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2016年11月

2016年11月25日 (金)

神仏参り、信仰、祈念の効能考その3、キリスト教解禁と山伏修験道弾圧の相関考

 知られていないが、明治政府は山伏修験道を徹底的に弾圧している。なぜここまで叩いたのか、その理由、事情を考察せねばならないのではないのか。政治運動で事足り派には理解不能であろうが、精神界の抗争も実は立派な政治運動である。と云うか、最も根源的な政治運動と云うべきかも知れない。これも、れんだいこ史観の一つである。と云う観点から、明治政府の山伏修験道弾圧事情を解析しておく。

 山伏修験道弾圧事情に、明治新政府に忍び寄った国際ユダ邪の陰を見て取ることができる。この頃既に然り、その後はなおのこと、日本政治が国際ユダ邪に操られている線が窺われる。巧妙に隠されているが、それは彼らの統治手法としてのスティルス(stealth)術によるものである。明治維新政府が目指した中央集権的国家、その日本型統治形態としての天皇制祭政一致国家化は実は近代化でもなんでもなく、日本の歴史的伝統的政体を国際ユダ邪式植民地化に都合の良い政体に変質せしめたものだったのではないのか。これに合わせて形成された近代天皇制国家神道も然りで、表見は幕末の国学や尊王思想の流れで生み出されたもののように見えるが、その実は国際ユダ邪の好む政策物でしかなく、国学や尊王思想の流れを逆手取りして生み出した狡知術によるものではないのか。

 山伏修験道排撃はこの流れから発生しているのではなかろうか。山伏修験道は日本独特の神道と仏教の混淆宗教であり、これが在家的であるが故に下々一般大衆にまで奥深く食い込んで日本精神を形成させていることからして、これの手強さを認識し、これを排撃せずんば国際ユダ邪式植民地化が首尾よく進展しないことを思想的に熟知しての山伏修験道排撃ではなかったか。してみれば、国際ユダ邪の正面の思想政策が近代天皇制国家神道の創出であり、裏のそれが山伏修験道排撃であったと、こう構図すべきではなかろうか。近代天皇制国家神道と山伏修験道排撃とはかように裏合わせの関係になっているのではなかろうか。

 これを確認するのに、1868(慶応4)年3月の太政官布告(通称「神仏分離令」、「神仏判然令」)。1870(明治3)年1月、詔書「大教宣布」。この頃、仏教施設の破壊運動、即ち廃仏毀釈運動が全国的に組織されている。廃仏毀釈による主な廃寺は、平等寺(大神神社別当寺)、大御輪寺(大神神社神宮寺)、内山永久寺(石上神宮別当寺)、白雲寺(京都愛宕神社神宮寺)、中禅寺(筑波山神社関連寺院)、福昌寺 (鹿児島市) (薩摩藩島津氏の菩提寺)等々。

 廃仏毀釈により破却された神塔は、與杼(よど)神社宝塔、上野東照宮本地塔、秋葉権現多宝塔、久能山東照宮五重塔、紀州東照宮三重塔、北野天満宮多宝塔、石清水八幡宮大塔、鶴岡八幡宮大塔、江島三重塔、諏訪大社五重塔(上社)、三重塔(下社)、吉備津神社三重塔、日御碕神社三重塔、多宝塔、足助八幡宮多宝塔、石清尾八幡宮多宝塔、金比羅大権現多宝塔、室明神社多宝塔、天野神社多宝塔、平野熊野神社多宝塔等々。歴史的名声のあるパワースポットが集中的に狙われていることが分かる。

 1872(明治5)年1月、梓、巫女、市子、憑き、祈祷、狐下げ等の所業禁止。同年2月、太政官布達第58号「神官給禄定額ヲ定ム」で官社以下の神官の給録を制定する。これらは修験道狩りの前座となる。9.15日、太政官布達第273号で「山伏の道、修験道は今後いっさい廃止する」修験道廃止令が発布された。これにより、本山派修験、羽黒修験は天台宗に、当山派修験は真言宗に所属するものとされた。「修験道廃止令」以降、公には山伏は存在しなくなり、真言宗、天台宗のいずれかに属するか、神官となるか、帰農するしかなくなった。

 さらに追い打ちをかけるように明治政府は、山伏の収入源であった行為を禁止する命令を相次いで出している。これにより、修験道は一宗としての活動が禁止された。明治政府は、このように山伏修験道を弾圧した。これにより凡そ17万人とも18万人とも云われる山伏たちは帰俗を促され、あるいは天台、真言の僧侶、神職に転ずることを余儀なくされた。修験道につき、より詳しくは「別章【<A href="http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kodaishi/kodaishico/nihonshindoco/yamabushisyugendoco/yamabushisyugendoco.htm" target="_top"><B>山伏修験道考</B></A>】」で確認する。

 他方でこの年、プロテスタント史上、最初の受洗者12名が洗礼を受けている。翌1973(明治6)年、「切支丹邪宗門禁制高札」が撤去され、横浜公会を母体とした「日本基督公会」が発足している。これより日本キリスト教の公式合法布教が始まっている。

 思えば、大政奉還後に成立した明治新政府による「国粋主義による神道擁護&仏教排撃」なる通説は虚説であり、真の狙いは山伏修験道をターゲットにして引き起こされた騒動だった感がある。それは、戦国期に侵入したキリスト教イエズス会の宣教師バテレン活動によるキリシタン大名を唆(そそのか)しての神社、寺院の焼き討ち史と重なっている。戦国期の神社、寺院の焼き討ちが明治初期にも起り、これが「廃仏毀釈運動」の正体であったと解するべきではなかろうか。なぜなら、幕末の国学や尊王思想の線から仮に近代天皇制国家神道が生まれたとした場合に、神仏分離令までは出しても、寺院や仏像等の破壊焼却までは起り得ないからである。「廃仏毀釈運動」はそれとは別の奥の院指令と窺うべきではなかろうか。なぜなら、本来の日本神道は、自然現象を敬い、その摂理から学ぶ八百万の神を見出す多神教であり、神仏共生で一向に構わない共存性を特質とするからである。排他的暴力は、それをやらせた司令塔が別に居たと考えるべきではなかろうか。

 近代天皇制国家神道は、現天皇を現人神として崇拝し、天皇による祭/政/軍を一体化した国家体制を精神的に鼓吹したが、その理論構図が奇しくも国家による一神教化となっている。こういう一神教化は八百万の神々の共存共生を前提としている日本神道、日本精神と合致していない。近代中央集権国家も近代天皇制国家神道も外来物でしかない。正しくは、国際ユダ邪好み中央集権国家、国際ユダ邪好みの近代天皇制国家神道と見なすべきだろう。

 こう捉えないような学問や政論ばかりが流され、わざわさにスコラ的に難渋にされ、その一知半解をそのままに受け入れ御用聞きする者をして人材登用される道筋が拵えられている。そうであるが故に、それによって出てくるのはいつも決まって「粗脳故のお粗末権力者」ばかりである。この「粗脳故のお粗末権力者」は偶然に生み出されているのではなく、敢えて言えばこういう仕掛けにより養殖増産されているのではなかろうか。

 日本の社会は、上に立つ者をして、そういう「粗脳故のお粗末権力者」を据えながら、下々が何とかやりくりして来た歴史である。三百年に一回ほど、「有能故の善政権力者」が登場する。この異能鬼才者の登場があるからこそ今日の日本にまで辿り着いている訳であるが、こたびの日本列島原発屋敷化、その生体実験国家化は、永久に「有能故の善政権力者」の登場を塞ぐことになるかもしれない。それ故に、今なら辛うじて間に合うかもしれない期待で、脱原発派にしてゼツなる「有能故の善政権力者」を請う訳である。

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2016年11月17日 (木)

神仏参り、信仰、祈念の効能考その2、日本のお参り好きは誇るべきこと

 ところで、日本にはこういう参り場所の密度が世界一高い、つまり神社寺院数が世界一多いのではないかと思われる。他でかくも多い国があれば自ずと知れるであろうが、私が知らないということは、他にはないからだと思われる。しかも、明治維新政府の宗教政策でかなり権力的乱暴に整理され廃社廃寺されてなおそうなのである。これを確認するのに、キリスト教の解禁との絡みで捉えればなお能く見えてくる。即ち、キリスト教については禁教から開教に展開していく。これに反して、国内の神道、仏教、幕末創始宗教に対しては統制色を強めている。1871(明治4)年の全国神社の5段階格付けによる整理統合、1906(明治39)年の内務省神社局による「神社合祀令」により、神社数は19万社から12万社に激減、7万社が取り壊されている。その昔は村ごと町ごとに複数の神社があって、その土地土地を守護していたのであろうが、原則一村一町一社に向けて淘汰整理されていったようである。

 それがどうしたという者も居るだろうが、れんだいこは、これほど神社寺院が多いことは日本の誉れ、誇りであると思っている。日本神道の産土(うぶすな)信仰のお陰だと思っている。諸外国にもあるにはあるだろう。キリスト教は教会、ユダヤ教はシナゴーグ、イスラム教はモスク、中国の儒教では廟と云う、そういうものが無数にあるだろう。それは、人と云うものは、こういう参り場所を持たずには生きられない脳構造していると云うことではなかろうかと解している。その数に於いて秀でて日本に多いということは、それだけ精神文明が発達しているということではあるまいかと思っている。

 その昔、日本にキリスト教と云う名のユダ邪教式キリスト教が伝播してきたことがある。時は、日本史上の戦国時代であるが、戦国大名は、新しい神観もさることながら、鉄砲と火薬を求めて争って帰依した。ところが、一定の信徒を形成したキリスト教がやったことは、日本在来の神社仏閣の破壊であった。これが我が国におけるいわゆる淫祠邪教(いんしじゃきょう)、野蛮宗教視の始まりである。この時、彼らは、本籍ユダ邪教を丸出しにして、選民主義の教えに則り邪教撃つべしとして焼き討ちし始めた。日本在来の神社寺院は堪え、相手が何者かを見定めた後、排撃して行った。

 これは理の当然であろう。なぜなら、日本の宗教の作法は共存共生型であるからである。日蓮式の唯我独尊程度ならまだしも許容できようが、自派のみ正しく敵対党派は全て殲滅すると云う思想とは共に天を戴くことができなかった。そういう思想的な根本的対立事情もあって、その後鎖国へと導かれることになった。これにより世界史の潮流から遅れることにもなったが、日本が独立自存し得た功績も多かろう。

 世界史を見よ。近代に入って、世界は、西欧列強の植民地支配の波に襲われた。まずアフリカが侵略され、インド、東南アジア全域が支配下に組み込まれた。その波が北米、南米に及び、オーストラリア諸島にまで及んだ。この間並行的に極東アジアが狙われ、清国、台湾、沖縄、朝鮮が籠絡された。そして最後が日本になる。この時点で地球上に残っていた独立王国はハワイと日本のみであった。そのハワイがやられ、最後が日本となった。ハワイ王のカラカウア王が秘密裏に日本に助けを求めてきた時、その秘密外交は国際ユダ邪に筒抜けにされていた。既に日本政府はその程度に籠絡されていた訳である。哀れなのはハワイ王でその後、薬物中毒にされ廃人にされた。これが世界の近現代史の流れである。

 それはともかく、日本は直接植民地にされることなく何とか持ちこたえた。これは何故にそうなのか。れんだいこは、武力の強さによって自衛できたのではないと思っている。日本が営々と歴史的に積み上げ継承してきた日本的思想、宗教の秀逸さによってではなかろうかと思っている。ならば、日本的思想、宗教とはどういうものか。それが面白い。何と、日本的思想、宗教には文字化された教本、例えば聖書(バイブル)のようなものがない。あるのは祝詞、他には所作、作法、様式があるばかりで、日本人個々が悟り体得する式のものとなっている。これが逆に凄いと云うことになる。なぜなら、姿かたちが見えないので、そういうものを壊しようがないからである。日本的思想、宗教は、文字式思弁を超えており、それ故に時空を超えて生き続ける高次なものである。常識的には逆であるが、この場合には逆も又真なりと云えるのではあるまいか。

 そういう秘密の思想的宗教的思惟もしくは感情の豊潤さこそ日本の宝であり、神社寺院がこれを護持生育せしめてきているのではあるまいか。神社寺院には、ああろしろこうしろいうものがない。されど、不文の文が生きており、参詣者を感応せしめる神聖さを保持している。且つこの神聖域は日本列島の隅々に配置されており、我々が容易に参拝できるようになっている。それは氏宮氏子の関係から始まる。個人的家族的な七五三、元服、結婚式、その他その他。共同体的な年々参り、年々祭り。この仕組みはかなり高度にして文明的なのではなかろうか。かく窺うべきではなかろうか。

 その日本的思想的宗教的思惟が21世紀を迎えて俄然注目されつつある。それは、西欧に発する産業革命以降の工業化が自然を支配する思想に導かれて地球環境を破壊してきており、遂には原子核爆発科学に行き着き、これより地球の生態系そのものを危うくすることになったからである。つまり科学の発展を御せないところまで定向進化させて混迷を深めつつある。この局面から過去を振り返ったとき、自然との共生を図りながら産業を維持して来た日本思想、日本宗教としての神道的思惟様式が見直されることになる。これを述べれば紙数を増すばかりなので控えることにするが、今後はむしろ高度に発達していると考えられる日本思想的宗教的思惟様式を主潮流とすることによって世界秩序が再編されねばならず、それによってのみ地球が救われるのではなかろうか。

 神社寺院巡りは、そういう課題をも内包しているように思われる。してみれば、神社寺院で世界平和を祈念するのは至極似合う話だと云うことになる。神社寺院巡りを軽視する風潮があるとすれば、その者たちこそ軽薄の誹(そし)りを免れまい。戦後民主主義教育はこの面で軽薄であった。神社寺院巡りを軽視する風潮を意図的故意に助長してきた。そういう意味で、戦後民主主義擁護論には片手落ちの感がある。国際ユダ邪配下のウヨどもによる日教組批判には同調しないが、このことを日教組自身が内部から理論切開し、日本古来の固有の文化伝統を正しく評価しつつ国際対応化する理論を生み出さねばならないと思う。そういう見直しの機運が起こることを願うものである。そういうことを考える次第である。

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2016年11月10日 (木)

神仏参り、信仰、祈念の効能考その1、人はなぜお参りするのか

 れんだいこは、このところ忙(せわ)しく神社仏閣参りする。その意味で初詣は欠かさない。今日も、このところ三年間立て続けの奈良県桜井市の大神神社へ詣でて来た。その道中で、車を運転しながら考えた。なぜ人は神社仏閣参りするのか、その効能をどのように了解すべきなのかと。こう設問しながら運転し続けるうちに或る考案を得た。つまり、こういう理由によってではないかと。以下、それを公表して評を仰ぐことにする。

 神社仏閣参りは、ご利益(りやく)お陰(かげ)思想に基づくものである。これにつき、参らない者はともかくとして、参る者には異論はあるまい。問題は、「ご利益お陰を頂く」のはどういう理由によってか、その理論と構造を明らかにせねばならないことにある。ありていには、詣でるところの客体の神仏そのものがご利益お陰の御本尊であり、これを詣でることにより御本尊の徳のお裾分けを頂くことができると考えられているのではあるまいか。故に効能あらたかな神社仏閣を見聞しては足繁くお参りすることになる。

 しかしながら、れんだいこは違う観点を持っている。結果的にはそうは変わらないのであるが、信仰、祈念のあり方の理論と構造が違う。どこがどう違うのかと云うと、効能あらたかな神社仏閣参りするのは良いとして、ご利益お陰を受けるのは、そこに信仰祈念する主体としてのこちら側の参り方によってではなかろうかと思っている。つまり、客体の問題ではなく主体の問題ではなかろうかと考えている。あるいは客体50%、主体50%のお陰で丁度上手く釣りあっているとすべきではなかろうか。

 では、主体としての参り方とはどういうものか、何故にご利益お陰を頂けるのか。これを説き明かしておく。神社仏閣参りには「願掛け」がつきものであろう。これには誰しも異存あるまい。この「願掛け」にこそご利益お陰の秘密があると考える。というのは、人は、「願掛け」によって脳内の集中力と整理力を高める。次に、これを強く祈願することによって脳に焼きつけ「念」を生む。お百度参りはその最たるものである。そうすると、脳は、焼きつけられた映像の具現化に向けて自動作動し始める。脳生理はそういう風に仕組まれている。それは丁度、負傷によって傷ができると自然に傷口を塞ぎ始める皮膚生理と同じである。これを仮に「願掛け念力論」と命名しておく。願掛けも念力も大事とするこの理を知ることが大事である。

 この生理現象を持つのが良いのか、持たざるのが良いのか。れんだいこは、「良い願掛け」なら持つべきであると考える。「悪い願掛け」は「人を呪わば穴二つ」の教えにあるように、追って我が身にも害を及ぼすから避けるのが良い。これに対して、「良い願掛け」ならばフェアな精神による限り特段に人を傷つけず「夢が実現する」訳だから為すべきである。人の向上心とか克己心、励行力は全て「良い思いの願掛け」から始まる。この思い即ち信念は強い方が良い。よって信念を持たないなどは論外である。これは自明なことではなかろうか。これが、「お参りの効能の理」の真相なのではあるまいか。

 こう述べても、お参りに行かない人も居るだろう。そういう人に次のことを説いて聞かせよう。強い思い、信念、願掛けなら、特段に神社仏閣参りしなくても、どこでもできるのではなかろうかと云う問いが残る。これに対して、れんだいこは然りと答える。そう、できる。そういう意味で、縄文のはるか昔の御代より一家のうちにのんのんさま、稲荷様、こうじん様、後に仏様をしつらえて、朝夕に供え物をして拝をしてきている習慣がある訳である。これは理に適っている。墓参りもある。何気ない儀礼でしかないように思われているだろうが、実際には相当のお陰を頂いていると考える。

 ならば、格別に神社仏閣参りすることにはどういう効能の理があるのか。これを思案してみたい。答えは、物事にはおあつらえの舞台があった方がより効果が高まることを知れば良い。神社仏閣は「願掛け」の効果を増す為に、その舞台装置を専門的に考究し尽くしたプロの匠の技によって設営されている。これを利用させて貰わぬ手はなかろう。もし、この意義を否定するのなら、凡そ世の中の演出(だしもの)や照明等々の舞台効果をも否定せねばなるまい。人は、そういうものによって更に効果が高まり感応するという共振性を持つ生き物である。故に、何事にも工夫が凝らされている。これを無下に否定してはなるまい。

 ここでは神社を例に挙げるが、その舞台効果を考えて見よ。まず、前座として参道がある。次に鳥居がある。次に本参道がある。参道には小石が敷き詰められていたり、清浄に整地されているのが通例だ。その両側には木々が茂っている。杉の木の木立が並ぶ例が多い。入り口にさしかかると両側に口が開いている獅子と口が閉じている狛犬が配置されている。阿吽の呼吸の「ア」と「ン」を象っていると云われる。これをくぐって本殿に近づくと手洗い場がある。龍の口と竹の筒から浄水が流されており、ここで手を洗い口をそそぐ。そして本殿に参る。大広場があり清澄な空気が漲(みなぎ)っている。樹齢ン百年、千年の木が立っている。大きな岩石、奇石がある場合もある。本殿正面には注連縄(しめなわ)が横に張られている。賽銭箱が用意されており、任意のお供えをする。大きな鈴が中空に据えられており、綱が垂れている。これを二度三度揺すって礼拝をして柏手を打つ。ここで祈念を凝らす。

 これが終わるとおみくじ売場へ向かう。お札、その他諸々の記念品が並べられている。本もある。お気に入りのものがあれが買えば良い。次に、祈祷をお願いしたくなれば神主か巫女に頼めば良い。祈祷の席に進むと式次第がある。神主がお払いをした後、祝詞をあげる。巫女が舞う。太鼓と笛が伴奏され、巫女が鈴を鳴らす。ササキを奉納する。この厳粛なひと時が心地良い。

 こうして参拝を終える。後は自由である。本殿の奥には大抵の場合、奥つきと云われる元宮がある。これを更に登れば古代の祭祀場に辿りつく場合が多い。これを参れば、なおお陰があると思われる。元宮、更にその奥の祭祀場はとりわけて霊力の強い磁場となっている。かなりの難所を越えるのが通例で、時間の制約もありいつも詣でる訳には行かない。

 これはざっとになぞった参拝風景であるが、これら全ての仕掛けと演出には高度な知恵と謂われがある。それを知るも良し知らぬも良しであるが、一朝一夕にできたものではなく、ン千年の知恵が盛り込まれていると窺うべきであろう。こういう参り場所に参らないとすれば、その人は、参らない浅はかさを惜しむべきであろう。れんだいこは、そのように考えている。

 もう一つ参拝効能を書き加えておく。神社仏閣は空き地であればどこでも良いとして建立されている訳ではない。その土地の守り神が鎮まるところの最高適地を風水的に見定めて、そこに建立している。これにより、そこへ参拝する者は空気がおいしいとか、風が清清しく心地よいとか、静けさが心を安らげるとか、これらにより頭痛が一時的にせよ治ったとか、その他諸々の病状に改善の気配を感じて帰路につくことになる。この効能がすばらしい。こういうお陰をも貰う。これに温泉の湯治療法が連携すればなお効果的になる。理屈ではないこういう陰徳を受ける。これらが「神仏参り、信仰、祈念の効能」である。戦後民主主義はこういうことを教えなかったが、教えられなくとも年相応に至れば自ずと気づき身につけるべきである。

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