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2016年12月

2016年12月12日 (月)

神仏参り、信仰、祈念の効能考その4、南京大虐殺事件考

 さて、「神仏参り、信仰、祈念の効能考その1、その2、その3」を受けて「南京大虐殺事件考」をしておく。どう結びつくのかは後で述べる。本稿は気が滅入るほど重いけど、やはり言わなければならないと決意して書き上げる。

 南京大虐殺事件の通説は、「先の大東亜戦争で日本軍は、台湾、朝鮮、支那、その他行く先々で乱暴狼藉の限りを尽した。その最たる例が南京大虐殺事件であり、調子乗り事件が百人斬り事件である」と教えている。これにより、「西の横綱級大虐殺がナチスによるユダヤ人大虐殺500万人、東の横綱級大虐殺が日本軍による支那人大虐殺50万人」と喧伝されて今日に至っている。これは本当の話だろうか、これを愚考したい。

 これを「その通り」と唱和し、これによりナチスと日本軍断罪を満腔の怒りで糾弾すればするほど人道的で民主主義的で或いは左派的であるとして口角泡を飛ばす競い合いをして来たのが戦後民主主義者である。私は30歳頃までそっちの陣営に居たのでよく分かる。だが年の功と云うべきか次第に日本の格式、伝統の質の高さに目覚め、やがてそれが日本耽美主義に靡き始め、そうなると日本的伝統をないがしろにする戦後民主主義論を鵜呑みにできなくなり、その発展系としていつしか「西の大虐殺論、東の大虐殺論」を眉唾し始めるようになって今日に至っている。

 そのきっかけは次の知勇者の啓蒙による。「南京大虐殺事件」については、1973年、日本のノンフィクション作家・フリージャーナリストの鈴木明・氏が、TBS在職中に執筆した「南京大虐殺のまぼろし」で狼煙を上げた。同書は、第4回(1973年)大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。これに対し、事件肯定派から手厳しい批判を浴びせられ今日に至っているのは衆知の通りである。

  「ホロコースト」については、西岡昌紀医師が、雑誌マルコポーロ1995.2月号の「ホロコースト50周年」記念特集で「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」を発表し狼煙を上げた。これに対し、ナチス犯罪追求のユダヤ人組織サイモン・ヴィーゼンター(略称SWC)が猛然たる抗議を仕掛け、雑誌マルコポーロ廃刊、花田編集長解任、マルコポーロ発行元の文芸春秋社の田中社長辞任、同社は80名以上の大規模な人事異動を余儀なくされた。これも衆知の通りである。

 通説は未だに両説を袋叩きにしている。しかしながら、れんだいこは両氏の説に軍配を挙げる。その理由を以下に記す。これを解くのには、れんだいこ史観が必要となる。これを披瀝して一考を賜りたいと思う。ここでは「南京大虐殺事件」のみ採り上げる。「果たして日本人は、云うところの敗戦投降万歳している兵士、無辜の人民大衆に対し、大虐殺事件を起こし得る民族だろうか」、ここを原理的に問いたい。ここまでの「神仏参り、信仰、祈念の効能考」で見てきたように、幼少より「氏宮-氏子思想」で育られて来ている日本人をして、敗者に対する「無慈悲無惨な虐殺」、「婦女子に対する凌辱殺害」なぞできないのではなかろうか、こう問いたい。

 「無慈悲無惨な虐殺」、「婦女子に対する凌辱殺害」に興じられるのは、人を人と思わず畜生視する傲慢選民主義で育っている国際ユダ邪系だけではないのか。事実はこうではないのか。世界の諸国民は概ね平和的で、経済活動もシルクロード交易を編み出しており、そういう歴史を連ねている。それに比して、国際ユダ邪系の犯罪こそがどぎつい。彼らにこそ「無慈悲無惨な虐殺、婦女子に対する凌辱殺害、強奪、搾取」がついて回っている。あたかも一手専売の感がある。この系は、手前たちはホロコースト被害を子々孫々まで糾弾し、それを口にする裏側で今でもアラブ(イスラム)、アフリカ、その他諸地域で「ガザ・ホロコースト」を続けている。これはよそ事ではない。やがて「日本ホロコースト」の日も近い。

 日本は、従軍慰安婦問題でも謝罪行脚させられ続けているが、どこの世界に管理売春の方が凌辱虐殺よりも罪が大きいなどとする理屈があり得るだろうか。「虐殺よりも管理の方が加害的に重責」なる倒錯論理を弄ぶのが国際ユダ邪の特徴である。こういう理論に慣れると必ず精神が変調する。そういう精神変調者が国際ユダ邪指導部、その各国イエスマンを占めており、連中により世界が弄ばれているのが現状だ。

 もとへ。日本の問題に限って論ずるが、仮に南京大虐殺事件があったとしようか。その場合でも、その犯罪者は「元々の日本人即ち縄文日本人」(仮に単に「縄文日本」と表記する)ではない。なぜなら、「縄文日本」ならば、勝負のケリをつけるまでは戦うが、勝負のケリをつけた後の乱暴狼藉は少なくとも「控えめ」にしかしない、できない、頃合の手打ちを良しとして後は和合に向かう。そういう風に教育されており、それは既に日本人の遺伝子になっている。してみれば、仮に南京大虐殺事件が史実だったとすれば、「縄文日本」の立場からは異様なあるまじき事件だったことになる。

 仮にそれが史実なら、「縄文日本」の手によるものではないと考えたい。出てくる結論は、日本人化されていない帰化系もしくは不良系の者の手による犯罪だったことになる。実際には、逃亡支那兵の物資略奪に伴う「ついでの凌辱殺生」もあったようである。あるいはこちらの線が大いに考えられる。即ち、国際ユダ邪が、用意周到な戦後糾弾対策として、「傭兵によるヤラセ的な凌辱殺生」を仕掛けていたのではなかろうか。あるいは、「これに呼応する陸軍犯罪」もあったのかもしれない。そういう訳で、元日本兵士証言は厳密に精査されねばならない。なぜなら国際ユダ邪的戦後風潮の長期マインドコントロール下にあっては日本軍犯罪証言が誘導的に自然発生することも考えられるからである。日誌といえども改竄されている場合もないとは云えない。

 よって結論は、史実的に精査検証して、是認、否認の両派の見立てをすり合わせて後に、したたり落ちる知恵の如き史実となし得るものにのみ立脚して言論化せねばならないと云うことになる。東の南京大虐殺事件も西のホロコーストもそういう意味では精査検証不足のままにプロパガンダ性の高い国際ユダ邪式反戦平和論の見地から奏でられているものであって、我々はそういう架空説教に頼らない自力の反戦平和論を構築せねばならないと考えている。

 私の見解によれば、日本の戦時下犯罪は西欧列強のそれと比べて案外と少ない。逆に概ね善政を敷いたことで好評価されている例こそが珍しくない。あたかも、帰化系、不良系、国際ユダ邪系日本人の手による犯罪に対して、それを償うかのように概ね善政で応える「縄文日本」の働きが刻まれている。この例は枚挙にいとまない。こういうところにも注目すべきだろう。

 日本人は、こういう「縄文日本」と帰化日本人、不良日本人との混成である。加えて国際ユダ邪の子羊になるのか、面従腹背するのか、抵抗するのか、無関心なのかの四派から成っている。このどちらの系が支配権を持つかで世の中が大きく変わる。例えて云えば、戦後から角栄政治までが「縄文日本」政治であり、それ以降から今日までが「反縄文日本」政治である。「反縄文日本」政治を特質とする現代日本政治は、国際ユダ邪に言われるがままの日本破滅方向政治を勤しむ。それを国際貢献と礼賛している。正確には国際ユダ邪貢献でしかなかろうに。

 だから、促されるがままに自衛隊を南スーダンに派兵し、戦死すればするほどよくぞ国際貢献してくれたと随喜して滂沱する。福島原発が爆発し、未だに手に負えないのに原発再稼動、原発輸出に励む。狂っているのだが、痴呆症と一緒で狂っていることが分からなくされている。こういう連中が国会に与野党共々屯しており、それも不正選挙によって選出された議員がほとんどと云うおまけつきである。あほらしやの鐘が鳴る。

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