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2016年10月29日 (土)

れんだいこの「五箇条の御誓文」考

 れんだいこの久しぶりのブログ「土人、シナ人発言問題」の書き込み途中で気になった「五箇条の御誓文」につき言及しておく。日本国体の近現代史的霊言が「五箇条の御誓文」であり、日本人自らの手になるオリジナルアイデンティティー短文憲法として位置づけられると思う。

 ちなみに、我が史観によれば、明治憲法には国際ユダ邪の右派系の色が認められ、戦後憲法には国際ユダ邪の左派系の色が認められる。但し、戦後憲法には縄文日本的叡智も相当に含意されているので、その限りでの評価を惜しむものではない。本来、我々が依拠すべきはものは我が国固有の知性で宣言された「大祓いののりと」、「聖徳太子の17条憲法」、「豊臣-徳川政権のバテレン追放令、鎖国令」、そしてこの「五箇条の御誓文」であろう。

日本史は歴史上の最重大な節目にまことに的確な歴史言葉を生み出し、これを伝えて行く知恵がある。こちらの方を習えばよほど有益で、それから次にあれ、次にそれと云うようにして行くのが望ましいのだが、実際にはこういう大事なものを学ばず、やっちもないものばかり習うので、学問すればするほど小難しく云う癖だけ覚え実際には役立たない偏屈行き止まり人間が増産されている。これが意図的故意に仕掛けられているので心せよ。こう説くのがれんだいこ史観である。さて本題に入る。

  1868(慶応4、明治元)年、3.14日、新政府は政治方針として「五箇条の御誓文」を公布した。明治天皇が、天神地祇御誓祭を催し、京都御所紫宸殿に公卿、諸侯以下百官を集め、天地の神々に誓うという形式で維新の基本方針を明らかにした。内容は次の通りである。
   

 一ッ、広く会議を興し、万機公論に決すべし 

 一ッ、上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし 

 一ッ、官武一途庶民に至るまで各その志を遂げ、

          人心をして倦まざらしめんことを要す  

 一ッ、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし  

 一ッ、知識を世界に求め、大いに皇紀を振起すべし

   我が国未曾有の変革を為さんとし、朕身を以って衆に先んじ、天地神明に誓い、大いにこの国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆またこの趣旨に基づき協心努力せよ

 実際の朗読は三條実美が行い、神前に向かって奉読した。三条実美が御誓文を読み上げる光景を日本画家の乾南陽が描き、昭和3年に旧土佐藩主の山内家が明治神宮に奉納している。これが明治神宮外苑聖徳記念絵画館で展示されている。その内容を確認しておく。

  御誓文1「広く会議を興し、万機公論に決すべし」。前段の「広く会議を興し」が議会、国会設置に繋がっていると拝察したい。後段で「万機公論に決すべし」とある。要するに正々堂々と議論せよと云うことであろう。これに照らせば、議会での「おざなりのダベリング」、「常習的強行採決」は御誓文違背の嘆かわしい事態であり空洞化であろう。

 ところで折柄のTPPを見よ。審議そのものが秘密交渉、文書は黒塗り尽くめである。おまけに交渉内容を漏洩したる者が罰せられる仕掛けになっている。果たして、このような審議、法案が認められるべきだろうか。これを牛耳るのが世界を跨ぐ国際ユダ邪である。この連中のやることはかような卑怯姑息陰謀マルチ舌の悪事ばかりである。さようなものは資格からして端から無効と宣言したい。よりによって、このTPP推進派が原発派でもある。この連中は国際ユダ邪の対日教書の政策請負に専念し、その売国見返りに己の立身出世利権を得て偉ぶる連中である。早晩歴史処罰されるべきだろう。

  御誓文2「上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし」。前段の「上下心を一にして」とは即ち上に立つ者も下に立つ者も公ごとに対しては相協力することを云う。この公意識の高さは世界史上珍しいほどのものであり称賛されこそすれ卑下されるものではなかろう。後段の「さかんに経綸を行うべし」の「経綸」とは「生活意欲及び経済活動」を指しており、これを活発にせよとの意味になる。言わずもがなであるが上下の経綸であって、上の者が地位と権限を利用して私腹を肥やして良いことを意味しない。

  御誓文3「官武一途庶民に至るまで各その志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す」。これもズバリであろう。前段の意味から、「官武一途庶民に至るまで」各自が夢と志が持てる社会であることを要請している。これは、角栄政治の頃までの1970年代には確かにあった夢であり志であり社会であった。後段の「人心をして倦まざらしめん」とは政治の信問題であり、人民がうんざりするような政治を堅く戒めていると拝すべきであろう。

  御誓文4「旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし」。ここはやや問題のある内容である。前段の「旧来の陋習を破り」の「旧来の陋習」が何を指しているのか。後段の「天地の公道に基づくべし」も然りで、何をもって「天地の公道」としているのか定かではない。御誓文発布前の国体状況は、文明開化の名の下で国際ユダ邪狡知学が導入される折柄であった。これに転換せよとの意味に取れる。ところが、当時は仮にそう思えたにせよ、今日に於いては国際ユダ邪学のデタラメぶり、破綻が明白である。故に、御誓文4は言葉通りに「天地の公道に基づくべし」を核として拝し直しするべきであろう。

   御誓文5「知識を世界に求め、大いに皇紀を振起すべし」。ここも少々議論を呼ぶ。前段の「知識を世界に求め」は、この文言で国際ユダ邪学に誘導しようとしている。後段の「大いに皇紀を振起すべし」は、天皇制の鼓舞である。ここでの問題は、結果的に本来の天皇制の鼓舞ではなく、国際ユダ邪が利用し易いような方向への天皇制の鼓舞となったところにある。本来の天皇制は、善政志向の、日本神道精神に導かれて言霊的祈り、念の力をも取り入れる独特の日本式国体政治手法として評価されるべきものである。戦後憲法では象徴天皇制、文化概念天皇制的に規定されたが、これは本来の天皇制に近いものである。但し、天皇の国事行為をもう少し狭めることが必要だろう。

  一言しておけば、文明開化路線に乗って導入されたマルクス主義は、日本式天皇制を西欧的な君主制と同視し、その打倒意志を強めれば強めるほど正義的革命的として来た。それは誤りと認めるべきではなかろうか。明治天皇、昭和天皇の好戦政策は、国際ユダ邪に手玉に取られて乗せられたものであって、日本天皇制史上の汚点と見なすべきで天皇制固有のものではない。かく了解すべきだろう。この謂いが不満なら検証すればよかろう。論争しても良い。

  以上、ざっと「五箇条の御誓文」を確認したが、これが、鎖国から開国への大転換を計った際に、日本国体が統治者に対し言い聞かせ約束させたものである。幕末維新時の国体頭脳は、世界史的潮流からして国際ユダ邪との接触交流が免れないことを覚悟し、日本国体に対し、これだけはどうしても守らせたいとして煮詰めた文言を創出した。それが簡にして要を得た「五箇条の御誓文」である。かく拝する必要があろう。その違背は許されないとすべきだろう。

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