「れんだいこ、れんだいこ史観」の由来と解説
本稿が未投稿だったので投稿しサイトアップしておく。課題は「『れんだいこ、れんだいこ史観』の由来と解説」である。
「れんだいこ史観」とはれんだいこの史観であり、れんだいこが勝手に命名しただけのことである。ますます判明しつつあるが、世の歴史観、歴史論と相当に隔絶している。例えば、最近、明治維新を評する視座に於いて様々な是非論が登場している。中には我慢の限界を超えるような幕藩体制万歳論まで登場し持て囃されている。残念ながら、私論は既成のどの論とも一致しない。且つ我が輩の政論の方がはるかに正鵠を得ていると自賛している。為に区別する意味で自ら銘打っている。
それは何も明治維新論ばかりではない、田中角栄論、中山みき論、邪馬台国論、古代史論、古史古伝論、学生運動論、大正天皇論、文革論、大東亜戦争論、ヒットラー論、イエスキリスト論、ユダヤ教論、著作権論、原発論、囲碁論等々数え上げればキリがない。恐らく逐一挙げれば課題が数百に上ろう。
これに興味を覚える者が居て、検索で知ったのだが、「れんだいこ史観とは何か」を廻るやり取りをしている(「れんだいこ史観」)。噂になるだけでもあり難いことである。言い添えておくが、著作権を主張して、俺に黙って論ずるとはけしからん、挨拶せぇ、引用転載するなら使用料払えなどとは口が裂けても云わない。ここら辺りからして昨今の権利病とは隔絶している。ジャスラック的音楽著作権なぞ、ない方がよほど文明的先進的と思っている。ここの観点が世の識者と全く違う。
ここで、簡略に「れんだいこ」命名の背景事情について述べておくことにする。
まず「れんだいこ」とは何か。いろんな意味があるが、その一は冗談風であるが「れんこんだいこん」を縮めたものである。れんこんは見通しの良さを示し、だいこんは滋養を表わしている。つまり、「れんだいこ」は、見通しの良さを賜り、味わえば為になるという二つの意味を挺している。
その二は、「連太鼓」の意である。れんだいこの奏でる思想、政論を共に太鼓を叩くようにして世に広めようという呼びかけの意味が込められている。これにより自ずと各地の太鼓舞踏にも親近感を覚えるようになっている。その三は、「連帯子」である。れんだいこと連帯し、何事かを企て世の改良、改革、革命、回天に向かおう、命に限るある身であることを踏まえ歴史に良い種、実を残しておさらばしようという意味が込められている。
れんだいこは当初「れんだいじ」のハンドルネームで「さざなみ通信」に初登場した。かの時の「れんだいじ論文」の輝きは今も失われていないと自負している。が、数々の問題提起にも拘らず好評する者が少ない。と云うか、斬新過ぎてまぶしいのだろうか、そもそも議論されることが少ない。議論前の難癖反応にはお目にかかるが、与太もんに関わって得することがないので無視している。その癖、それほどでもない論考を褒め合いしてお茶を濁している例が多い。そういうものを見て見ぬ振りをしている。
ネット界にデビュー時には数ケ所のサイトに出入りしていたが、いづこもいつの間にか中座してそのままになっている。れんだいこが辞去した分、それらのサイトで喧々諤々が進んでいるのならまだしも良いのだけれども。
「れんだいじ」は、故郷の蓮台寺にちなんでつけたハンドルネームであり、これはこれで大事にしようと思っている。その「れんだいじ」を何度も唱えるうちに「れんだいこ」が生まれ、こっちの方が更に気に入ったので、今では「れんだいこ」ネームの方を愛用している。これを「れんだい子」と受け取り、如何なる妙齢の美女ならんと懸想し胸をときめかす者もあるらん。そう受け取られるのが嫌ではなくむしろ面白がっている。ざっと以上が「れんだいこ」の由来と解説である。このところ発信不足なので本稿で中継ぎしておく。
「れんだいこ史観とは、れんだいこの認識変遷史メモ」
2017.2.13日 れんだいこ拝
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