICABIT GENTES ET ARGUET POPULOS MULTOS ET CONFLABUNT GLADIOS SUOS IN VOMERES ET LANCEAS SUAS IN FALCES NON LEVABIT GENS CONTRA GENTEM GLADIUM NEC EXERCEBUNTUR ULTRA AD PROELIUM
DOMUS IACOB VENITE ET AMBULEMUS IN LUMINE DOMINI
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。
(イザヤ書 第2章4,5節)

管理者 日月土(転載終わり)
___________________

39. 2015年8月07日 09:10:11 : rWn9PLlcps
>>27. 2015年8月07日 00:28:43 : zwB8OCco46
>日米地位協定、原子力協定を捨てれば良い。
>表現を変えるなら、アメリカから「独立」する。
>これで全てが解決するだろう。

そのとおりである。
ただし正確には日米地位協定原子力協定がセットで機能しているのは沖縄県を除いた日本国である。

何故なら沖縄県には原発がない。アメリカのユダヤ人フリーメーソンはそもそもペリー来航の最初から沖縄をハワイのように島全体を軍事要塞化しようと狙っているから健康被害の大きな原発を作らないのである。

太平洋戦争はイギリスバチカンフリーメーソンヒロヒトがユダヤ人フリーメーソンルーズベルトに、226事変でフリーメーソンを日本の国の中枢から一掃しようとした大和魂日本人を原爆(ユダヤ人フリーメーソンオッペンハイマーアインシュタインが開発製造中だった)を落として、アメリカ先住民インディアンのように虐殺鏖殺してくれと頼んだから始まったのだが、フリーメーソン悪魔は悪魔だからもともとただ頼まれたから原爆を落としてやったというほど単純な動機では決して戦争を始めない。必ず莫大な利益を要求する。

悪魔が契約を結んでこの世の栄華をすべて人間に与えたらその見返りは魂を悪魔に売り渡すことが絶対の条件である。フリーメーソンが原爆の見返りにヒロヒトに対して要求したのが、ペリーが日本武士道武士に追い返されて以来の念願の沖縄奪取であった。沖縄は中国侵略の前線基地として地政学的に合衆国に対するキューバの位置にあり、そこに軍事要塞を築けば相対する大国の死命を制することが出来る。

だから沖縄には最初から原発を作る予定は未来永劫無いのである。

これが太平洋戦争開戦と日本が唯一の被爆国となった原爆投下の真実である。

すべてエデンの蛇契約の悪魔一神教戦争偏執狂カルトフリーメーソンの馬鹿のひとつ覚え「偽旗作戦と戦争ショックドクトリン」であることが丸わかりである。

我々日本人すなわちムー大陸遺民先祖伝来大和魂慈悲道徳(忠君孝親=仁義礼智忠信孝悌)忘己利他捨身施菩薩武士道常民庶民大和民族は、人天の師釈尊が教え給うた仏心と仏智を得て成道するよう日々身を修めて努め励んで生きている、この宇宙で最上至高の太陽系第3惑星地球に住む宇宙人なのである。

悪魔=万物の造物主絶対神は、地球最高の日本人林浩司氏が明らかにしたようにレプタリアンエイリアンなのだろうが、宇宙の真理そのものである仏法を宇宙開闢以来奉じる大和民族はすべての邪宗外道を教え導く立場であるから、悪魔の考えは手に取るように判る。

閑話休題、

地位協定原子力協定のワンセット破棄で、>>35のごとく核物質製造工場と化した沖縄を除く日本国はたしかに対米独立できるが,沖縄は軍事占領されたままである。

フリーメーソンが戦争商売を続けるために作った偽旗国連安保理の,日本敵国指定を解除しない限り沖縄は対米独立できない。フリーメーソン悪魔のほうもいちばんのどから手がでるほど欲しい沖縄だから、簡単には返さないで済むよう二重三重の鍵をかけたつもりなのだろう。

まあこれも、今の国連と日米安保条約をそのままほっといて、日本がロシアと中国とそれぞれ相互対等安保条約を結べば,それに倣って世界中の国が日本と二国間安保条約を結んで新しい平和のための安全を保証する「全地球平和国家連合」が自然に成立し,フリーメーソン戦争偏執狂悪魔が作った「偽旗国連」が事実上効力を失うので,国連敵国指定も日米安保条約基地協定も全く無意味無力化できるから,そうなったらさっさと日米安保条約を破棄しても悪魔は何の手出しも出来ないお手上げになります。

一滴の血も流さない、まさに武士道革命明治維新で当代最高の武士西郷隆盛と山岡鉄舟が一対一面談し武士に二言無しで約束した「江戸城無血開城」を達成した,ご先祖様の偉業の後を襲う由緒正しい武士道無血平和革命である「全地球平和国家連合」創設は、世界史に燦然と輝く空前絶後の永久平和憲法「日本国憲法」を作った大和魂忘己利他武士道菩薩大和民族常民ご先祖様幣原喜重郎の遺志をこの世に実現する、この世で至上の親孝行でありできる限りのご恩返しである。われわれ大和魂伝来子孫日本人にしか出来ないことである。

投稿: 通りがけ | 2015年8月 7日 (金) 10時05分

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