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2016年2月21日 (日)

吉備太郎の西大寺会陽考

 会陽(えよう)裸祭りは日本各地にあるらしい。当地の西大寺会陽は高野山真言宗別格本山/西大寺観音院で行われるもので、裸祭りの筆頭に挙げられる伝統を誇っている。「天下の奇祭」、「日本三大奇祭の一つ」としての人気を保持している。その歴史は遠く奈良時代に始まる。昔は午前零時を期してであったが、会陽500周年を迎えた2010(平成22)年から午後10時に変更された。

 会陽とは、修正会結願(しゅしょうえけちがん)行事の地域的名称である。岡山県以外でも香川県善通寺市の善通寺会陽などがある。岡山県には金山寺会陽(岡山市)、安養寺会陽(美作町)、岩倉寺会陽(西粟倉村)など多くの会陽がある。何といっても全国に名を知られているのが西大寺会陽(岡山市)であり、1959(昭和34)年、岡山県により重要無形民俗文化財に指定されている。       

 この西大寺会陽に、恥ずかしながら小生はこの年になるまで出向いたことがない。阿波踊りには5年連続詣で、最後の年に徳島警察署の変な信号に引っ掛かり、交通違反切符切られて以来憑き物が落ちたように無沙汰する身となったが、県外の出し物に興じる割には地元のそれに詣でていなかった。今年、それはオカシイと非常に気にし始めた。

 西大寺会陽に行くことがなかった最大の理由は2月第3土曜日と云う極寒の最中の祭りだからである。当地では、「奈良のお水取り」として知られる東大寺の修二会(しゅにえ)の法要行事と同様に、これを境に「備前平野に春を呼ぶ」と云われている季節メロディーの行事となっている。そういう値打ちもんのものではあるが、寒さが苦手の私は敬遠し続けていた。

 ところが、今年は何となく行きたくなった。それも数年前にできた西川原駅を外からは確認しているものの実際に乗車してなかったので、その駅の初乗車も兼ねて電車で行ってみたいと思った。朝から雨模様だったが、天気予報で夕方には止むと知らされていたので気にならなかった。実際、雨は5時頃に止んだ。午後6時半頃の電車に乗った。車内はほとんど高校生、大学生だった。忘れていた青春を思い出し懐かしかった。半数近くの若者が携帯スマホでラインしているのが微笑ましかった。新しい風俗だなと思った。

 高島、東岡山、大多羅の次が目的地の西大寺駅で約15分ほどで着いた。駅を降りると花火が打ちあがっていた。花火そのものは幾分か間延びしており、たいしたものではなかったが、雰囲気の盛り上げに一役買っていた。同時下車した人がそこそこ居り、その人の流れに添っていくうちに西大寺に着いた。道中、裸衆詰所が灯りを灯しており妖気を漂わせていた。商店街のあちこちに居酒屋が開設されていた。寺院入り口近くの両サイドに夜店が並んでいた。この夜店通りの幅が進む者と来る者が互いに二、三人同士で交わると肩が当るかどうかにしてある。これが何ともいえない味わいがある。

 午後7時頃、境内に入った。既に見物客が多い。報道人も多い。地元消防団、警察官も相当数出張っている。まず本殿に拝をしてからあちこちを見て回った。例年午後3時半頃、「少年はだか祭り」が行われ、地元の小学生男児が宝筒の争奪戦を繰り広げる。未来の頼もしの若衆予備軍である。女性の水垢離も行われ、毎年50名近くがさらしに白襦袢を身につけ、男と同じように垢離取場、本堂、牛玉所殿を巡って祈願する。新しい岡山名物踊りとして評価を増しつつある「うらじゃ」による盛り上げも行われている。それらの余韻が残っている中を散策した。朝からの雨のせいで地面が少しぬかるんでいる。

 暫くすると、「ピッピッ」の笛の音が聞こえて来た。小生ごとながら、この笛の音に弱いんだ。それはともかく、裸衆第一陣とも云うべき数百人の隊列が「ワッショイ」の掛け声と共にやって来た。4人縦列しており先頭が学芸館高校の横断幕を掲げている。それも一直線に本堂に向かうのではない。仁王門方向に向かって突き抜け、暫くすると戻って来て、本堂前に整列し直し、気合いが満ちた頃を見計って本堂の大床(おおゆか)に雪崩れ込む。圧巻である。争奪戦の模擬演習をしているのだろう、両腕を上げ喚声を挙げ本押しする。本堂2階から柄杓水が掛けられるたびに蒸気になる。この往来を二度、三度繰り返す。

 午後8時頃、褌まわし姿に白足袋の男たちが西大寺境内に続々集まり、寺の前を流れている吉井川の水を引いた垢離取場(こりとりば)で水垢離(みずごり)をして身を清める。その後、本堂、千手観音、牛玉所殿(ごおうしょでん)の牛玉所大権現(だいごんげん)の順にお参りする。本堂裏手を抜けて四本柱に至る。四本柱をくぐり抜けたあと本堂建物の前半分の大床で本押し模擬をする。裸衆は垢離取場、本堂、牛玉所殿を3度巡る。本堂の大床で「地練り」(じねり)といって「ワッショイワッショイ」と掛け声をかけながら互いを押し合う。それを見て、清水方(せいすいかた)が頃合いに御福窓の脇窓から柄杓(ひしゃく)で水をまく。

 いよいよ大人の連隊がやって来た。先頭に横断幕を掲げ、どこの連か分かるようにしている。思い出すままに記すとNTT、岡山トヨペット、武蔵倶楽部、旭電業、岡山土地倉庫、三井住友等々だったと思う。これらは連の名ではなくスポンサー名かも知れない。各連隊が五月雨式に境内を練り回る。これも「地練り」と云うのだと思う。その後、高校生の演技同様に本堂前に整列し、気合いが満ちた頃を見計って本堂に雪崩れ込む。「ワッショイ」、「ドスコイ」、「ワッショイ、ドスコイ」、「ワッショイ、ワッショイ、ドスコイ」の様々な掛け声が連によってあるようである。

 本堂の大床に向かう道中、両翼に人垣ができており、若い娘が、通り過ぎる裸若衆と握手したり肩を叩いてエールを贈っている。これが何と云うのか妙に自然体でやり取りしている。ここに陣取る若い娘たちはこれをやる為に毎年来ているのだろうと思うほど嬉しげ楽しげである。雰囲気が盛り上がる。

 最近は外人部隊の連もあるようで総勢50名ぐらいになっていたのだろうか。これまた楽しそうに参加している。殆どが白人なのだが黒人が一人居た。カメラマンに人気があるようで、外人部隊の連に付きっ切りでフラッシュを焚き続けていた。予感として、外人部隊の連は今後相当に増えて行くのではなかろうか。まさに阿波踊りの心境で「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン」の精神が受け継がれて行くのではなかろうか。

 ちなみに、この黒人は、テレビ東京系で放送中の人気バラエティー番組「YOUは何しに日本へ?」のナレーションを担当しているタレントのボビー・オロゴンさん(42歳)だった。同番組収録のため西大寺会陽に初挑戦し会場の熱気を体当たりでリポートしたことになる。ボビーさんは「宝木(しんぎ)獲得に燃える男たちの姿に感動した。祭りの神聖な空気感を多くの人に伝えたい」と話したとのことである。

 この雰囲気を更に盛り上げる為、俄かに太鼓隊が登場する。紺地服の男衆5名、紅地服の女衆5名が躍り出て来て、太鼓リズムを奏で始める。女衆ドラマーが裸衆に接近してマンツーマンで太鼓を叩くと踊り始める若衆も出る。
頃合を見て大太鼓が入る。大太鼓のバチ音と小太鼓のバチ音が絡んで最高潮になる。この太鼓のリズムの流れる間、「地練り」が続いている。

 小生には何やら縄文時代の祭りの光景、例えばアイヌの「イヨマンテの夜」に繋がる情景が垣間見えた。会陽は縄文時代との今に続くDNAの連綿を証しているのではなかろうか。ちなみに太鼓につき次のように解説されている。「祭りの開始を告げる会陽太鼓の打ち手は全て女性である。心の炎を燃やして男たちを鼓舞する炎祷と龍神の2曲を交互に演奏。これから始まる男たちの裸祭りに祈りを捧げる」。

 同時に気づかされた。これはどこかで見聞きした風景に似ている。ズバリ云おう。そうだ、これは全共闘系学生運動のデモの光景である。ヘルメット覆面がフンドシに代わっただけに過ぎない。裸衆の一連隊はセクトのそれになぞらえられる。学生運動をそういう風に捉えたことはなかったが、案外これが深層の真相だったのかも知れない。ピッピッの笛、それに合わせて「ワッショイ」、「ドスコイ」の掛け声で前進し、最後に本堂へ駆け上る姿は、むしろソックリではなかろうか。してみれば、あのデモは当人たちが気づかなかっただけで、会陽裸祭りの乗りと同じで実は縄文人のエネルギーを発散していたのではなかろうか。

 くどいけども書き足しておく。学生運動が逼塞して久しい。もはや壊滅されきっており往年の活力までの復元は望むべくもない。今となってはそれを回顧することしかできない。その際の頂点のシーンとして東大安田砦攻防戦が挙げられる。しかしそれは滅びの美学のそれでしかない。本当に追憶すべきは全共闘集会のシーンの方ではなかろうか。こちらは上げ潮期のそれである。

 1968年11.22日の日大・東大闘争勝利全国総決起集会の光景が次のように描写されている。「午後2時頃から安田講堂前に集結し、銀杏並木と正門前が約2万名の学生でうずめられた。安田講堂前の広場は赤、白、青、緑、黒、銀色のヘルメットで埋めつくされ、その周囲に報道、一般学生が隙間なく立ち並んでいた。講堂正門には各派と各大学の旗が立ち並び、それを背景に各派のマイクアジテーションが続いた」。この全共闘が1969年9.5日、学生約3万4000名が結集した全国全共闘会議結成へと続く。さぞかし圧巻だったであろう。

 もとへ。裸衆の各連隊は何度となく境内を「地練り」し、仁王門と4本柱ゲートを少なくとも3回以上出入りを繰り返す。そうこうしているうちに定刻が近づく。辺りは静けさを装い始める。10時1分前、堂内の明かりが消される。いよいよ宝木が投下される寸前、裸衆の興奮は最高潮に達し、地響きのようなドゥオーの雄たけびが響きわたる。「裸たちのどよめきの声は、古の江戸時代、遠く四国の香川県まで届いた」と伝えられている。午後10時。真っ暗闇に消灯された堂内に雷鳴のようなフラッシュが点滅点灯する。僧侶たちが高さ約4mの本堂の御福窓(ごふくまど)から、まず小ぶりな枝宝木(えだしんぎ)を100組投げる。これは宝木の功徳のお裾分けの意味あいがある。

 最後に院主が、手にすると福を授かると云われる木の棒を束ねた守護札の宝木を2本投下する。同時に明かりがつき千人余の裸衆が奪い合う。裸衆は万歳のように両手を上げるのが鉄則で、手を下げていたら周囲からの圧力で下に押されていき踏みつぶされてしまう。大量の水が撒かれるが一瞬で湯気に変えてしまうほどの熱気に包まれる

 本物の宝木は修正会の2週間、高価なお香が焚きしめられているので非常に良い香りがする。但し、裸衆たちにはどれが枝宝木でどれが本物の宝木なのか分からない。運よく宝木を手にすることができたら、まわしの中に入れて走り逃げる。仁王門を出るまでは奪ってもいいというルールになっており、その阻止線を必死で搔い潜ることになる。宝木を手にすることができるかどうかは運次第で容易なことではない。「宝木は奪うものではなく授かるもの。信仰心を持ち精進していれば福は自然とやってくるのだ」と云われている。

 宝木取り争奪戦は例年凡そ25分近く続く。あちこちに渦ができる。その渦が次第に仁王門へと向かって行く。渦の下では熾烈な宝木取りが行われている。柵の外に待機している消防士が渦に水をかけるが直ぐに蒸気となる。「宝木が抜けたもよう」というアナウンスがあるまでもみ合いが続く。2本目の宝木が何時抜けたのか分からず、アナウンスが1回だけで終わったりアナウンスがないときもある。宝木がもはや境内にないことが分かると、揉み合っていた群衆が次第にテンションを下げ始め裸祭りが終了する。「俄然筆舌に尽くし難い争奪戦が展開され、境内を西に東に裸の渦となってもみ合う様は勇壮無比である。その御福(ごふく)にあやかろうと3万人の参拝者が境内を埋め尽くす」と記されている。

 参加者の中には正月から精進潔斎し、宝木投下に臨む熱心な者が大勢いる。阿波踊り同様にこれがやりたくて一年を生きている者が居る。わざわざ遠方より帰ってくる者も居る。県外の者も居る。県外の裸祭りに出向く者も居る。そういう連中がチームを作り、宝木獲得の練習に精を出し、作戦を綿密に立てグループ参加している。主なグループは「林グループ」(林昭二郎代表、約40人)、寺坂グループ、梶原グループ、阪田グループ、庄司グループらで100近くあると云う。

 クライマックスの宝木の争奪戦を最終的に制し宝木を手にした者を取り主(拾い主)と云う。境内を抜けた取り主は速やかに寺の近くの岡山商工会議所西大寺支所内に設けられた宝木仮受所に持って行く。宝木は白米を盛った一升枡(ます)に突き立てられる。直ちに寺に連絡され、検分役の僧侶が宝木削り(宝木の原木から宝木を削る行事)のときに切り放した元木と一升桝の宝木の木理(もくり、木目のこと)が合致するかどうかを判定する。

 鑑定により本物と認められれば取り主は晴れて福男に認定され、宝木の協賛者にあたる祝主(いわいぬし)が用意した祝い込みの場所まで持って行く。近年、祝い主は会陽奉賛会により事前に決められている。寺から赴いた山主が朱塗りの丸形の厨子に納め、祈願して祝い主に渡す。かくして宝木は祝い主のものとなる。祝主は「御福頂戴」(ごふくちょうだい)と書かれた45cm×120cmの白い額行燈(がくあんどん、横長の額の形に似た行灯)を掲げて披露する。福男には表彰状が授与される。福男にはその年の幸福が霊的に約束されている。宝木は1年で御利益がなくなる訳ではないが、祝い主は毎年会陽の始まる前に宝木を寺に持ち込んで祈祷を受け、新たな気持ちで年を迎えると云う。

 以上が私の西大寺会陽見聞録である。充分堪能させてもらって帰路についた。来て見て、宝木取りの瞬間だけが素晴らしいのではない、そこに向かうクライマックスまでの舞台がすばらしいことが分かった。さすがに伝統の産のものだけはある。自分まで福をもらった気持がする。来年も来たいと思った。飲んで帰ろうかと思ったが、一人では何分寂しく過半の流れに従い駅に向かって歩き始めた。

 その道中で、裸衆の道路渡りに出くわした。裸衆が仁王門から潮を引くように引き揚げている。道路は車両止めの歩行者天国になっており次から次へと道路を渡っている。それを両翼で人垣が囲み、特に女性軍がエールを送っている。夫か彼か友達かなのだろう親しく語り合っている者も居る。裸衆は誰も戦いの後の余韻に浸って頬が紅潮し肌が美しく光っている。男の裸がかくも美しいことを問わず語りで晒している。すばらしい男気の香りを発散させている。これに出会いたくて老若男女が会陽に寄るのだろう。

 裸衆たちは近くの簡易テントやそれぞれのグループ控え所に戻って、着替えを済ませて帰っていく。午前零時15分頃になると境内の裸の数は徐々に減り、やがて静寂な観音院の姿に戻っていくと云う。私は臨時列車に乗り岡山駅前まで戻り行きつけの日本酒バーに行って、今見てきたことを語り合った。幸せな一日だった。

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